加納直喜(GO-GO KING RECORDERS)× SHIBUYA-FM 78.4MHz VOL.1
加納直喜(GO-GO KING RECORDERS)× SHIBUYA-FM 78.4MHz VOL.1
東京・渋谷のカルチャーを発信しつづけるSHIBUYA-FM 78.4HMと、ウェブマガジン "OPENERS" のふたつのメディアがコラボレーションして発信。SHIBUYA-FMプロデューサーの神谷幸鹿さんが、"シブヤ"をキイワードにクリエイターやミュージシャン、DJと対談します。
こんかいは、SHIBUYA-FMの番組『GO-GO KING RECORDERS ROCK'n'ROLL RADIO』のパーソナリティをつとめる、スタジオ『GO-GO KING RECORDERS』主宰、そして音楽レーベル『TOKYO wRECkORDS』 を立ち上げたレコーディング・エンジニアであり、自身のユニットTaurus Boneheadとしても活動している加納直喜さんの登場です。
まとめ 金子英史(本誌)
神谷 おひさしぶりです。
加納 どうも、おひさしぶりです。
神谷 ──って、ぜんぜんひさしぶりじゃないっすよね(笑)。
加納さんには、このSHIBUYA-FMでも毎回スペシャルなロケンローラーがゲストでいらしていただいている番組をやっていただいていますが、いまは川越でロフトを改装したレコーディングスタジオ『GO-GO KING RECORDERS スタジオ』を立ち上げ、運営、エンジニアをやっているんですが、もともとはミュージシャンだったんですよね?レコーディング・エンジニアになろうと思ったキッカケはなんだったんですか?
加納 結局は、スタジオをふくめ"音楽をプロデュースする場"というだけであって、それを『GO-GO KING RECORDERS スタジオ』と名づけているだけなんですけれど、それをひっくるめて音楽家ってことですよ。エンジニアには、まったく興味がなかったし、機械とか機材にウトかったんだけど。ただ、曲をつくるときに完成形がすでに頭のなかにあって、自分でつくるとそれに近いものができるんです。さらに、テクニックで出したい表現のヒモがとけはじめると、技術が身につくんですよね。気がついたら、自分がやっていることがレコーディング・エンジニアだったという感じです。だから、それ専門の学校も行ったわけではないし、スタジオに就職してアシスタントから経験してということもないんです。
神谷 最初から『GO-GO KING RECORDERS スタジオ』を立ち上げたんですか?
加納 その前にいろんなひとの何百枚もの作品をミックスしたりしていたんです。それをやっているうちにアレンジしながらミックスをしたりしはじめて、するとそのアルバムをプロデュースしていることになるじゃないですか? そのうち録れている音が、もうすこし自分の思い描いているように最初からできていると、そんなに困らないというか、それまでは困ることが多かったんですよね。それは手伝ってもらっているレコーディングエンジニアの力量が劣っているとかそういうことではなくって、自分のイマジネーションを口でつたえるよりも自分でマイクをあてると、もうすこし自分のイメージの音色だったり空気感に近づく。
ようするに口で説明するより、自分でマイクをたてて、テープレコーダーの録音ボタンをおすということで、出したい音にとても近くなったという感じ。だから、僕にとって作曲とか、ライブでお客さんに向かって演奏することと、かなり近いモノがあります。
神谷 なるほど。だからこそ自分でスタジオそのものからつくり上げたということですね。場所も、最初は芝浦とか東京方面で探していたといっていましたよね?
加納 そう、探したんです。やっぱり東京に根ざして、そこから音楽をやっていくことをはじめたわけだから、東京のなかで場所があればいいなというのがありましたけれどね。ただ、いまではコンピューターでだれでも音楽をつくれるいい時代になったと思うんですけれど、僕がやろうとしていることは人と人との意識──魂の交換というか、それを録音 していくことで音楽をつくっていくこと。それってつまり楽器を演奏するということなんですよ。だから、楽器を演奏するための広い空間が必要で天井の高さや、横の広さが必要になってくるんです。そうすると、それを芝浦とかで確保しようと思ったときに、場所はあるんですけれども、個人でフットワーク軽くやろうとするには無理だったというのと、やっぱり土地代が高くて、それゆえにそのスタジオでやっていかなければいけない仕事──それが音楽的なクリエイティブな意味での作品ということではなくて、おカネを稼ぐためにこなす仕事がおおくなっていく危険性があって。
といっても、ぼくらは音楽で喰っているわけだから危険でもなんでもないんだけれど、ただ──。
神谷 そっちが優先になってしまうということですよね?
加納 それもありますし、12~3年前にある音楽のプロデュースをしたときに、レコード会社からおカネを預かって作品をつくるんだけれど、あと1日~2日、スタジオが使用可能ならばアレとコレができたのにってことがよくあったんです。
つまり、自分のギャラをとりくずしてやっているうちに、何にいちばんおカネをはらっているのかなって計算しなおしたら、スタジオ代にいちばんおカネがかかっていたわけです。だから、自分でスタジオをもつときには、この半分のおカネでやりたいなと思って。おカネが半分ってことは単純にスタジオが倍に使えるってことだから、そのためにも生楽器がいい音で録れる大きさがあって、低コストということを考えたときに、都内でやるってことは、不釣り合いになっちゃいますよね。
神谷 なるほど。
加納 だから結果的に郊外にでることになってしまったんです。
神谷 ロケーションと広さ。あの空間はロフトとかガレージという表現がピッタリだなって思いました。
加納 そうですね。やはりオレら男子は、自分の秘密基地が必要だと思うんですよ。好きなことをやるためにそこにこもったり、そこを起点に何かをするということを子どものときにやるじゃないですか?
僕にとっての秘密基地みたいなものでもあるし、自分自身のための部屋みたいな部分もあるかな。そこに音楽をやる友人がどんどんきてくれて、いっしょに音楽をつくっているという場所ですね。
神谷 スタジオのミキサーの卓を、あえて古いアナログのものをえらんだ理由は?
加納 音楽を聴くという行為は、いちばん感受性が豊かというか、僕は40歳をすぎても感受性がビンビンなんですよ。音楽に出会った瞬間の気もちって、ぜんぜんわすれないじゃないですか?
そこに自分のリアリティがあるんですよ。うちにあるアナログ卓は、『API』というメーカーで製造が1975~6年なんです。その時期って自分が中高校生のときで、これからいろんな音楽を聴いていくという時期で、そのころに買っていたレコードやラジオから流れてきた音楽とおなじ音が出るんですよ。まさしく自分の原点はそこにあって、自分がいちばん燃える音がそこから出てくるわけだから、必然的にそういう機材からスタートするというか、自分の楽器にするのは間違いないよね。
じつは、矢沢永吉大先生が70年代に山中湖にリバティスタジオというのをつくられていて、『ラン・アンド・ラン』という映画でもそこが写っていたんですけれど、まさにその機材なんですよ。
神谷 どうやって手にいれたれたんですか?
加納 それこそ最近でいう"スピリチュアル"という言葉にちかい出来事なのかもしれないです、運命なんだろうな。
『オールドニブ』というおなじ時代につくられた卓があって、やりたい音楽的表現が出来たので、すごく好きだったんです。その卓がはいっている伊豆のサウンド・スカイというスタジオがあって、そこでレコーディングしているときにこの『API』と出会ったんです。
それは初代オーナーが矢沢永吉さんで、その後、サウンドスカイが使っていたんですが、出会ったときはもうレコーディングに使っていなかったんです。その『API』というメーカーの機材は、ドラムやベースの音をつくるときに、その卓についているイコライザー・システムの部分が自分のサウンドには絶対にかかせない機材だったんです。
だから、使っていないんだったら譲ってくれよ! って感じで(笑)。──それが出会いですね。
加納直喜 プロフィール
GO-GO KING RECORDERS 主宰。1964年生まれ。名古屋出身。エンジニア。
パンクロックスター歴43年。22歳で上京しバンドデビュー。
25歳のときにレコーディングに興味をもち、それ以降はスタジオワーク中心に活躍。
SHIBUYA-FM78.4MHzにて、第2・第4木曜日の21時から『GO-GO KING RECORDERS ROCK'n'ROLL RADIO』がオンエア中。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/go-gokingrecs/