第18回 「住」にまつわる話―照明編
第18回
「住」にまつわる話―照明編
いつでもどこでもあかるい、それって本当にいいコトなのでしょうか。
オフのリラックスタイムくらい、照明をロウソクに切り換えてこころを鎮めませんか?
Photo by Jamandfix
あかりとは、影を愉しむもの!?
隅々まであかるいのを良しとする照明観をもつ現代日本では、玄関でもリビングでも、トイレでも階段でもどこでも新聞を読むことができます。
しかしヨーロッパでは、しかるべき照明のもとでないと暗くてとても読めません。家のなかにも、光と影のコントラストがあるのです。
省エネの観点からすれば蛍光灯を用いたシーリングライトがもっとも効率のいい照明なのかもしれませんが、情緒的な観点からすると日本とヨーロッパ、どちらの照明観に美意識があるかは明白です。
照明の役割は、なにも空間をあかるく照らすだけではありません。もし行きつけのバーに光々とあかりが灯っていたらどうでしょう。落ち着いてお酒を飲むことができませんよね。雰囲気も台無しでしょう。
また、夜寝る前にあかりの強い場所にいると、脳が覚醒してしまい寝つきにくい。人間も動物である以上、休憩するときは安心して身を隠せる薄暗さが必要。シーンに合わせたもっとも心地良いあかるさを演出するのも、照明の大切な役割というわけです。
そこで、仕事を終えたあとのリラックスタイムに「ロウソクのあかり」を愉しんでみてはいかがでしょうか。
ロウソクの小さな炎がつくる陰影を眺めていると、不思議とこころが静まるものです。
艶めかしいムードを出してやろうとかそういうヤマシイ目的ではなく、オンオフのスイッチを切り換えるうえでもロウソクのやさしいあかりは有効です。
個人的にはベランダにロウソクを並べ、ゆらゆらと灯るあかりを眺めながらお酒を飲むのが好きです。これだけでお酒がぐっとウマくなりますから(笑)。
僕はときどき、あかりとは影を愉しむものだと思うことがあります。影があるからこそ、光のうつくしさが際だつ。四六時中シーリングライトの下にいては、影を愉しむべくもありません。火の元に気をつけながら、みなさまもぜひ、ロウソクの光と影を愉しんでみてください。
日本人は本来、光の扱いに長けた民族
ちなみに写真(トップ)の無垢材を用いたキャンドルホルダーは、7、8年前にニューヨークで購入してきたアンティーク品。デザイン形状から、おそらくミッドセンチュリー時代につくられたものでしょう。こうした照明グッズにも、グッドデザインは数多くあります。
日本には『小田原提灯』という旅人の携帯用照明器具がありました。これが構造的にもじつによく考えられた道具なのです。
日中は蛇腹式に折り畳んで携帯することができ、たとえ雨風で和紙が破れても容易に張り替えが可能。また和紙のなかをあかりが反射することによって、光量が増幅される。いまでこそ土産物でしかありませんが、江戸時代当時は先進的な道具だったにちがいありません。
ヤマギワ電機が創業50周年記念に発行した(1973年)「日本のあかり」という本をめくると、提灯や行灯、ロウソク立てといった、日本古来よりの照明器具を数多く目にすることができます。
そしてその多くが、実用性と様式美を兼ね備える、優れたプロダクトであることに驚かされます。
日本人は元来、あかりの扱いに長けた民族でした。部屋へ差し込む月あかりに風流を見出した先人たちに習い、私たちもいまいちど、あかりの粋を愉しみたいものです。