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2026年7月28日
【特集】時を繋ぐ人|“職人”でありたいわけではない。それでも、畳のある暮らしを紡いでいく
時を継ぐ人|三宅 克伺
畳のある部屋が日本から少しずつ失われていったのは、いつだったのだろうか。気づけば和室はある種の贅沢さを象徴するものになり、畳を張り替えるという文化も薄れつつある。それでも、寺社や旅館で畳に触れた時、どこか安らぎを覚える。畳は、日本人にとって今なお心の拠り所のひとつなのかもしれない。そんな畳を絶やさず未来に繋いでいくために、京都で畳店を営んでいるのが三宅克伺さんだ。
Text by SETOGUCHI Ryu|Photographs by TADA Masaki
偶然から始まった、畳職人への道
年季を経た畳の縁に畳包丁の刃が滑り込み、小気味よい音を立てながら両端の畳縁(たたみべり)が剥がされていく。続いて畳表を取り払うと、その下から厚みのある芯が現れた。畳床と呼ばれる部分だ。
あらかじめ選んであった新しい畳表を畳床に敷き、三宅さんは黙々と畳針で縫い付けていく。一連の動作は少しの淀みもなく、数分も経たないうちに畳表を縫い終えた。
技能グランプリで史上二人目となる減点ゼロを記録し、内閣総理大臣賞を受賞した職人による緻密な手仕事。しかし、三宅さんの経歴は異色だ。

「畳業界は家業を継ぐ人が多いんですが、僕はただのアルバイトからスタートしたんです。17歳の頃、アルバイトを探していた時にたまたま知り合いの畳屋さんから声をかけてもらって。本当に、ただそれだけだったんですよ。実家にも畳はありましたけど、フローリングと一緒で、家にある床材のひとつという印象でした」
畳職人の多くは、家業として仕事を受け継いでいく。ではなぜ、畳との縁もなく、アルバイトとしてこの世界に入った三宅さんが職人を目指したのか。それは、自分の手で畳を作っていく面白さに魅せられたからだという。
「先ほどは畳表を張り替えるところまでやりましたが、最終的には新しい畳縁を縫い付けます。そうやって仕上げたラインの美しさがね、好きなんですよ。アルバイトで初めて畳に触れた時からずっと」

ただのアルバイトから、認められる職人へ
畳を一通り作れるようになるまでに4年。職人として通用する畳を作れるようになるには、最低でも10年はかかる。長い下積みの間、三宅さんは仕事の合間に、一人で畳作りの練習を重ねた。
畳職人の家に生まれたわけではない自分がこの世界で食べていくには、ひたすら技術を磨くしかないと考えたからだ。
時には、腕利きの畳職人の職場をこっそり覗きに行ったこともあるという。
技能グランプリでの輝かしい結果に対して三宅さんは、
「畳は関西と関東で作り方が違っていて、関西風の畳職人の受賞歴がなかったんです。で、京都の畳職人組合が“お前、取ってこい”と送り出されただけなんですよ」
と飄々と言うが、その腕前が誰からも認められるものであることに間違いはない。
いくつかの畳店に勤めた後、三宅さんは9年前に独立。三宅畳店を京都に構えた。
畳を修繕することで、繋がっていくもの
畳職人の仕事は、新しく畳を作ること・畳を張り替えることの二つ。言葉にするとシンプルだが、この仕事は様々なものを繋ぐことで成り立っている。その一つが技術であることは、言わずもがな。畳用のミシンを導入する畳店もある中、三宅さんは昔ながらの手縫い技術を継承している。
「畳表は、い草の織り目が筋になって見えますよね。その筋と筋の間の谷に畳縁をきっちり合わせることを、『目乗り』と言います。手縫いだと、その“目”を見ながら縁の位置や締まり具合を合わせられる。縁がピシーッとまっすぐ通って、フラットに吸い付くんですよ」
こうして仕上げた畳を敷き詰めると、立体感のある畳部屋になる。
その美しさは、完成した瞬間だけのものではない。日に焼けた畳表を裏返し、傷めば新しいものへ張り替えることで、畳のある暮らしは紡がれていく。
ちなみに、古い畳を再生する時、職人が向き合うのは畳だけではない。かつてその一枚に手を入れた職人の痕跡とも向き合う。
「部屋に隙間なく畳を敷き詰めるためには、ミリ単位で長さを調整することがあります。で、あとから誰が触ってもわかるように、走り書きを残すんですよ。例えば『半』とか『半つ』とか。『半』は五厘(約1.5ミリ)なんですけど、『半つ』をどう捉えるかは人によって違う。だから最終的には目で確認して、これくらい調整すればいいんやな、と判断するわけです」
畳のある暮らしを紡いでいく
畳職人の仕事には、測る、切る、縫うためのさまざまな道具が使われる。定規や針、糸を締める道具、畳を敷き込むための鈎、そして畳包丁。
そのどれもが欠かせないものだが、道具の作り手が減りつつあるという。
「ばんばん売れるものでもないですからね。道具だけじゃなく、畳縁を作る職人も減りました。畳職人の技術を継承していくのも大切ですが、畳そのものの魅力を発信して、業界全体を盛り上げていかなあかんと思っています」

畳そのものの魅力を伝えるために、三宅さんはいま、ある試みを始めようとしている。
それが、畳に関わる作り手たちを紹介する冊子づくりだ。畳表の産地や畳縁の作業場を訪ね、そこで働く人たちの姿を写真と文章で伝えることで、普段は見えない畳の向こう側を知ってもらおうという狙いがある。
「最終的には、自分のところのお客様を増やしたいですけどね」
からりと、三宅さんは笑う。その軽やかさは、職人として過ごす日々にも反映されている。
「僕は職人職人したくないんですよ。スノーボードもやりますし、スケボーもやりますし、バスケもする」
仕事がなければ、釣りへ出かけてそのまま泊まることもある。納期が重なれば、長い時間を工房で過ごす。気楽な仕事ではないが、始める時間も、終える時間も、仕事の組み立て方も、自分で決められる。
「完全な自由ではないですけどね。やることはやらないといけないし、しんどい時はしんどい。でも、会社みたいに縛られることもない。全部、自分の裁量でできる。そういう人間らしい生活ができる仕事だということを、次の世代に見せたいんです」
17歳の頃、三宅さんにとって畳は、家にある床材のひとつでしかなかった。文化を背負おうとして、この世界に入ったわけではない。たまたま声を掛けられ、アルバイトとして畳に触れ、作ることの面白さを知った。
「適職やったんやなあ、という感じです。なるべくして今ここにいるみたいな」
三宅さんにとって、畳職人として生きていくことは何かを重く背負うことではない。畳を作り、直しながら、当たり前に“畳のある暮らし”を繋いでいくことなのだ。

三宅克伺(みやけ・かつし)
畳職人。種子島に生まれ、京都・東九条のスナックで幼少期を過ごす。京都府立桂高等学校園芸ビジネス科を中退後、有限会社堀井畳商店で4年半にわたり修業。その後、京都市右京区の畳店に勤めながら京都畳技術専門学院に入学し、畳製作技能士2級、1級を取得した。職業訓練指導員免許を持ち、京もの認定工芸士にも認定されている。2019年に開催された「天皇陛下御在位30年記念 第30回技能グランプリ」では金賞および内閣総理大臣賞を受賞。現在は訓練校の講師として後進の指導にあたるほか、地方の畳店を継ぐ若手職人を弟子として育てるなど、畳づくりの技術継承に力を注いでいる。