特集|ロンドンからベニスへ、オリエント急行で巡る旅 Vol.2
特集|ロンドンからベニスへ、オリエント急行で巡る旅 Vol.2
100年を越える歴史とともに走り続ける豪華列車
走る貴婦人、オリエントエクスプレスへの誘い
距離にしておよそ1750km。イギリス・ロンドンを起点にイタリアは水の都、ベニスまで1泊2日、30時間の鉄道の旅に出る。乗車するのは、かの伝説の豪華寝台列車「オリエント急行」。去る今年3月に引退した「トワイライトエクスプレス」も、昨今話題の「ななつ星」もその手本にしたという、“動く宮殿”とも“走る貴婦人”とも呼ばれる世界屈指の名列車の魅力に迫る。
Text by AKIZUKI Shinichiro(OPENERS)Photographs by Hiro Matsui
受け継がれるオリエンタル急行100年の輝き
今回の旅の起点となったイギリス・ロンドンでは、いまもっとも注目を集めるコンテンポラリーホテルのひとつ、「45パークレーン」で一夜を過ごしたが、その日は朝方までうまく寝付くことができなかった。これからはじまるオリエント急行での旅のことをおもうだけで、興奮を抑えきれなかったからだ。
始発駅となるヴィクトリア・ステーションを訪れたのは筆者にとって約一年ぶりだったが、都会の平日の朝はどの街も多くの人で混み合っている。そんななか、ひとつ静寂を放つ場所があった。東側の2番線、そこはオリエント急行を利用するゲストのために特別に用意されたプラットフォーム。
そこには専用ラウンジが設けられ、同時にチェックインがおこなわれる。旅の行程が記されたプログラムを受け取れば、否応なしに胸が高鳴るというもの。いよいよオリエント急行による列車の旅のはじまりだ。
国際寝台車会社、通称「ワゴン・リ」社によって1883年から運行がはじまった豪華長距離夜行列車「オリエント急行」。その名を世界中に知らしめたのは、アガサ・クリスティの代表作『オリエント急行の殺人』といっても過言ではない。西ヨーロッパからアジアの玄関口、バルカン半島まで、多くの乗客を冒険へといざなった。しかし1900年代へ突入し、戦況が激しくなると同時に、車両は徐々にその輝きを失っていくことになる。
今日の運行スタイルを復活させたのは1982年からのこと。現代版オリエント急行こと「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(VSOE)」を運営するベルモンド社は、各地へバラバラになっていた車両を博物館、オークション、個人オーナーから買い集めフルレストア。当時のオリジナルの状態へと車両を復元し、最初の運行からおよそ100年を経たタイミングで走らせたのだ。
今回の列車の旅のルートはこうだ。まずロンドンを発った後、イギリスとヨーロッパ大陸を結ぶ英仏海峡トンネルの出入り口であるフォークストンへと進み、そこからドーバー海峡を越えて、フランス・カレーへと入線。その後パリを経由し、イタリア・ベニスへと向かう。
だが今回、私が旅したルートは、パリを通らない、ブリュッセル経由という1泊2日のルート。私のイメージではすべての列車がパリを通るとおもっていたのだが、「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス」には、さまざまな運行経路があり、パリ-イスタンブール間のほかに、ウィーンやブダペストを含むものなど、多彩なルートがアレンジされているそうだ。
ちなみに同列車を題材にした『オリエント急行の殺人』のルートは、トルコ・イスタンブール発、フランス・カレー行き。原作へおもいを馳せるも目的地で選ぶのもまた良しと、どのルートを選ぶかも列車の旅の愉しみのひとつというわけだ。事実、さまざまなルートを巡り、「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス」を満喫する幸運なリピーターも多いという。
さて、そうこうしている間に列車がホームに入線してきた。チケットを片手に、クラシカルスタイルのキャビンスチュワードの笑顔に出迎えられ、まずはドーバー海峡に面する港町、フォークストンへと向かおう。
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100年を越える歴史とともに走りつづける豪華列車
走る貴婦人、オリエントエクスプレスへの誘い(2)
時代を超えて愛される格調高き英国の名列車
10時45分、定刻通り列車はゆっくりとホームを離れた。ロンドンからフォークストンまでの列車はつまり、オリエント急行でもイギリス側の編成は「ブリティッシュ・プルマン」と呼ばれ、茶褐色とイエローのボディをまとった豪華食堂列車に乗車する。
現在も運行に使用されているこの車両は、丹念に修復された1920〜30年代のオリジナルの客車であり、かつて大洋を航海する大型客船の乗客を運ぶ列車として使用されていたもの。
各車両は当時の姿のまま完全に復元されており極めて優雅だ。とくに内装は美しく、化粧板やアールデコの寄木細工、さらにはタペストリーの張られたマホガニー製の肘掛け椅子など、その車内はまさに動く宮殿と呼ぶに相応しい、圧巻のしつらえががほどこされている。
客席は1両に付き20席から26席あり全11両編成。それぞれの客車には、名前とエピソードがあり、インテリアも客車ごとに異なる。例えば、Audrey(オードリー)号は、1932年に製造され、エリザベス女王2世お気に入りの客車のひとつ。またPerseus(ペルセウス)号は、王室御用達の列車として指定され、1965年にはイギリス元首相のウィンストン・チャーチルの葬送列車としても使用された。イギリス王室をはじめ多くのVIPたちにとって、ベルモンド ブリティッシュ・プルマンは、時代を超えて愛されつづける格調高き英国を代表する名列車なのだ。
ロンドンのヴィクトリア・ステーションから、フォークストンまでの所要時間は約3時間。走り出してしばらくすると、スチュワードが各テーブルに挨拶を交わしながら、シグネチャードリンクを注いでくれる。ブランチコースには全3品が用意。メインはスクランブルエッグに、スモークサーモンが供され、イギリスの田園風景を眺めながらの、ロマンに満ちた楽しいひとときがはじまる。
お昼を過ぎたころになると、最初の目的地、フォークストンへ到着。ホームにはマーチングバンドがお出迎え。陽気で賑やかなサウンドとともに、列車からバスへと乗り換えて、ユーロトンネルを渡り、次の目的地であるベルギー・ブリュージュを目指す。
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走る貴婦人、オリエントエクスプレスへの誘い(3)
夜の愉しみはディナーだけにあらず
ブリュージュの駅に着いたころはすでに陽が沈み、辺りはもう夜だった。ホームへ上がると、そこで待っていたのは群青のボディーにゴールドの文字と装飾、それに真っ白いルーフをまとった美しき寝台車。見紛う事なき、これぞオリエント急行というべきそのスタイルは、旅人である私はもちろん、たまたまホームに居合わせた地元の人びとをも釘付けにするほどのオーラを放っている。この瞬間、この場所だけがまるでタイムスリップしたかのような、オリエント急行はそんな気分にさせてくれる。
ホームよりも一段高い位置にある客車に、タラップを使って乗り込めば、その世界はさらに特別なものとなる。チークやマホガニーをふんだんに使った室内は、夜の照明とともに美しく光り輝き、重厚感あふれる肉厚のボディが旅人に安心感をもたらしてくれる。その感覚はロールスロイスやベントレーに乗るときの感覚に近く、ヨーロッパ独特のおもてなしがそこにはある。
客室はすべてコンパートメントタイプとなり、広い室内に大きなソファと、窓枠一杯のウィンドウが快適な空間を演出。また洗面台も用意され、スキンケアアイテムやタオルなど、アメニティも充実。もちろん家庭用コンセントもあり、クラシカルな車両とはいえそこに不都合な点はいっさいなかった。
ウェルカムシャンパンをいただき、一息ついたころディナータイムがやってきた。オリエント急行での旅のハイライトとも言える瞬間だ。男性はダークスーツを、女性はカクテルドレスをそれぞれまとい、ドレスアップ。レストランカーへ向かう。
この「Cote d’Azur(コート・ダジュール)」と名付けられた一等の食堂車は、1929年に製造されたもので、内装はかのルネ・ラリックが手がけたもの。車窓からの自然光や室内ランプなど、昼夜の光を巧みにあやつり、空間に無限の広がりを与えている。
メニューには贅沢にも黒トリュフのスライスをたっぷりのせたロブスターをはじめ、メインは鹿のフィレ肉のロースト、チーズセレクションに、最後はデザートといったフレンチのコース。ラリックの芸術作品を鑑賞しながらの宴は瞬く間に過ぎ去っていっく。
だが愉しみはディナーだけにあらず。オリエント急行の夜は長い。食事の後はバーが備わる車両で余韻を味わいたい。世界各国から集まった旅人たちで賑わい、ヨーロッパの社交場のような雰囲気を持つここではピアノマンが美しい旋律を奏で、いま列車で旅をしているということを忘れさせるほど。
カウンターバーに立ち寄れば、ここだけでしか飲むことのできないオリジナルカクテルが用意されている。アガサ・クリスティとの縁の深い列車だけに「ギルティ12」と呼ばれるそれは、このバーカーの名物だ。
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走る貴婦人、オリエントエクスプレスへの誘い(4)
ウインドウにいっぱい広がる美しいアルプスの山々
夜が過ぎて、翌朝になるとあたりは一変。スイス・バーゼルを発った列車の前にはアルプスの山々が広がっていた。徐々に徐々にその勾配を登っていくオリエント急行。朝靄をかき分け、車窓から臨むヨーロッパの田園風景は列車で旅する者だけに与えられた特権だ。
長いトンネルをいくつも抜けアルプスを越え、次第に市街地へと近づいていくオリエント急行。「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス」という列車の名称も、このアルプスを貫く、当時世界最長のシンプロントンネルを経由していたことに由来しているそうだ。
山を越えると辺りは一気に快晴。南ヨーロッパらしい燦々とした光が客室を強くて照らす。終点イタリア・ベニスのサンタルチア駅まではもうすぐ。
1883年パリからイスタンブールに運行を開始して以来、世界を代表する豪華列車として名を馳せるオリエント急行。約30時間に及ぶ長旅は、予想をはるかに越えた体験に満ちあふれていた。アートに食、そして冒険心を持ち合わせたこの列車は、まるでヨーロッパの伝統や文化をぎゅっと凝縮させた総合芸術のようだ。最高のもてなしの技がそこにはある。
かつての王侯貴族はもちろん、これまでに幾人もの旅人を乗せ走りつづけてきたように、オリエント急行はこれからも多くの人に愛されるころだろう。そのロマンは永遠に終わることはない。
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