INTERVIEW|『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』石川直樹×角幡唯介
LOUNGE / MOVIE
2015年1月29日

INTERVIEW|『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』石川直樹×角幡唯介

INTERVIEW|対談 石川直樹×角幡唯介

映画『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』公開

世界を歩いた2人の男の視点(1)

ドイツの巨匠ヴェルナー・ヘルツォークがはじめて3D映画を撮った。『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』。1994年に世界最古の壁画が発見されたショーヴェ洞窟に、研究者以外で入ったのはヘルツォークが初といわれる。今回、この映画を観た2人の作家に話を聞くことができた。世界中の洞窟壁画を撮影した写真集『NEW DIMENSION』の著作もある写真家・作家の石川直樹と、人類未踏の地、ヤルツァンポー渓谷での探検を記録した『空白の5マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した作家・探検家の角幡唯介。早稲田大の探検部出身という共通点もある2人が自身の体験も交え、この映画について語った。

Photographs by JAMANDFIXText by SUGIURA Shu(OPENERS)

世界最古の洞窟壁画を、ヘルツォークの3Dカメラがとらえた

石川直樹(以下石川) ショーヴェの壁画は研究者ではなく、ケイビングをやっている人たちが発見したんですよね。 横穴ではなく縦穴から垂直に洞窟に降りていった先に、これがあった。アジアやアフリカの僻地ではなく、冒険や探検が盛んなフランスで、しかも20世紀も終わりの1994年に3万年前の壁画のある洞窟が見つかるというのは、本当にすごい。

ヴェルナー・ヘルツォーク,世界最古の洞窟壁画,忘れられた夢の記憶,ショーヴェ,石川直樹,角幡唯介,2

ヴェルナー・ヘルツォーク,世界最古の洞窟壁画,忘れられた夢の記憶,ショーヴェ,石川直樹,角幡唯介,3

角幡唯介(以下角幡) 壁画とか美術の専門家が調査中に見つけたわけでなく、ケイバーが偶然見つけたってことか。こんなのあったらすごいビビると思うんですよ。
でもこんなに綺麗な状態なんだから見つけた人は絶対にそんな古いものだとはおもわなかったはずですよね。おもうのかな?

石川 この周辺からは壁画がけっこうたくさん見つかってるし、そのことを知っていれば、世紀の大発見に打ち震えたかもしれない。洞窟のだいぶ奥にあったわけだし、とんでもないことだとおもったはずだよ。

角幡 マンガというか劇画っぽい。こういう描き方の壁画って普通なの? 石川君の写真集『NEW DIMENSION』を見るとアボリジニはもっと抽象的に描いてるじゃん。

石川 フランスの洞窟壁画が注目されるのは、絵のレベルが高くてモチーフがしぼられているから。アニメーションの原型のような、ストップモーション的な描き方のものもある。ラスコーの壁画はあまりにも有名だけど、それに匹敵するかそれ以上の規模の壁画がここで見つかったんだよね。ラスコーにはあらゆる手段を使って撮影に行こうとしたけど、やっぱり入れなくて入れたのは近くに作られたレプリカの洞窟だけ。

ヴェルナー・ヘルツォーク,世界最古の洞窟壁画,忘れられた夢の記憶,ショーヴェ,石川直樹,角幡唯介,4

――ショーヴェはラスコーよりもっと入るのが難しい?

石川 一般人は申請したって許可さえも出してくれないですよ。ラスコーは正式に許可申請すれば、何年か待ちで入れるけど、ショーヴェはその気配もない。3万年も前の壁画が鮮明に残されていたのは、外気からほとんど遮断されていたからで、フランスの文化庁も細心の注意をはらっています。

角幡 ショーヴェの入口の金庫みたいな扉がすごいですよね。金のかけ方というか保存に対しての姿勢がすごい。

ヴェルナー・ヘルツォーク,世界最古の洞窟壁画,忘れられた夢の記憶,ショーヴェ,石川直樹,角幡唯介,5

石川 ラスコーは初期のころ、けっこう人を入れちゃったがために壁画の状態が悪化した。その反省からショーヴェはかなり厳重にしているみたいだね。

――3Dで撮ったことに関してはどう思いますか?

石川 洞窟壁画って壁の凹凸を利用して、動物に見立てながら描いてるんですよ。だから3Dで見ると、描かれた状況と環境がよくわかるし、奥行きも実感できる。壁画全体を引いて見れないような細い通路とかに描かれている壁画もある。

それはあきらかに誰かに見られることを前提に描かれていない。そういう周囲のことも含めて、壁画をしっかり体感するには3Dはすごく有効な表現方法だったんじゃないかな。

角幡 この人なんでこんな絵描いたのかなとか、どこかで練習したのかな、とかいろいろ考えちゃいますね。足跡の話がありましたよね。子どもの足跡がオオカミの足跡と並んで残っていたりとか。太古の時代、こんなところに人がいたのかと。普段そういうこと考えないし、感じさせてくれる貴重な機会だった。そこに人がいたっていうのに単純に感動する。

2ページへ続く

ヴェルナー・ヘルツォーク,世界最古の洞窟壁画,忘れられた夢の記憶,ショーヴェ,石川直樹,角幡唯介,6

世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶

2012年3月3日(土)公開
3週間限定春休み特別ロードショー
TOHOシネマズ六本木ヒルズほか

監督/ナレーション|ヴェルナー・ヘルツォーク

日本語版ナレーション|オダギリジョー

2010年/アメリカ/90分/デジタル3D
http://www.hekiga3d.com/

INTERVIEW|対談 石川直樹×角幡唯介

映画『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』公開

世界を歩いた2人の男の視点(2)

人が絵を描く根源的な理由とは?

――石川さんが壁画を追いかけてきたのも、そういった魅力があったから?

石川 人間の直接の痕跡ですからね。たとえば遺跡だったら、そこに人が住んでいましたと説明されてもいまは草がボーボーに生えていたりして、貧しい想像力でおもい描くしかない。でも、壁画のような直接の痕跡は、そこにいない人が意思を持って手を動かしたっていう身振りが生々しく伝わってくる。壁画を辿っていくと太古の人たちの営みに触れられるんじゃないかという想いで旅をしていて、それが『NEW DIMENSION』という写真集にまとまったわけです。

角幡 こういう時代の人たちの世界の見方って僕らとずいぶんちがうとおもうんですよ。自然のなかで完全に一体化して暮らしていたはずだから、どういう意識を持っていたかっていうか、世界に対してどういうふうに向き合って、自分を自然のなかでどう位置づけていたのか。こういう絵を見るといろんなこと想像させられますよね。僕らの想像の及ばないような人たちだから、その想像が及ばないところがまたいいというか。

石川 探検部のときはこういう壁画探しみたいなテーマはなかったの? 探検部では、中国奥地で人食いパンダとかを探してたこともあったよね(笑)。

角幡 そういうアカデミックなというか、そういうスタンスは僕にはなかった(笑)。

石川 壁画がなぜ描かれたのかっていうのは、いろんな人がいろんな説を唱えているけど、狩猟の方法を描いたっていうのもあれば、なにかの呪術的な意味合いが込められていたという人もいる。ただショーヴェに関しては、バイソンや馬などの動物がメインになっているし、人為的に置かれた熊の頭蓋骨も出ているから、狩猟にも呪術にも両方関わっているはず。

角幡 当時から5000年前に描かれた絵の上に、あたらしい絵が描かれたっていうものもありましたね。だから時間の感覚もちがったんだろうなと。僕らにとって5000年前っていったら縄文時代、中国だったら殷(いん)の時代、それこそハンムラビ法典とかの時代で想像のつかない世界だけど、彼らにとっては5000年前でも地続き感っていうのがあって、だからそんな絵にも上から描いちゃったりできたのかなと。

石川 世界中の壁画を見ると、重ね描きしているものも結構あるんですよ。インドのビーマベトカの壁画なんかもけっこう重ね描きされていて。普通は絵の上にまた絵を描くっていうのは躊躇することなんだけど、自由に描かれている。ショーヴェなんかも、あえて上から描いてる部分がいくつもある。動きを表しているのかもしれない。

角幡 すごいよね。

石川 昔は松明の炎で照らしながら壁画を描いていたはずで、その方法だと壁画の動物たちがゆらいで見えたりもする。酸欠になってしまう可能性もあるし、ある種の幻覚状況のなかで描きながら、意識がぶっ飛んてトランス状態になることもあったとおもうんですよね。そんな状況で動物を描いたり女性器を描いたりっていうのは、常人の仕業じゃないようにも思う。映画にも出てくるけれど、手をかたどった壁画「ネガティブハンド」も興味深いですね。これは壁に手を置いて口に含んだ顔料を吹き付けて手の輪郭を残した跡。洞窟の壁に間近まで顔を近づけながら延々と息を吹き続けるというのは、苦しいし、視界も遮られるし、特異な体験だったはずです。真っ暗ななかでのそういう行為って、描くというよりも、壁の奥の世界になにか語りかけてるような側面もある。

――ネガティブハンドは世界中でもあるようですが、どういうことなんでしょうか。

角幡 手に対して特別ななにかがあったのかな。手って外界に対して働きかける最先端の人間特有の部位というか。

石川 ボルネオのあたりでこういうことをやってる人たちがまだいて、彼らは家系図みたいな使い方をしている。写真のネガフィルムじゃないけど、わざわざ反転画像にしているというのが興味深いですよね。太古のネガティブハンドが、僕は最初の写真だと思っていて、動いているものをそこにとどめておきたい、ほしいものを捕まえたいという人間に備わった根源的な欲望が具現化したものだとおもう。描かれてるのはたいてい食料となるような獲物ばかり。狩猟を成功させたいという願いが込められていたのかなと。先史時代の壁画のモチーフは、ほとんどが動物たちで、花とか木が描かれることは、決してない。動いている生き物ばかりなんだよね。写真を撮る行為っていうのは、被写体から何かをほんの少し奪い取る行為だとおもっていて、欲望とかエゴイズムとも関係している。昔の人も意のままにならない動物を自分の側に引き寄せたい、あるいは自由に扱いたいという欲求があったから、それを描いていたんだとおもってます。

――そもそも壁画に興味をもったきっかけは?

石川 タイムスリップはできないですけれど、古代の人の生の痕跡に触れることはできる。そこらの遺跡に行くよりももっと直接的なものを見てみたいという思いがあって、そうすると壁画が一番ダイレクトだった。北海道の余市にフゴッペ洞窟というのがあって、日本でほとんど唯一と言っていい先史時代の洞窟壁画です。アイヌよりももっと前の人々が刻んだ壁画で、翼のようなものがある人物の刻画もあります。ユーラシア大陸北東のアムール川沿いのシャーマンは、脇の下にビラビラした飾りのついた服を着て、儀式のときにはトランス状態になったりするわけですが、そういった文化と北海道の沿岸は繋がりがあったんじゃないか。アムールの人があの辺にカヌーで渡ってきて……と考えていくと、たくさんのことが見えてくる。そうやって考えを巡らせていくうちに、世界中の壁画も見てみたくなったわけです。

角幡 当時の人たちがどういう世界認識していたのかみたいなことを探ることで、彼らの考え方を自分のものにできるんじゃないかと?

石川 自分のものにすることができるかわからないけど、自分なりに考えたいと思った。本を読んだだけでは決してわからないし。壁画って、絵柄を見ただけじゃ意味がない。その場に立って、まわりの環境と一緒に見ないと何も分からないから。だから、この映画に関していうと、3Dの手法で壁の凹凸や洞窟の奥行きなどがわかるので嬉しいですね。ショーヴェにはまだ当分入れそうにないけど、3Dの映像で、しかもあのヘルツォークの手によって、いろんな角度から壁画に触れられたのは、僕にとって幸福な体験だった。

――古代の人は、なぜ描いたのでしょうか。

石川 洞窟の入り口付近は光が入るけど、光の入らない真っ暗なところで絵を描いてるのがおもしろい。明るいところで描けばいいのに、奥の真っ暗なところに描いてるのは、場所の意味があるからでしょう。不用意に呪術と結びついてると断言はしないほうがいいけど、クマの骨が祀られていたように、あきらかに祈りの痕跡のようなものが見て取れる。

角幡 正面から見ると女性器で、アングル変えるとバッファローになっている絵がおもしろかった。半神半獣というか。

石川 僕は半獣半人というモチーフが好きで、世界中でそういうのに出会うと必ず写真を撮ってます。バリ島には、顔が動物で体が人間の石像をいくつも見かけたし、ほかの地域にもいろいろあるよね。ショーヴェの女性器、というか女性の下半身とバッファローの前足の組みあわせは言われなければわからないほど判然としないけど、当時の人々の「見立て」の力はすごいなと思った。単に光で照らすんじゃなくて、松明とかで見ていくと、さらに印象がちがうかもしれない。

角幡 撮影隊も入れなかったそのさらに奥には、ライオンの群れの絵があるんでしょ? 見たいよね。

石川 角幡さんは、こういう洞窟探検やケイビングはあまりやらないの?

角幡 泥とかで汚くていやなんだよね。ああいうのはあまりやりたくない。でもケイビングする人って暗いよね(笑)。一番陽気なのは海の人、サーファーとか。次は川下り。で、山、洞窟。どんどん性格が暗くなる(笑)。

石川 いまおもいだしたんだけど、アラスカのシシュマレフっていう北極圏の村で、おじさんがセイウチの骨に彫り物をしていて、それを俺に売りに来てくれたことがあったのね。セイウチのあご骨なんだけど、その歯の一部が白クマに似てるからってシロクマの顔を骨に描いたり、ここは魚に似てるからって窪みに魚を描いたりしてた。つまり、骨の形状を何か別のものに見立てて作品を作っていたわけ。子どもが雲を見て何かの動物に似てると言ったり、月の模様がウサギに似ている、という感覚と通じるものがあるんじゃないですかね。ショーヴェの壁画も岩の凹凸を動物に見立てて描いてるよね。絵っていうとふつうは2次元の世界だけど、それを3Dあるいは、さらに隠れた次元に触れながら描いていた人もいたはずで、やっぱりこの洞窟を3Dで撮影した意味は大きいとおもう。

角幡 こういうの描いたのって男だと思うんだよね。男って外に対する関心が強いじゃないですか。僕の冒険なんかも女の人は絶対理解してくれないし。やっぱり女の人は子どもが生まれるし、産めない男は外に対して生きてる実感を求めるというか。外に対する分析とか働きかけって、性の差があるとおもう。

石川 ラスコー洞窟には、勃起した人間が倒れていて、その近くに鳥の顔のようなものがついた槍が立っているという絵もある。で、その脇にバッファローのような動物がいる。それを描いたのは、勝手な想像だけど男っぽいね。動物を殺して陶酔状態に陥っているのかもしれない人間。ラスコーのほうがそういう性的な絵は多いかもしれない。

3ページへ続く

INTERVIEW|対談 石川直樹×角幡唯介

映画『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』公開

世界を歩いた2人の男の視点(3)

人が生きた痕跡に耳をすまし、想像する

石川 ショーヴェは入口がなにかのきっかけによって岩でふさがれちゃっていたから長いこと見つからなかったんだよね。プロのケイバーじゃないと見つけられなかったのも当然だった。入口が普通に水平方向に開いてたら、こんなにいい状態で壁画は残ってなかっただろうし。でも最初に見つけた探検家のインタビューなんかが映画に出てくるかと思ったら一切なかった。石槍を投げているヘンなおじさんのちょっと笑える場面はあったけれど、最初の発見者たちの肉声も聞いてみたかったな。

角幡 壁画の学者だけでなく人類学者とかいろんな専門家のインタビューがあって、多角的に迫っていこうとはしていたよね。

――この映画をきっかけに壁画や洞窟に行きたくなったりしましたか?

角幡 こういう思ってもみなかったものに出合った衝撃というのはすごかったんだろうなと。ツアンポーっていう渓谷にチベット仏教のシャングリラ伝説というものがあるんですが、現地に行ったとき川辺に巨大な洞窟が出てきて、やっぱりそこでこれってひょっとしてシャングリラの元なんじゃないのって思うわけですよ。そういう思ってもみなかったときの驚きとか感動が忘れられないですね。まあショーヴェのほうが明らかにすごいもんだけど、最初に入った探検家の衝撃っていうのはすごかったんだろうな。

石川 ヘルツォークは、イギリスの紀行作家、ブルース・チャトウィンと仲がよかったんですよね。HIVを患って病床にいたチャトウィンが、死ぬ間際に形見のリュックサックか何かをヘルツォークにあげたというエピソードもある。チャトウィン自身がアボリジニの文化を追って『ソングライン』という本を書いているし、ヘルツォークはアボリジニをテーマにした作品も作っているから、先住民の文化には前から高い関心を抱いていたはず。だから世界最古のこのショーヴェに撮影で入れたというのは、ヘルツォークにとっても幸せな体験だったんじゃないかと思いますね。自分もなんかの理由にかこつけて、いつか洞窟に入りたいですよ。

――角幡さん自身はなぜ探検に魅せられるのでしょうか?

角幡 厳しい自然のなかに身を置いて、自分の存在を感じるというか。その自然が未知なもので、自分が一瞬先もどうなるかわからない状況というのを求めてるんでしょうね。

石川 でもいま地理的な未知の場所なんてほとんどないよね。見つけること自体が難しい。

角幡 いまは極夜(一日中陽が昇らない)の北極に行ってみたい。地図がないとかそういう種類の未知はないけど、極夜の北極なんて、旅した人なんてほとんどいない。植村直巳は行ってるけど、あんまり書いてないんですよ。「太陽がついにのぼった!」くらいのことは書いてるんだけど、それがどういう世界なのかとか、ほんとにまったく太陽が昇らないのか、じつは地平線の向こうが明るくなるのかもしれないし。やっぱり行ってみないとわからないから行ってみようかと。

石川 数年前クリスマス前後にグリーンランドへ行ったときは、3時間くらいだけ日がのぼったよ。グリーンランドの西側、真ん中あたりの村の話。

角幡 そんなに北でも明るくなるんだ? 困ったな(笑)。カナダの北のエルズミーア島に行きたいんだよね。いまは誰も行ったことのないところというより、誰もやったことのないことをやって、それがどういう世界かというのを知りたい。それで最終的には本にしたいという。

石川 完全に探検家の精神だね。僕にはそういうのはあまりない。自分が探検家になれないのは、単純に苦しいのが嫌だからということがある。北極や南極の極夜なんて地獄みたいなもんで、寒くてまっ暗ですよ。そんななか、3カ月かけて歩くなんて、僕にはできない。

角幡 宗教と冒険て関係あるような気がする。ジョーゼフ・キャンベルの『神話の力』で、イヌイットのシャーマンの話が冒頭にあって、シャーマンが言うには「貧困と苦しみを通してしか、世の中本当のことはわからない」と。なんかすごいよくわかるって思って。冒険することもたぶんこういうことだなって思う。その言葉が気に入ってて、北極のとある探検記をたまたま英語で読んでたらおなじシャーマンが登場したわけ。で、ジョーゼフ・キャンベルは、その探検記から引用したみたい。チベット仏教でもそうだけど、断食したりとかして極限状態のなかで認識力を高めたりするわけじゃないですか。過酷な自然のなかにしか生命の根源とか本当のことって存在してないと思う。そういうところに単身乗り込んでいって、なんとなくわかった気になる、みたいな。宗教学とか詳しくないけど、神話には山の話とかけっこう出てくるから、険しい自然のなかで覚醒するみたいなことがあったんじゃないかと。

――この映画でいちばんおもしろかったところは?

角幡 見どころはやはり、想像をかきたてられるのひとことにつきますね。太古の人の存在を観客それぞれが想像できるような気がするんですよ。でも想像してももどかしいくらいわからない。どんな人が暮らしてたのか。
人の生きた痕跡とかに僕は単純に感動するんですね。雪男について取材した著書『雪男は向こうからやって来た』でのエピソードですが、雪男を追っていて雪崩で亡くなった鈴木紀夫さんの死んだ場所に行った時も心を動かされました。その前に彼のことを関係者にインタビューしたり資料読んだり彼の文章読んだりして感情移入してたから、現場に行って、彼のことを想像して勝手に感動したり、彼が最期に見たものがなんだったのか想像したりしてました。そういう意味でもこの映画は想像を膨らませられます。人間がたしかに生きていたんだなと。

石川 ラスコーもそうだけど、世界中の壁画には、子どもが遊んでるうちに発見したものも多いんですよね。洞窟と子どもの関係ってなかなかおもしろくて、子どもの無意識とかそういうものと結びついている気がします。ショーヴェの中にも子どもとオオカミの足跡があるっていう話がありましたが、それだけでも、いろいろ想像が膨らみます。1994年発見ということになっているけど、たとえば5000年くらい前の子どもがすでに見つけていたかもしれないし。

角幡 それにしても、もし自分が発見してたら、200年くらい前のものかなっておもっちゃうくらい鮮明だよね。

――現代アートみたいな雰囲気もありますよね。

石川 現代アートなんて、美術史のなかでどう自分の作品を位置付けて価値をあげるか、みたいなゲームになっちゃっていて、洞窟壁画のような芸術とは少々位相が異なっている。もともと「技術」という意味だった「芸術」と洞窟壁画は密接に結びついているとおもっています。

――まさしく世界最初のアートですからね。

石川 壁画はやっぱり写真に撮ってもなかなかわからないですよ。『NEW DIMENSION』でもその部分がもどかしいから、壁画に至るまでのプロセスを見せていくようにしました。洞窟に行くまでの道とか入口から壁画に歩いていく道のりとかのプロセスを。この映画は、3Dと壁画という組み合わせによって、人間にあたらしいDIMENSIONを見せられる可能性がある。ぜひ劇場という名の洞窟で、映画に没入してもらいたいですね。

撮影協力=VACANT(http://www.n0idea.com/)

ヴェルナー・ヘルツォーク,世界最古の洞窟壁画,忘れられた夢の記憶,ショーヴェ,石川直樹,角幡唯介,9

角幡唯介|KAKUHATA Yusuke

1976年北海道生まれ。2001年ヨットによる太平洋航海、ニューギニア島トリコラ北壁初登、02年にはチベットのツアンポー峡谷を単独で探検。03年朝日新聞社に入社、新聞記者を5年務めたのち、退社後ネパール雪男捜索隊に加わる。10年発行の『空白の五マイル―チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、翌11年には第42回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。最新作は『雪男は向こうからやって来た』(集英社)。

ヴェルナー・ヘルツォーク,世界最古の洞窟壁画,忘れられた夢の記憶,ショーヴェ,石川直樹,角幡唯介,10

石川直樹|ISHIKAWA Naoki

1977年東京生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。2000年、Pole to Poleプロジェクトに参加して北極から南極を人力踏破。01年、チョモランマに登頂し、当時の世界最年少で七大陸最高峰登頂を達成。人類学、民俗学などの領域に関心をもち、“行為の経験としての移動”、旅などをテーマに作品を発表しつづけている。著書に、『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『CORONA』(青土社)、『最後の冒険家』(集英社)などがある。

           
Photo Gallery