連載|スイスで活躍する日本人時計師 第2回〜関口陽介さん〜
Watch & Jewelry
2015年2月26日

連載|スイスで活躍する日本人時計師 第2回〜関口陽介さん〜

連載第2回|関口陽介さん

複雑機械式腕時計で知られる「クリストフ・クラーレ」の時計師(1)

関口陽介さんは、腕時計ブランド「クリストフ・クラーレ」で複雑時計を組み立てる時計師として活躍している。驚くことに彼の時計作りの知識はすべて独学。「永遠に生き続ける価値のある逸品を作りたい」という信念とともにスイスで時計作りを続ける関口氏は、どんな道を歩んできたのだろうか。

Text by SANO PERRET Tomoko

きっかけは、友達から譲り受けた掛け時計

関口さんが時計と出会ったのは高校生のとき。ある日、友達の祖父が所有していたという古い掛け時計を譲り受けることになった。とにかく古い物に興味をもっていた関口さんは、掛け時計の機械部分を見た瞬間「直してみたい」とおもった。その日から、関口さんの腕時計への探求の旅は、はじまる。腕時計に関する知識は、ほとんど書籍から得ることができたが、続けていくうちに時計作りに重要なことは、実践にあると覚る。それからは、古く壊れた時計を手に入れては、次々に直していった。

大学を卒業後、スイスではなくフランスへ

「時計師になりたい」という気持ちが強くなる高校生の関口さんに、父親は大学卒業の資格を取るよう勧めた。

父のアドバイスに従って、日本の大学へ入学。大学卒業が近くなり、ほかの学生とおなじように就職試験を受け、日本のある銀行の最終面接にすすむことになった。その面接でおもわず本音が出てしまった。「特に銀行で働きたいってわけではありません」。このひと言で彼の人生は大きく変わってゆく。関口さんは、2004年23歳で、スイスではなく、フランスへ旅立つことにした。一度は反対した父親だが、出発のとき、やさしく背中を押してくれたのは、父親だった。

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関口氏が組み立て中のマエストーゾのムーブメント。デテント脱進機に加えてコンスタントフォース、シリンダー式ひげゼンマイ、1万4400振動/時、サファイアクリスタル製ブリッジなど、組み立る難易度が高い機械だ

しばらくフランス語を学んだあとに、時計学校に入学を試みる。フランス国境近くの技術専門学校に一旦入学できたものの、元々フランス国籍を持つ失業者対策のための学校だったので、外国人である関口さんは3週間で放校となる。しかしそのとき、声をかけてくれたのが、その時計学校の恩師だった。途方に暮れていた関口さんに住む場所を紹介し、時計を組み立てるためのアトリエを使わせてくれた。

こうして関口さんは、2007年フランスの国家時計技師資格(CAP)を獲得する。時計学校で学んだ卒業生でもなく、しかも外国人である関口さんの合格は、異例中の異例のことだった。

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工房内の関口さんの作業デスク。ここから、クリストフ・クラーレ氏の名作の数々が世界へ送られる

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スイスのル・ロックルにあるクリストフ・クラーレの工房全景。従業員は約100名ほど


連載第2回|関口陽介さん

複雑機械式腕時計で知られる「クリストフ・クラーレ」の時計師(2)

憧れの町・時計製造で知られる「ル・ロックル」での生活が始まる

苦労の末、国家資格を手にした関口さんは、時計作りの聖地・スイスヌーシャテル州のル・ロックルのメーカーの門戸をたたく。しかしここで再び、就労ビザの壁が立ちはだかる。ビザが発給されず、関口さんは一旦日本に帰国することを余儀なくされる。しかし関口さんの人並みならぬ熱意にうたれたラ・ジューペレ社の2度目の申請によって、ようやく就労ビザが発給される。2008年、こうして晴れて正式に時計師として、憧れ続けたスイスの地で働く権利を得た。

目に見えないディテールにまで徹底的に魂を込める

正式にスイスで働くようになってから、間もなく7年目を迎える。第一線で活躍する現在でも、関口さんは帰宅後もエタブリ(時計の作業机)に向かい、夜中まで独学をつづけている。そんな関口さんを支えているのは、日本から呼び寄せた妻の清美さんと、2歳にまもなくなる大輝くん。3人で暮らすアパートは、工房と化している。おびただしい数の時計のエボーシュや機械などが並んでいる間を、大輝くんが歩き回っている。

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カジノゲームウォッチ3部作の1本「バカラ」。腕時計でバカラが楽しめるという型破りな機械式時計

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秋も深まったル・ロックルの時計博物館は、クリストフ・クラーレの工房のすぐ近くにある。関口さんの自宅からも近所でお気に入りの場所だ

ところで、関口さんは、19世紀の懐中時計を製作したことで知られるデンマーク出身のユール・ヤーゲンセンという時計師を敬愛している。「ヤーゲンセン氏の時計を手に取ると、造形の美しさだけでは説明のつかない本物の威光があるのです。分解するとネジなど“よくここまで”というところまで細かくきれいに磨かれていてびっくりします」

学生時代に吹奏楽部に所属していた関口さんが、このムーブメントを眺めて感じることがある。「オーケストラのなかで、バイオリンやピアノは、とても華やかな楽器です。しかし、そういった楽器だけではなく、すべての楽器がしっかりとクオリティの高い演奏をすることで、曲全体が輝くのです。時計もおなじです。目に見えないパーツにまで魂を込めて作ることで、人を感動させる力のある腕時計ができるような気がします」

知り合いを通じて、ユール・ヤーゲンセン氏の顧客台帳を見られる機会を得ることができた。その台帳には、いつ、どこで、製作に関わったのは誰か、どのパーツを何時間かけて製作したかまで、詳細に記録が残されていた。関口さんが所有しているエボーシュ(未完成のムーブメント)の番号もこの台帳から見つけることができた。19世紀に生きた時計師が残した記録と所有している時計の歴史が繋がった瞬間だった。

魂を込めて作られた腕時計は、時代を超えてさまざまな所有者の手を経て受け継がれていくもの。そんな価値のある逸品をこれからも作り続けていきたいと関口さんは語る。こだわりの多い時計ブランド「クリストフ・クラーレ」社でのさらなる活躍が今後も楽しみだ。

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SEKIGUCHI Yosuke|関口陽介
1980年生まれ。大学卒業後、2004年に渡仏。2007年まったくの独学でフランスの国家時計技師資格(CAP)を取得。数多くの腕時計ブランドの開発を手がけるラ・ジューペレ社を経て、現在クリストフ・クラーレ社で複雑時計の組み立てに携わっている。

           
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