名優ポール・ニューマンが所有した究極のロレックス“ポール・ニューマン”デイトナ|PHILLIPS
PHILLIPS|フィリップス
予想落札価格1億円以上。20世紀、伝説の腕時計が
PHILLIPSのNYウォッチ・オークションに初出品(1)
2017年10月26日(木)、最高級時計に特化したオークションハウス「フィリップス・イン・アソシエーション・ウィズ・バックス&ルッソ」が、「WINNING ICONS(勝利の肖像)―20世紀、伝説の腕時計―」オークションをニューヨークで初開催。そのなかで、ポール・ニューマン自身が所有・使用した唯一無二のロレックス“ポール・ニューマン”コスモグラフ・デイトナが出品されることになった。
Text by UEOKA Yasuko
オークション開催は2017年10月26日(木)。この時計は誰の手に!?
なんたって、伝説のニックネームの由来となった時計の実物なのである。コレクターやマニアの間では、ロレックス・デイトナが世界的に求められ、コレクタブルな機械式時計になった理由は、このポール・ニューマンダイアルのエピソードがあったからとも言われている。
実際、ポール・ニューマンはいくつもの顔を持っていた。俳優、ディレクター、レーシング・ドライバー、起業家、家庭的な人物、そして慈善事業家でもあった。アカデミー賞を2度受賞(主演男優賞1回含む)し、米映画界で最も優れた才能を持った俳優のひとりである。
1969年の主演映画『WINNING』(※邦題『レーサー』)では、レーシング・ドライバー役を演じた。妻のジョアン・ウッドワードもこの映画に妻役で出演。この作品をきっかけに、彼はレーサーとしてのキャリアでも成功を収め、1979年のル・マン24時間レースでは2位に入賞した。
ただ妻ジョアンはいつも夫が事故に遭わないか、映画のセットの中でも不安を感じていた。そこで彼女は映画の撮影中か撮影後に、おそらくティファニーで、夫に最高のプレゼントを購入した。ロレックス・コスモグラフデイトナ。モーター・スポーツのために特別デザインされた腕時計だ。ケースバックには「DRIVE CAREFULLY ME 運転、気を付けて」というジョアンが夫のために選んだ、心からの愛情溢れる文字が刻まれている。ジョアンは、彼がレース場へ向かうたび、命の危険を感じていたのだ。
素晴らしい感性の持ち主だった妻ジョアンは、コスモグラフ・デイトナの珍しい特別バージョンを選んだ。レファレンス番号6239、エキゾチックダイアルと呼ばれる文字盤が付いている。
レファレンス番号6239は、ロレックスの象徴的なコスモグラフ・デイトナの最初のモデルであり、1963年から1970年頃まで製造されていた。このモデルは瞬時に、そしてはっきりと速度が測定できるよう、ベゼルにタキメーター・スケールが彫り込まれた、ロレックス社初のクロノグラフである。
1980年代、腕時計のコレクションが本格的に広がりはじめ、エキゾチックダイアルが付いたデイトナはポール・ニューマンモデルとして知られるようになった。ニューマン自身が長年、この時計を着けているのを人々が目にしていたからだった。ポール・ニューマンモデルの文字盤には、6時位置にDAYTONAの赤い文字、そしてクロノグラフ針用の赤い目盛りが特徴である。またインダイアルにも特徴がある。インダイアルの数字は美しいアールデコ調のフォントで、インデックスには正方形が使用されている。これが通常のデイトナダイアルとの違いである。
今回のオークションでは、この特別なレファレンス番号6239が登場する。これは1980年代以来、姿を見ることのなかったロレックス“ポール・ニューマン”デイトナの中で最も重要な1本と称される。今回、PHILLIPSのオークションに登場するこの1本こそ、伝説の人物が日々、愛用したものであり、長年、雑誌や書籍で掲載されてきた写真の腕時計そのものなのだ。
ポール・ニューマンはその後、いろいろな年代のデイトナを愛用したが、最初に彼が身に着けたデイトナがこれだ。すなわち彼が所有し、使用した唯一のエキゾチックダイアルのデイトナであることから、究極のロレックス・デイトナとも言えるだろう。
Page02. 長女“ネル”に関係する物語
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予想落札価格1億円以上。20世紀、伝説の腕時計が
PHILLIPSのNYウォッチ・オークションに初出品(2)
長女“ネル”に関係する物語
ポール・ニューマンは1984年までのおよそ15年間、この時計を愛用した。その後は今回の委託者に直接贈られ、驚きの歴史を刻むことになった。ここから先の物語は、ポール・ニューマンと妻ジョアン・ウッドワードの間の長女、エリノア・“ネル”・ニューマンに関係する。
時をさかのぼり、今から34年前――
ネルは子どもの頃から、自分がハリウッド・スターの娘であることをひけらかすことはなかった。1983年、メイン州の大学に通っていたネルは、同級生のジェームズ・コックスと交際を始めた。学校でも自分の生い立ちを隠し、あまり知られていない芸名、“ネル・ポッツ”で通していた。
仲間との夕食の際、父が慈善事業で始めた会社が製造していたサラダドレッシング「ニューマンズ・オウン」を持ってきた。その時、恋人のジェームズが、子どもの頃、ポール・ニューマン本人に会ったことがあると話し始めた。
ライム・ロックのモータースポーツ・レース場を父親と訪れた時のこと。ロープで仕切られたピット・エリアの向こう側から、ジェームズ少年はレーサーと車の写真を撮ろうとしていた。その時、ジェームズ少年を見つけ、もっといい写真が撮れるようにトラックのほうに来なさいと手招きしてくれたのが、レーシングスーツに身を包んだポール・ニューマン本人だったと言うのだ。
この話をきっかけに、ネルはジェームズに自分の本名はネル・ニューマンであることを告白した。
1984年の夏、ネルとジェームズはコネチカット州ウエストポートにあったニューマン一家の家に滞在。ジェームズとポール・ニューマンは“ヌック・ハウス”(隠れ家)として知られたこの家の敷地内にあるツリーハウスを修繕し建て直すことにした。このツリーハウスが気に入って、ジョアン・ウッドワードはこの家を購入することに決めたほどだった。ニューマン夫妻にとって、このツリーハウスは“ヌック・ハウス”の大切な要素で、50年にわたる結婚生活の中心にあるものだった。
ネル・ニューマンはこの話を時計に添付した署名入りの手紙に、以下のように記している:
「そのツリーハウスは大きな樫木の高いところにあって、幼少期を過ごしたコネチカット州ウエストポートの家のそばを流れるアスペタック川に張り出すように設置されていました。私たちはファミリーホームを2軒、川の両側に所有していました。あの夏、父はそのうちの1軒に、ジェームズはもう一方の家で生活していました。父はツリーハウスの進み具合をチェックしに、ちょくちょくジェームズの所へ行っていました。そんな時、父がジェームズに、時間を尋ねました。どうやら父はその朝、腕時計のねじを巻くのを忘れたらしいのです。ジェームズは腕時計を持っていないのでわからない、と答えました。すると父は、ジェームズに自分のロレックスを手渡して、『毎日巻くのを覚えていたら、ちゃんと時間を知らせてくれるよ』と言ったそうです」
その日からジェームズはその時計を大切にし、メンテナンスを絶やさなかった。
ダイアルはオリジナルで修復もされていない。クリーム色のフェイスには温かみのある古ツヤが出ている。針も同様、ケース状態も良い。
ジェームズとネルはその後も友人関係を続け、今回、この時計を売ることを一緒に決めた。
売り上げの一部は「ネル・ニューマン財団」に寄付される。この慈善基金は、父・ポール・ニューマンの慈善活動をサポートするものであり、またネルが取り組んでいるオーガニック食品と持続可能農業のために活用され、その売り上げの一部は、父の「ニューマンズ・オウン財団」に寄付される。
落札価格は、100万米ドル以上の値が付くであろうと予想されている。
結果、$17,752,500、日本円にして、約20億円にて落札。(2017年10月27日に、この一文を追加)
備考1●「フィリップス・イン・アソシエーション・ウィズ・バックス&ルッソ」について:
フィリップス・ウォッチの専門家チームが品質、透明性、そして顧客サービスにこだわり、創設からわずか2年の2016年、1億600万ドルを超える売り上げを達成。腕時計のオークション価格で世界記録をいくつも打ち立てたフィリップスは、わずか2カ所の販売ロケーション(ジュネーブと香港)のみで、2016年に世界市場の不動のリーダーとなった。
備考2●「フィリップス」について:
20世紀、21世紀の芸術とデザインを売買する世界的プラットフォーム。特に20世紀と現代のアート作品やデザイン、写真、時計、宝石の分野を専門とし、収集に関するプロのサービスとアドバイスを行っている。オークションと展示はニューヨーク、ロンドン、ジュネーブ、香港にあるセールルームで行われ、ヨーロッパ、アメリカ、アジアの国々の代理店でもサービスを行っている。またオンラインによるオークションも開催しており、世界中どこからでもアクセス可能としている。
フィリップス
Tel.03-6273-4818
http://www.phillips.com