プロフェッショナルと巡る森~岐阜・飛騨地方の自然とアクティビティ~Chapter 2
特集|プロフェッショナルと巡る森~岐阜・飛騨地方~
Chapter 2:天生県立自然公園と飛騨古川
湿原を残す難しさ(1)
岐阜県は平成19年より、オリジナリティのある新しいタイプの観光資源を発掘するための「飛騨・美濃じまん運動~岐阜の宝もの認定プロジェクト」を推進している。この「岐阜の宝もの」に、平成23年度に認定されたのが「天生(あもう)県立自然公園」である。高層湿原と、手つかずの原生林を擁する広大な森。そこへインタープリーター(案内人)、すなわち森のプロフェッショナルとともに分け入っていく。
Photographs by JAMANDFIXText by KASE Tomoshige(OPENERS)
第一回のレポートでは「トヨタ白川郷自然學校」による、きわめて身近な、自然と触れ合うための第一歩となるようなガイドツアーを紹介した。2日目はもう少々深い自然へと歩を進めていくことになる。
白川郷から国道360号、勾配のある山道を経て20分ほどで「天生(あもう)県立自然公園」に到着する。岐阜県北部、飛騨市河合町と大野郡白川村にまたがる総面積約1600ヘクタールの森だ。最大の特徴は約1400メートルの標高に広がる高層湿原と、日本の森の豊かさをシンボライズする原生林である。
出発の朝は土砂降りとはいわないが、かなりの雨であった。9月中旬は日本全国が台風の季節。天候は不安定である。取材としては雨が降っていないほうがひと手間省けるが、雨の森もまた美しいものであろう。
待ち合わせ場所の駐車場にあらわれた岩佐勝美さんが今回の案内人である。社団法人・飛騨市観光協会理事で企画開発部長を務めるとともに、この天生の森の公認ガイドでもある。「あいにくの天気になってしまいましたが、私は雨の森も好きなんです。雨が降っている時ならではの現象もあらわれると思いますので、そのあたりを注意しながら行ってみましょうか」
雨具を着込み、駐車場から緩やかな坂道を登っていく。10分ほど歩いたところで、峠跡に出る。森はこの峠を境に南北で異なる様相を見せる。北は人の手が入った里山の景観が広がるが、南側はほとんどが手つかずの湿原や原生林である。
「さっそくですが、雨ならではの現象が見られましたね」と岩佐さんが見上げながら言う。白く滑らかなブナの幹の表面を、水が川のように流れ落ちていく。「樹幹流(じゅかんりゅう)といいます。枝葉を広げたブナに降り注いだ雨水が集まって、幹に流れていくんですね」。ブナはその葉にも特徴があり、葉脈部分が溝のようにへこんでいる。これが無数の雨どいのような役割を果たしながら、枝に水を流し、枝は幹に水を流していくのだという。ブナの木肌に流れる水は思いのほか多量で、見ごたえのあるものであった。
40分ほど歩くと、高層湿原の入り口に到着する。見事な広さである。湿原の植生は非常に豊かで、雪解け直後のミズバショウにはじまり、コバイケイソウ、ニッコウキスゲ、シラヒゲソウなど、9月中旬まで折々の花が顔をのぞかせる。10月以降は紅葉である。カエデ類、ブナ、ナナカマド、ツタウルシが色づき、黄金色に朱を散りばめた風景が広がるはずだ。湿原の周囲には木道が張り巡らされており、歩きやすさは申し分ない。
「この木道というのも、湿原の周囲に作る場合はいろんな注意が必要なんです」と岩佐さん。「湿原には周囲の森から浸透水が流れ込んできます。水は季節によって、あるいは年によっても微妙に流れが変わるようです。その水を木道でせき止めてしまうと、植生が変わってしまうんです」。そのため高床式のように、木道の下に水の通り道を作ってやらなければならないそうだ。
ブナの巨木に、空気のきれいなところでないと育たないといわれる地衣類、サルオガセがからまっている。湿原を一周して景色を楽しみ、さらに先へ。ここから先は原始の森である。先述した総面積1600ヘクタールのうち、実に1000ヘクタールが保全地域となっている天生の森。とくにブナの原生林は、ツキノワグマ、リス、ノウサギなどさまざまな動物たちを育む生態系の宝庫である。
カラ谷登山道を進む。道の両脇にカツラ、サワグルミ、オヒョウの巨木が連なり、その存在感に圧倒される。ブナはもちろんだが、これだけの巨木が残る森は、残念ながらこの日本では十指に満たないのではないか。岩佐さんはひとつひとつの木について、細かく教えてくれる。その言葉はもちろん客に向けて発せられているのだが、それぞれの木に語りかけているようにも感じられた。「このカツラの葉はとてもいい匂いがするんですよねえ」「ブナにツタウルシがからまっていますね。もう少し先には真っ赤に染まって、きれいなんですよ」──森の案内人は、何百と繰り返してきたに違いない説明を、いま初めて伝えるかのように語り続けた。岩佐さん自身がこの自然に感動している。そのことに私は驚きを覚えながら、出発地点の駐車場へと戻った。
ここ天生県立自然公園は、岩佐さんのような公認ガイドとともに歩くのが絶対にお薦めだ。植生、地理、歴史など、さまざまな角度から“自然を教えてくれる”からだ。プロフェッショナルとともに、充実した森歩きを楽しんでいただきたい。
最後にこれだけの自然、とくに非常にデリケートなバランスのうえに成り立っている湿原を保護していくというのは、並大抵の苦労ではないことを申し上げておこう。木道の整備、携帯トイレの設置と啓蒙、高山植物盗掘に対する警備など、岩佐さんをはじめとするパトロールの方々、ガイドの方々は、尽きることのない実務に対応しているのが現状である。それでも穏やかに岩佐さんは言う。「お年寄りは、昔に比べて森が荒れた、なんてことをよく言いますね。適度に人の手が入れることで、自然と人間は長い間、うまくやってきたんじゃないでしょうか」。この言葉にもまた、人と自然が共生するヒントがあると思う。
特集|プロフェッショナルと巡る森~岐阜・飛騨地方~
Chapter 2:天生県立自然公園と飛騨古川
湿原を残す難しさ(2)
歴史の街、歴史の宿
天生(あもう)県立自然公園内の湿原、原生林を巡り、登山口の駐車場に帰ってくる。約2時間の山歩きであった。雨は小降りとなり、空は明るくなってきた。雨具を乾かしながら弁当を食べ(通常は公園内で昼食をとる場合が多いが、今回は雨天だったため)、森の案内人に別れを告げた。
国道41号線を目指して西へ車を走らせ、1時間の道のりで飛騨古川に到着する。岐阜県北部の中央に位置する古い街である。戦国時代、豊臣秀吉の命を受けた金森長近(かなもり・ながちか)が飛騨を統一。1589年に二代目の可重(ありしげ)がこの地に飛騨唯一の平城「増島城」を築き、城下町を作ったことが礎となっている。またさらに遡って奈良時代、都に出向き神社仏閣の造営に活躍した飛騨の大工は、その卓越した技から「飛騨の匠」と称されたという。その技術はいまも受け継がれ、古川の街並みを形成する、伝統的な木造建築の町屋に息づいている。
伝統建築に対する住民の高い意識と、街並みを具体的に支える現代の匠たちについては、次回のレポートに譲ろう。今回は古川にて泊まった宿「八ツ三館(やつさんかん)」について記す。
「八ツ三館」とは変わった名前であるが、創業者が富山・八尾の出身で、その名を三五郎といったことから名づけられたそうだ。その歴史は安政年間(1854~59年)までさかのぼる古い宿である。建物の一部は国の登録有形文化財に指定されている。
荒城川を挟み、飛騨古川のシンボルのひとつである本光寺と向かい合うようにして、八ツ三館は静かに佇んでいる。飛騨古川駅からも歩いて行ける距離ではあるが、荷物が多ければタクシーをお薦めしたい。到着したのは遅い時間であったが、若女将の池田理佳子さんが迎えてくれた。
宿の第一印象はその風格である。まずは応接室で茶をいただいたのだが、この応接室が大正時代はかくやと思わせる「年代もの」である。同様に、1階の談話室、シアタールームなども古い調度でしつらえてあり、独特の雰囲気を漂わせている。
客室も同様で、明治38年に再建された時の姿を残している「招月楼」の6室は、飛騨の商家造りを今に伝え、江戸時代の香りを残している。この部分が先述した国の有形登録文化財である。
そのいっぽうでモダンな部屋も用意されている。ベッドルーム、リビング、8畳の間取りに部屋付き露天風呂のある「光月楼」の「池月の間」である。文化財となっている古い部屋に泊まるもよし、新しいタイプの部屋に泊まるもよし。好みでセレクトしていただきたい。
夕食は懐石形式である。ここ飛騨古川は岐阜の最北部といっていい。すなわち、海の幸は太平洋ではなく富山側、すなわち日本海から届く。ホタテとサンマの燻製、カツオ、カンパチ、アマエビの造りなど、山間部の宿とは思えぬほど、海の食材も充実している。
もちろん飛騨ならではの秀逸な料理も次々に供される。秋ならではの子持ちアユの塩焼き、飛騨牛のステーキ、トチの実うどんなどである。宿の歴史を感じさせるような正統の懐石であるが、気取ったところのない、真心の伝わる料理であった。またご存知の通り岐阜県は水どころ、酒どころである。料理とともに、地の酒を存分に楽しませてもらったことも申し添えておく。
次回最終回は、ここ飛騨古川の匠の技、すなわち伝統建築についてと、里山とともに現代を生きる人々についても言及したい。もちろん今回のメインテーマである森については、日本では珍しい入山規制を設けている森、「五色ヶ原の森」について報告する。
天生県立自然公園
社団法人 飛騨市観光協会
Tel. 0577-65-3025
amounomori@hida-catv.jp
飛騨市観光課
Tel. 0577-73-2111(代)
syokokanko@city.hida.gifu.jp
飛騨古川 八ツ三館
岐阜県飛騨市古川町向町1-8-27
Tel. 0577-73-2121
料金|1万8000円~
(1泊2食付1名分/サービス料別)
IN/OUT|15:00/10:00
info@823kan.com
http://www.823kan.com/
岐阜県観光課
Tel. 058-272-8393
http://www.kankou-gifu.jp/(岐阜県観光連盟公式サイト)