究極の聖地巡礼。時代を超え、肌で感じる歴史と自然。|TRAVEL
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2023年3月20日

究極の聖地巡礼。時代を超え、肌で感じる歴史と自然。|TRAVEL

TRAVEL|究極の聖地巡礼。時代を超え、肌で感じる歴史と自然

究極の聖地巡礼。時代を超え、肌で感じる歴史と自然

日本の象徴であると同時に、信仰の対象と芸術の源泉である富士山。その麓に位置する富士宮市は、自然と歴史を実際に肌で感じられる街だということをご存じだろうか。今回はそんな富士宮市の歴史を巡るスポットをご紹介。

【鎌倉コース】富士山が引き寄せる歴史

富士宮市は、鎌倉時代に源頼朝が巻狩り(まきがり)を行った地として有名。巻狩りとは、軍事訓練として行う狩りの行事である。武将たちが、四方から一斉に獲物を追い込み、弓で射止める狩猟方法だ。
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)
富士山本宮浅間大社。全国に約1300社ある浅間神社の総本宮であり、世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉-」の価値を証明する構成資産の一つである。
源頼朝は富士の巻狩の時にこの浅間大社に流鏑馬を奉納。これが始まりとなり現在に至るまで毎年5月に流鏑馬まつりが開催されている。
境内には湧玉池(わくたまいけ)と呼ばれる池がある。富士山の噴火によってできた地層を通り、約20年の年月をかけて濾過された湧き水が溜まる場所だ。その水温は1年を通して14°C前後で安定しているそう。また、平安時代から現在まで体を清める禊場(みそぎば)として使われており、1秒間で2Lペットボトル1800本の水が流れ続けている。
白糸ノ滝(しらいとのたき)
富士宮市が誇る名瀑「白糸ノ滝(しらいとのたき)」。一般的な川の水が崖を落ちる滝とは違い、富士山の雪解け水が地層の境目から湧き出して形成されている。
源頼朝は富士の巻狩りで白糸ノ滝を訪れた際、その美しさを「この上に いかなる姫や おわすらん おだまき流す 白糸の滝」という和歌を詠んだと伝わっている。
お鬢水(おびんみず)
こちらはお鬢水(おびんみず)と呼ばれるスポット。源頼朝が富士の巻狩りの際、ここに立ち寄ったといわれている。また、水面の揺らめきがないため、鏡代わりに髪のほつれを直したというエピソードから名づけられた。
音止の滝(おとどめのたき)
日本三大仇討ちの一つである「曽我兄弟の仇討ち」をご存じだろうか?
冒頭でも説明したように、源頼朝が富士の麓にて巻狩りを行った。その際、兄の曽我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり)と弟の曽我五郎時致(そがごろうときむね)が父の仇である工藤祐経(くどうすけつね)を討ったという出来事である。
音止の滝付近は、曽我兄弟の仇討ちが行われた舞台として、現在まで逸話が語り継がれている。また、江戸時代頃に人形浄瑠璃や歌舞伎を通して「曽我兄弟の仇討ち」が人気となり、知名度を爆発的に上げていったそう。
音止の滝という名前の由来は下記の通りだ。曽我兄弟が岩場(曽我兄弟の隠れ岩)にて工藤祐経の討ち入りについての密議を行っていた。
しかし、滝の音に声がかき消され相談が進まず、兄弟が嘆いたところ、滝の音がぴたりと止まり、相談が終わると再び滝の音がとどろいたという。
曽我八幡宮(そがはちまんぐう)
曽我八幡宮は、父の敵討ちを果たし曽我兄弟の孝行心に感動した源頼朝が、畠山重忠(はたけやましげただ)に命じ、地域の住民に兄弟を祀らせたのがはじまりとされている。
鷲鷹八幡宮(わしたかはちまんぐう)
曽我兄弟の討ち入りの際、兄の曽我十郎祐成は斬り合いの末に亡くなり、弟の曽我五郎時致も捕えられてしまう。そして弟の曽我五郎時致は処刑。その後、鷲や鷹が兄弟の死体を啄み、その肉片をこの地に落としたためその名がつけられたといわれている。
陣馬の滝(じんばのたき)
陣馬という言葉には「陣取っている場所」という意味があり、巻狩りの際に源頼朝が付近に陣を張ったことから名づけられたという。
また、ここには太鼓石という逸話が残っている。夜中に太鼓を叩くような音が響き渡り、不審に思った源頼朝が家臣に命令して調べさせたところ、家臣が滝つぼで真ん中に空洞が空いている石を発見した。
このような形の石を溶岩樹型(ようがんじゅけい)と呼ぶ。富士山の噴火により溶岩が流れ出し、木を飲み込んでいく。木を飲み込んだ形で溶岩が冷やされて固まり、中の木は燃え尽きて灰になってこのような形になるのだそう。
狩宿の下馬ザクラ・井出家の館(かりやどのげばざくら・いでけのやかた)
源頼朝が巻狩りを行った際、ここに陣取ったという。
敷地内に植えられた桜は、日本五大桜の一つ「狩宿の下馬ザクラ(かりやどのげばざくら)」。源頼朝が富士の巻狩りの際、馬から降りた所とされたことが名前の由来。また、この桜の枝に馬をつないだという逸話から、別名「駒止めの桜」とも呼ばれている。古くから桜の名所として知られていたことから多くの偉人や俳人、画家が立ち寄り、作品を生み出したそう。また、最後の将軍である徳川慶喜もこの桜について俳句を詠んでいる。

【戦国コース】徳川家康ら名将達が訪れた街、富士宮市。

ここまで紹介してきたコースは、主に鎌倉時代のスポット。その後、時代は進み戦国時代へ。1400年中期〜1600年前期の富士宮市は、武田氏・今川氏・北条氏の3勢力が入り乱れる場所だった。
富士山本宮浅間大社は徳川家康とも深い関係にある。
慶長5年(1600年)に起こった天下分け目の大戦「関ヶ原の戦い」に勝利した徳川家康は、そのお礼として本殿、拝殿、楼門などを寄進したという。そのため、本殿などには天皇家、徳川家、豊臣家の家紋が装飾されている。
また、安永8年(1779年)には徳川幕府が富士山8合目より上を、富士山本宮浅間大社の境内と認定。現在でもその取り決めは変わっておらず、その後は紆余曲折があったが、現在も富士山本宮浅間大社の所有地となっている。
徳川家康だけでなく、実は武田信玄にもゆかりがある。境内にあるしだれ桜は、信玄公の寄進とされ、「信玄桜」の名で親しまれている(現在の桜は二代目)。
富士見石(ふじみいし)
富士山本宮浅間大社からすぐ、富士見石と呼ばれるスポット。天正10年(1582年)に織田信長が武田氏に勝利し、甲州から凱旋した。その際にこの地を訪れ、この石に腰をかけて富士山を眺めたという。
神田市神社(かんだいちじんじゃ)
神田市神社は「市神さん」と呼ばれる商いの神様。戦国時代、浅間大社付近では市場が開かれており、この地域を支配していた今川氏は市場の平和保障のため楽市令(通称「富士大宮楽市令」)を、浅間大社の大宮司に発給した。その市でもこの神社のように、市神様が祀られていたのかもしれない。
神田蔵屋敷稲荷神社(かんだくらやしきいなりじんじゃ)
当時、大宮城の年貢米や兵糧を納めていた蔵がこの地に建っていたことに由来し、神田蔵屋敷稲荷神社と名付けられた。商売繁盛の神様を祀っている。
戦国時代、周辺には大宮城という城館があり、浅間大社・大宮司富士氏の拠点となっていた。武田氏が今川氏を攻めた際、富士氏は大宮城に籠城して今川方として戦ったが、信玄公が自ら指揮をとった攻撃によって降伏、開城。その後、武田氏により城の増改築がおこなわれたが、その後の戦いの中で焼失し、現在は残っていない。
北山本門寺(きたやまほんもんじ)
富士宮市北山にある、日蓮宗の七大本山のうちの一つ。永仁6年(1298年)に日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の直弟子である日興上人(にっこうしょうにん)が開創した。
また、本門寺には、徳川家康が武田氏と戦う際にここに立ち寄ったと伝わっている。当時の住職は、88歳の日出(にっしゅつ)住職だった。
徳川家康は、その住職の年齢や名前がとても縁起が良いと感じ、お守りをいただけないかと相談したという。
その際、日蓮大聖人が書いた曼荼羅(まんだら)をお守りとして渡した。
徳川家康は受け取った曼荼羅を棒に括りつけて戦場で掲げていた際、武田軍の鉄砲の弾がそれに当たり、軌道が変わって一命を取り留めたといわれている。
その逸話から現在は「鉄砲曼荼羅(てっぽうまんだら)」と呼ばれ、現在でも宝物庫にて厳重に保管されている。
また、徳川家康はこの曼荼羅の礼に何が欲しいか日出に聞いたところ、日出が周辺の水不足解消のための用水開削を願ったため、家康は家臣に命じて用水を開かせた。この用水は、現在は「北山用水」と呼ばれ、現在も存在している。
人穴富士講遺跡(ひとあなふじこういせき)
人穴富士講遺跡とは、富士講(富士山への信仰)の祖である長谷川角行(はせがわかくぎょう)が修行したといわれる場所だ。また、人穴と呼ばれる約83mの洞窟があり、中にはコノハナノサクヤヒメが祀られている。
洞窟内は現在、一般開放されていないが、今回は特別に許可をもらい洞窟内の撮影をさせていただいた。
長谷川角行は人穴にて1000日間の厳しい修行の末に、仙元大日神(せんげんだいにちしん)より長谷川東覚(はせがわとうかく)の名を授かった。その後、長谷川角行は人穴で大往生を遂げたとされており、それ以来この場所は「富士講の浄土」とされている。
実は徳川家康にもゆかりがある人穴。徳川家康は織田信公と武田氏を攻めた際に、徳川家康が武田軍から敗走する途中で人穴を発見し、長谷川角行に匿われて一命を救われたという伝承がある。徳川家康はその礼に、人穴村に課せられた税金を免除したとも伝わっている。

富士山の麓で、歴史と自然が共存する街、富士宮市。

鎌倉・戦国時代の痕跡や逸話を肌で感じることのできる数少ない場所だ。
また、富士山の湧き水で育った野菜、魚はどれも絶品の一言。大河ドラマにゆかりのあるエピソードが詰まった富士宮市。富士山の恵みを味わう「究極の聖地巡礼」を体験してみてはいかがだろうか。
問い合わせ先

富士宮市観光課
Tel.0544-22-1155
http://www.city.fujinomiya.lg.jp

                      
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