TOYOTA Prius +|トヨタ プリウス + 7人乗りの大きなプリウス
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2015年3月17日

TOYOTA Prius +|トヨタ プリウス + 7人乗りの大きなプリウス

TOYOTA Prius +|トヨタ プリウス +

7人乗りの大きなプリウス

トヨタ自動車は、3月1日から開催されているジュネーブショーにプリウス +を出展した。

文=松尾 大

4月下旬から発売

デトロイトでのプリウスv、プリウスcにつづいて、プリウスの派生車種としてプリウス +(プラス)がジュネーブショーで公開された。これは、基本的にプリウスvだと共通とおもわれるワゴンボディで、現行のプリウスよりひとまわり大きいサイズとなっている。

ボディサイズは、全長4,615×全幅1,775×全高1,575mmと、プリウスにくらべ全長 プラス155mm、全幅 プラス30mm、全高 プラス85mm、ホイールベース プラス80mmとプリウスvとまったくおなじ外寸となっているが、現行のプリウスにくらべ大幅に広くなった室内空間に3列目のシートがあたえられ、7人乗りとなったのが、この+の最大の特徴だ。

車名の+(プラス)にはさらに良いものをという意味が込められており、プリウスの圧倒的な経済性や環境性能、デザインなどにくわえ、より広い室内空間を意味したものだろう。コンパクトなリチウムイオンバッテリーを採用したことでプリウスvでは、シートポジションが上げられたにもかかわらず、十分なヘッドクリアランスが確保されており、前後のシートピッチは38インチ(=約96.5cm)に。また、ラゲージスペースは34.3立方フィート(=約971リットル)をマークしていたが、3列目のシートがくわえられたぶん、ラゲッジスペースやシートピッチは小さくなっているものと考えられる。

ハイブリッドシステムは、通常のプリウスとおなじものであるとしているので、アトキンソンサイクル方式の1.8リッター2ZR-FXEエンジンは最高出力73kW(99ps)/5,200 rpm、最大トルク142Nm(14.5kgm)/4,000rpmを発生。モーターは、最高出力60kW(82ps)、最大トルク207Nm(21.1kgm)で、システム全体としては、最高出力100kW(136ps)となる。

 

このプリウス+は、価格などは発表されなかったが、先に公開されたプリウスvとともに日本では4月下旬に販売される予定だという。

BRAND HISTORY
自動車メーカーとしてのトヨタの創業は1936年。当時流行していたストリームライン(流線型)ボディをまとった6気筒モデルと、上級市場を狙ったモデルがスタートだった。50年代後半に1リッターのコロナと1.5リッターのクラウンをラインナップに。60年代には、米国市場での拡販を目指す企業戦略を採用するにあたって、コンパクトなモデルから8気筒搭載車までを開発。フルラインメーカーの道を歩み出した。

トヨタの成長のカギは、徹底したマーケット中心主義にある。60年代は米国市場において、イギリスやイタリア製の小型車をターゲットにした車種を投入して成功。その後も、適度な性能を適切な価格で提供する商品戦略は、大型セダンからスポーツカーまで幅広く採用された。そののち米国に工場を建設するなどして、大型ピックアップトラックなど米国専用の車両を多く手がけるようになる。

国内では1960年代の高度成長期をひとつの頂点に、営業販売面の貢献もあり、多彩な製品展開で盤石のポジションを獲得。また主市場の米国では、1970年代に起きた2回のオイルショックをむしろ追い風とし、小型・省燃費を武器に急成長した。近年の大きなジャンプは1980年代後半。高級車志向が強くなった米国においてトヨタでなくレクサスという独立したブランドを立ちあげた。小さな部品1点1点から徹底した品質管理をおこなうという源流主義を採用し、高いクオリティ感を売り物とした。

もうひとつのジャンプが1997年のプリウスの発売だ。ハイブリッド駆動方式は一般にはなじみのない一方、当時の自動車業界からは「内燃機(ガソリンやディーゼルのエンジンなど)から燃料電池へと向かう技術の流れのなかで無意味」と批判されたが、先見の明があったことは現在の成功をみればわかる。世界中のメーカーが形式に多少のちがいこそあれ、ハイブリッド化を推進している。また、ハイブリッド車に必要不可欠なバッテリー技術は、電気自動車でも、その先にある燃料電池車でも必要となることは、ほかの自動車メーカーも認めざるを得なかった。

2008年9月に米国で起きた、いわゆるリーマンショック以降は高級車の販売が鈍化したり、ほぼ時期をおなじくして製品のリコールをめぐって米国議会で大きく取り上げられたりと、現在のトヨタは逆風にさらされているともいえる。2002年に参戦したF1から2009年に早ばやと撤退したのもファンのあいだに失望を生んだ。しかしあらたに世界ラリー選手権も視野にいれた国際的なレース活動を再開すると表明。今後に期待だ。(2010年8月更新)

           
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