【連載】柴内晶子の「記憶の色」|山からのざわざわの声
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2026年9月24日

【連載】柴内晶子の「記憶の色」|山からのざわざわの声

 

LOUNGE|【連載】柴内晶子の「記憶の色」

 
まだ伴侶動物という考え方が日本で一般的に使われるようになる以前より、人生を彩り豊かにしてくれる存在として動物たちと接してきた筆者。赤坂動物病院の院長として、1人の人間として、幼少から今に至る優しい色彩のエッセイです。
 

Text & Photograph by SHIBANAI AKiko

狐火の記憶、眠りへの誘い

 
私は祖母から随分色々なことを聞いたり教わったりした。ある時期は両親が戻るまでの放課後以後の時間帯を、ほぼ祖母とふたりで過ごした。祖母は岐阜県中津川の旧家の出身で、年の離れた姉たちがいたが、祖母の母が後妻さんだったことも手伝って、家族の中では年下の位置でずいぶん可愛がられて育ったらしい。祖母は色々あって、(事情は物語として面白いがそれはさておき)東京で結婚し、祖父との間に8人の子どもを持った。その教育が大変厳しかったがために、近隣から○○式と言われ、良く知られる程だったと聞いている。母によると、時折「この人は本当に母なのか?」と思ったこともあるくらい厳しい時があったとか。
 
母の兄弟姉妹が多い分、私には国内外に従兄弟姉妹が20人いる。それは私にはとても嬉しいことだが、それもさておき、祖母からの話の中で印象深くいつまでも私の心に影響していた話をお伝えしたい。
 
祖母は信心深かった。神様仏様全般に感謝をすること。先祖供養をすること。人の世は全て因縁により繋がり、先祖からの良くない事は自身の代で修正して断ち切っていかなくてはいけないことなどを教えられた。人の世の中での様々な人生の指標になりえる事にも熱心で、易や、算命占星術や、九星運行についても日常的に話をしていた。そのくせ自分自身のこととなると、「精神を鍛えて常にパン!と張っていればつけ込んでくる何かは寄りつかない」と片付けていた。それは戦争中に8人の子どもを育て上げるという、たいへんな体験も含まれていた言葉であったように思う。
 
祖母の子ども時代の話。瀕死の猫を道端でみつけて「かわいそう」と漏らしたところ、高祖母に「そういう事を言うとつけ込まれるから口にしちゃいけない」と言われたそうだ。家の近くまで帰ってくると、なんと先刻まで道端で瀕死になっていた猫が、今度は家の側で苦しんでいたのだそうだ。高祖母によれば情けをかけるとこうしてついて来られるから中途半端な情けは良くない、という事だった。当時は動物の世界はいわゆる畜生道であり、人の世とは一線を画す存在と、明確に分けられていたからだろう。人もまた極悪非道なことをすると畜生道に落ちると言われていたものだ。
 
祖母はそのような体験をしながら、私には山の中で育った頃の不思議な話を聞かせてくれた。今思えば子どもを寝かせる前の寝物語としてだったのかもしれない。
 
祖母は育った中津川の山懐で夜に提灯行列をよく見たそうだ。向かいのそんなに高くない真っ黒な山の道をちらちらと黄色や橙色、赤い提灯が木の陰から見え隠れする。よく耳を澄ますと話し声のようなものも聞こえる。皆ざわざわ言いながらゆっくり山を登っていく。あるところまで行くとふっと行列らしき灯は消える。その話を高祖母に話すと「それは文子(祖母はふみこと言った)狐だ!」と言われたそうだ。私にはその話が「とっておき」の話に聞こえた。すごい、本物の狐の話だ。
 
私もその声を聞いたことがあるように思う。郊外の木々の多い場所に住んでいる頃にも、都会の神社のすぐ側に住んでいる頃にも、木々が風に吹かれてざわつく夜は、夢に入る直前の濃厚な睡眠の層に意識がまどろんでいくあたりまで、あのざわざわとした話し声が聞こえたものだ。
 
思い返すと、それこそが心を休ませ、心地よい眠りに誘ってくれた。祖母の教えだった。
 
 
 
 
 
柴内晶子(しばない・あきこ)
赤坂動物病院院長。日本大学農獣医学部卒業後、日本獣医畜産大学臨床病理学研究室などを経て、2016年に同院院長に就任。父、母に続く3代目院長として、伴侶動物医療と「人と動物の絆(Human Animal Bond)」を軸にした診療を推進している。内科全般、一般外科、再生医療を専門とし、農林水産省獣医事審議会元委員、日本大学生物資源科学部獣医学科非常勤講師なども歴任。高齢者と動物の共生支援やアニマルセラピー活動など、獣医療を通じた社会貢献にも力を注ぎ、「人と動物が幸せに暮らせる社会づくり」を生涯のテーマに掲げている。
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