COOK IT RAW|「食道Shoku-do / 食へとつづく道」自然派シェフたちの4日間の冒険(前編)
COOK IT RAW|クック・イット・ロゥ
「食道Shoku-do / 食へとつづく道」
自然派シェフたちの4日間の冒険(前編)
昨年11月、成澤由浩氏やレネ・レゼッピ氏など世界の一流シェフ15人が、石川県の豊かな自然、食材や文化の体験をつうじて発見した魅力を料理で表現する食の祭典「COOK IT RAW in ISHIKAWA」が開催された。参加シェフたちの「自分たちのもつ料理の力で、世界中に日本の魅力を発信することによって東日本大震災後の日本を元気づけたい」との思いから、欧州以外ではじめて開催されたCOOK IT RAW(クック・イット・ロゥ)を、「L.C.D.N」のPRディレクター成澤裕子さんがレポートする。
Text by NARISAWA YukoPhotographs by COOK IT RAW
世界の料理シーンでもっともアバンギャルドで、クールな集団
コペンハーゲン、フリウリベネチア、ラップランドにつづき、開催4回目を迎えるクック・イット・ロゥ(以下、C.I.R)。このイベントは、現在世界の料理界のもっともアバンギャルドな集団として位置されている。日本でこそ知られてはいないが、各国のシェフやジャーナリストがそのメンバーとなることを熱望し、日々主催者にラブコールを送るほどエキサイトしている注目のイベントである。
主催者はふたりのイタリア人。デンマークをベースにフードイベントやコンサルティングを仕事とするアレッサンドロ・ポルチェリ氏と、パリ在住のジャーナリストであり、プロデューサーでもあるアンドレア・ペトリーニ氏。C.I.Rは、彼らふたりのとてつもなく強い意志とセンスに共鳴し、即効性のある利益や収益を求めず、時代性やその内容の質の高さを理解するスポンサーとで成り立っている、極めて珍しい集団である。
膨大な知識とテクニック、そして系統に牛耳られてきたフランス料理の世界から、90年代、“分子料理”と呼ばれるあらたなカテゴリーが料理界のスタンダードとなりつつあった。世界中のトップシェフたちが、まるで科学実験をおこなうかのような特殊器具を厨房に持ち込み、試験管やスポイトや注射器が、作業台にならんだのだ。あたらしいテクニックは各国でおこなわれている料理学会や雑誌をとおして瞬く間に浸透したが、幾人かのシェフたちは気づいていた。これらの道具は、方程式にもとづいた驚きを生み出してはくれるものの、しょせんテクニックの一つでしかないことを……。
そんな風潮に反するかのように、ガストロノミーにおいてのあらたな原則は、「絶対的かつ無条件な大地への敬意である」とのフィロソフィーのもと、C.I.Rは誕生した。つまり、自然を介して地球の窮状を知り、食材をとおして未来への道をつなぐ──主催者に指名されたメンバーのシェフたちは、国を超えて気づきはじめていた。大地が供給するものをとおして、それらが私たちの舌を楽しませてくれる、無数の表現を持ち合わせていることを。シェフたちはそれぞれに自国を取り巻く原始からあるものを信じ、先人の知恵を頼りに自然と厨房を行き来している。コンピューターの画面から目をそらし、顕微鏡を覗くようなナノ単位の世界から視野を大きく広げ、目の前にある自然、そして地球の行く先へと、さらに意識を高めてきている。
世界に伝えたい“豊かなる日本” を表現する場所とは
2011年3月上旬、主催者のアレッサンドロは、彼の生涯においてはじめての日本への訪問を実現できた。世界中の料理学会を飛び回り、現代のトップシェフたちを取りまとめ、つねにこの業界が正しく進むべき方向へと導いてきた彼が、自分の半生を過ぎてはじめて日本を訪れる事ことができたのだ……ヨーロッパをベースに活動する者たちにとって、それほどまでにまだここは遠い国。
ホストシェフとして指名された東京・NARISAWAの成澤由浩が、そんな彼らと日本の距離を縮めようと、1年もの時間をかけて探し出した場所は、石川県。日本を語る際に欠かすことのできない豊かな海。その海を望むように美しく整えられた棚田。自然と共存する里山・里海の暮らしが、成澤が日々、世界に伝えようとしている “豊かなる日本” を表現するために最適であると感じたからだ。石川の県面積の60%を占める里山・里海が日本において、また先進国ではじめて、国連から世界農業遺産に認定されているといった話は、後から知ったことだという。
石川県が開催地となる約束をし、アレッサンドロは飛行機に乗り込んだ。あの大震災が日本を襲ったのは、それから数時間後のこと。一瞬の出来事で日本をちがう国へと陥れた天災で、誰もが戸惑い、先の見えない時間を過ごした。もちろん、国際イベントにかんすることなど、誰が言葉にできただろうか。しかし、ホストシェフである成澤は、毎日世界の友人たちに、日本の現状を訴えていた。「すべてが終わったわけではない。現に僕たちは毎日レストランを開いている」。そして、アレッサンドロも毎日のように彼に電話をしてきた。「僕ら兄弟は、君の言葉を信じている。食品の安全性も心配はしていない、流れているニュースは、現実の一部でしかないのだから」と。そんなやり取りをつづけながら、誰もが時が過ぎるのを待った。イベントの成功には、タイミングがとても重要であることを知っていたから。
書家の石塚静夫氏が無償で書きあげた「食道-Shoku・do」の文字
世界的不況、ファインダイニングにとっての暗黒時代、くわえて、海外旅行者の減少、放射能汚染による日本への風評被害もすべて受けいれ、このようなイベントの主旨に賛同してくれる企業があることは、料理の世界にとって誇るべきことであり、またこの先世界の料理界をもっと自由な環境へと導いてくれることだろう。メンバーのシェフたちも同様、彼らに報酬などはない。それでも彼らは、「何か」を求めて旅を繰り返し、日本に来る日を心待ちにしている。
2009年の開催以来、オフィシャルパートナーとして、C.I.Rを応援するネスプレッソ社。ネスレネスプレッソ株式会社の代表取締役社長のロイック・レトレ氏は「C.I.Rとネスプレッソ社は、自然保護をふまえ、卓越した感覚、味覚、技術を一つにし、世界最高峰のシェフたちと“Haute Cuisine(オート・キュイジーヌ)= 特別な条件のもとに仕立てられた料理”への情熱を共有できることに喜びを感じている」と語る。
このような状況下、石川県はC.I.Rの開催にゴーサインを出し、成澤の情熱にプレスカンファレンスの会場と東京での宿泊にフォーシーズンズホテル椿山荘 東京(藤田観光)、ファイナルディナーの会場にアマンダン・ヴィラ(ノバレーゼ)、特殊厨房機器のエフ・エム・アイ、そしてメルセデス・ベンツが惜しみない協力を捧げた。すべては氏が日々のレストラン経営において、友好関係を築いてきた相手である。
そして日本でのタイトル「食道-Shoku・do」の文字は、書家の石塚静夫氏が無償で書きあげた。「道・dou」は日本において、何世代にもわたり、師匠から弟子へと伝えられ、あらゆる分野で使われてきた。それに習い、食の進むべき道を料理史に残すべく、成澤の名付けた「食道-Shoku・do」は、石川県でどのような軌跡を残すことになるのだろう。
COOK IT RAW|クック・イット・ロゥ
「食道Shoku-do / 食へとつづく道」
自然派シェフたちの4日間の冒険(前編)
「日本」、ここは彼らにとってのおとぎの国
フォーシーズンズ椿山荘 東京のボールルームに、似つかわしいとはいいがたい風貌の男性陣。はき込んだデニムとノーアイロンのシャツ。見れば皆、ポケットに手を突っ込んだまま……。しかし、彼らこそまさに現代の料理界を先導し、時代を象徴するトップシェフたちであることを覚えておいてほしい。
「子どもたちに、君が今行きたい場所は? と尋ねたら、彼らは迷わず“ディズニーランド”と答えます。ではシェフたちにおなじ質問をしてみましょう? 僕たちは皆“JAPAN”と即答するでしょう」。スペインのシェフ、アルベルト・アドリアのこのうえない日本への称賛の言葉で、クック・イット・ロウは開幕した。
主催者のアレッサンドロとアンドレア・ペトリーニの言葉は、ここにいるシェフたちが体験したことのない日本の自然、里山、里海で出合いに期待を込めた。石川県知事からは、震災により諸外国からの旅行者が激減するなか、こうしてC.I.Rのメンバーたちが集結してくれたことに、感謝の言葉が述べられた。
考えている時間などない4日間のプログラムがはじまる
その夜、C.I.Rチームは南青山の「NARISAWA」に向かった。高級車の座席で東京のネオンを眺めながらレストランに到着すると、そこにはすでに里山の風景が用意されていた。扉を開けると、エントランス一面に、秋色の落ち葉が敷き詰められ、テーブルには、里山で見つけた宝物たちがならべられていた。明日からハードスケジュールなど気にせず、夜遅くまで語り合った。予定よりもほんの少し早く、C.I.Rの旅はスタートしたようだ。
COOK IT RAW、それは彼らにとって、アリスが落ちたウサギの穴。目が覚めるとそこにはいつも不思議の国が待ち構えていて、現実と夢のはざまのような、まだ見ぬ世界へと、シェフたちを導いていく。
考えている時間などない4日間のプログラム。土地の詳細を記す地図や、ガイドブックなどあたえられない。大雑把に書かれた予定表に従い、シェフたちはこの土地ならではの食材を探し出すため、水先案内人の教えを聞き、未だ触れたことのない文化のなかへ身をゆだねていく。
成澤氏が、石川県を推薦した大きな理由
能登空港に降り立ったシェフたちは、旅館に荷物を降ろすよりも先に、ファイナルディナーの会場「アマンダン・ヴィラ」へと向かった。はじめての日本の原風景。民家の庭で葉を落とした枝に、鮮やかに実る柿の実、多様な種類の木々が、色もまばらに不規則にならぶ風景も日本ならではだろう。セピアカラーの街道を進み、これまでとは一変してモダンな建物の前でバスは停まった。
吹き抜けの広々としたリビングを、十分に温める大きな暖炉と、テラスに面した美しい湖。近代的なキッチンからは、客席を挟んでこの湖を一望できるすばらしい環境が整えられている。ここは彼らの友情を確認する場所でもあり、互いの料理の評価を受ける戦場でもある。テラスに用意された地元の食材を手に取り、味見をしては湖に投げる。普段は当たり前のこんな行為も、日本では許されない。現在世界ナンバーワンシェフであるレネ・レゼッピがさっそく注意を受ける。その後レネはスウェーデンのマグナス・ニルソンとともに私有地への無断侵入。再び注意を受ける彼らは、日本をどれだけ堅苦しい国だと感じたことだろう。しかしこれが日本のルール。彼らはこれから4日間、良くも悪くもこのルールのなかで生活しなければならないのだ。しかし、そんな不安もすぐに吹き飛んだ。なぜならこの後彼らには、すばらしい出会いが待ち受けていたからだ。
ホストシェフである成澤が、4回目のC.I.R開催地に石川県を推薦した大きな理由がある。かつて前田藩がこの土地を納めていた戦国時代、利家(としいえ)を筆頭に、戦いよりも文化奨励に力を注ぎ、五代藩主綱紀(つなのり)の時代には、絢爛なる百万石の文化を華開かせた。成澤がかねてから縁のあった卯辰山(うたつやま)工芸工房は、前田藩の趣旨を現代まで引き継ぎ、陶芸・漆芸・染・金工・ガラスにおいての優秀な技術者をサポートし、世に送り出している。とはいうものの、日本においての伝統工芸の衰退は見逃せない状況だ。彼は、以前から思い巡らしていた構想を、自分ひとりではなくC.I.Rの兄弟たちと取り組むことを提案した。
COOK IT RAW|クック・イット・ロゥ
「食道Shoku-do / 食へとつづく道」
自然派シェフたちの4日間の冒険(前編)
ダイニングにならべられた15種類の作品。
そう、これこそがC.I.Rと日本の伝統工芸のコラボレーション
ホストシェフの成澤は、まず金沢市に伝統工芸作家たちを集め、C.I.Rの15人のシェフたちの仕事を紹介した。シェフたちと組む仕事など、工芸作家にとっては異例のこと。それも世界のトップを走る、最先端のシェフたちのための器である。作品づくりに取り組んでくれる作家を募った。2011年7月上旬、エントリーされた42名の作品は、年齢、性別、キャリアを伏せたまま、ふたりの主催者を迎えた。ふたりは、整列した作品にシェフたちの料理を思い浮かべながら、15人を選んだ。なかには和紙やテキスタイルの作品もある。今まで“器”というカテゴリーで作品を作ったことなどない作家も数名いる。
ふたりの主催者は、シェフと工芸作家、両者のクリエイションがどのような結果をもたらすかに期待し、4ヵ月を待った。その間、シェフと工芸作家たちは、互いの作品を良く知り、高め合うために、Eメールでのやり取りを重ねてきた。しかし、完成した作品を手にするのも、作家と顔を合わすのも今日がはじめて。15人のシェフに、15人の作家、そして作品が紹介された。双方の誰もが一様に、照れくさそうにしている。写真しか見たことのないお見合い相手との初対面なのだから、それも仕方のないことだろう。次第にシェフたちは、自分だけのための器を手に、誇らしげに隣にいる友人に自慢しはじめた。そして、その器を彩る料理について、雄弁に語るのだった。C.I.R最終日を飾るガラディナー、一期一会の料理のために、特別な器……。
土地から放たれる感性やエネルギーを感じ取る
2日目の朝、旅館「あらや滔々庵」の一室はまるで「サザエさん一家」のように賑わっていた。皆でテーブルを囲み、湯豆腐、白がゆ、焼き魚、温泉卵と、自分の領域に用意されたアイテムの多さに驚きながら一つひとつにうなずき、おなかいっぱいになるまで食べつづけた。この朝食が、シェフたちの作品に大きな影響をあたえたことは言うまでもない。貴重な食の体験を、彼らは無駄なく吸収する術を身につけているようだ。
休む暇なく、一行はブーツに履き替え里山へ繰り出した。日本製の竹網かごと釜は、意外と様(さま)になっている。しかし、オットセイのような黒いゴム長靴には皆、怪訝な表情を浮かべ、どうすればその長靴を履かずにすむかを考えながら、ブーツを忘れてきた自分を恨んだ。
空の神様は、つねにC.I.Rに協力的だ。過去3回をとおしてみても、ほとんど雨に邪魔されたことはない。さっきまで降っていた雨がやみ、シェフたちは森へと招かれた。古い民家の建ちならぶ路地を抜け、里山に入る。シェフたちのテンションが上がってくるのが、歩くスピードから伝わって来る。誰もが子どものころのように、草木を拾い、根を掘り起こす。
苔を食べる習慣のある北欧のマグナス氏は、早速崖から苔を剥がしはじめ、地元の案内人を困惑させている。ブラジルのアレックス・アタラ氏は、腹部の術後1週間にもかかわらず、木々のはざまを流れる川に降り、里山を良く知る成澤に質問を重ねる。わさびが水のほとりに生息する……、それは、世界中に出回るようになったチューブ入りのペーストとはまるで別物。そこでは当たり前のことが、彼らをとおして世界レベルの発見になる。まだ見ぬ土地でおこなわれている日常の光景は、私たちにとって非日常の極み。予備知識のない分だけ、ひとはその土地を静かに見つめ、その土地から放たれる感性やエネルギーを感じ取る。
ジンジャーによく似たミョウガの香り、セリ、どくだみ、野性のわさび……、冬を間近に迎えようとしている森は、そこに生息する生き物たちに、冬越しのための食材をたっぷりとあたえようとしているのか……、この豊かな森では、シェフたちがどれほどの植物を採取したとしても、決して何かが失われることなどないだろう。植物たちはむしろ、「やっと見つけてくれて、ありがとう」と、そんな気持ちでいたにちがいない。
サスティナビリティの構造が完成された里山にて
ひとが歩けるように整えられた山道で、マグナスはほんの少し機嫌が悪い。「こんなのまだ、山じゃない!!」と言って、道なき道へと突進しはじめた。傍若無人な小熊に変身した彼を成澤が追いかける。やっとお気に入りを見つけたようだ。彼が拾わなければ、おそらく冬の間に森の腐葉土になるはずだった手のひらほどの朴葉。「この葉っぱを50枚」こんなオーダーも、クック・イット・ロゥならではだ。
帰り道、木々の間に横たわるホダ木から、たくさんのなめこや椎茸が生えているのを見つけた。かつてその土地で、きのこ栽培をしながら暮らしていたひとの置き土産が、今は野生化し、それでも立派な茸を生育させている。ときどきひとが森に入り、捕り残した分はきっと、猪たちのご馳走になっているのだろう。
自然の摂理に逆らわず、適度にひとが手をくわえてこそ、森は生きていける。木々には呼吸できるだけの間隔が必用であり、植物にはほど良く日が当たり、風をとおす道が不可欠だ。そこには、たくさんの微生物と昆虫が生息し、鳥や小動物も困ることなく生きていける。動物たちだって、民家を荒らすことなどなく、森や山で十分に食料を見つけることができるであろう。
サスティナビリティの構造が完成された里山は、いうまでもなく、シェフたちの心を魅了した。里山で見つけた宝物と、地元のひとたちが用意してくれた珍しい根菜や植物。食材はいとも簡単に、その土地を表現してくれる。私たちがいつも魅力的なレストランを探し求めているように、シェフたちはこうして日々、あらたな食材との出合いを求め、旅を繰り返す。そして “予期せぬ偶然―Serendipity”を経験し、彼らをとおして、歴史に軌跡を残していく。
“選ばれし者たちだけが出合うことのできるもの” C.I.Rチームの体験は、今、料理界の歴史に、大きな変革をもたらしている。突然、「このまますぐ、キッチンに直行したい」。誰が最初に言い出したのだろう? シェフたちは、昼食のバーベキューの最中も、自分が見つけた秘密の食材を一刻も早く冷蔵庫という名の宝箱にしまいたくて、バスを呼びつけた。慌てなくても大丈夫。空を見上げると、ほら、今度は雨が降り出した。空の神様は、つねにC.I.Rに協力的だ。冬桜と秋雨、偶然の光景も彼らにとっては、必然だったのかもしれない。
COOK IT RAW
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