【連載】時を継ぐ人|消えた家庭の味を、もう一度美味しく。
LOUNGE / EAT
2026年9月7日

【連載】時を継ぐ人|消えた家庭の味を、もう一度美味しく。

 

時を継ぐ人|岡 亮佑(星のや東京 総料理長)

 
星のや東京総料理長の岡 亮佑(おか・りょうすけ)さんは、2023年の就任以来、日本各地に伝わりながら今ではほとんど作られなくなった家庭料理や郷土料理を掘り起こし、フランス料理の技法を用いて現代の一皿に仕立て直す仕事に取り組んできた。長崎の「おかべ」、富山の「よごし」、鹿児島の「げたんは」——。コンセプトの名は「もう作られなくなった日本の家庭料理」だ。
 

Text by TSUCHIDA Takashi|Photographs by OHTAKI Kaku

大手町に、日本が集まる

 
星のや東京があるのは、東京都千代田区大手町。皇居の程近くに立ち、日本の経済の中枢が占める、東京でも屈指の一等地だ。
 
江戸時代、参勤交代によって全国の大名たちがこの地に集まった。国元から持ち寄られた各地の食材や料理は、江戸の町で混ざり合い、後の寿司、天ぷら、うなぎといった江戸料理を形づくっていったと言われている。日本各地の食文化が、一つの場所に集約されていった歴史がこの土地にはある。
 
星のや東京の周囲はまさにオフィス街。ところが障子を閉めると、まるで異空間に転送されたかのように外界から完全に遮断され、都会の喧騒から遠く離れた安息地にいる心地になる。
 
現代の大手町に立つ、塔の日本旅館「星のや東京」が、日本各地の家庭料理や郷土料理を掘り起こし、美食として再構築するという企画に取り組むのも、この土地の成り立ちと無縁ではないのかもしれない。かつて大名たちが国元の味をこの地に運び込んだように、日本各地に眠る食文化を一つの場所に集め、現代の技術で磨き直す——それは日本を代表する立地に立つ旅館としての使命なのだろう。
 
逆に、うがった見方をするならば、よく練られたマーケティング物語と捉えることもできる。廃れゆく郷土の味にスポットライトを当て、高級レストランの一皿へと仕立て直す——ノスタルジーと美食を掛け合わせた、いかにも今日的な切り口だ。だが総料理長の岡 亮佑さんに話を聞くと、その先には演出だけでは片づけられない哲学があった。
 
「本当に身も蓋もない言い方をすると、美味しくないんですね」(以下、カギ括弧の発言は岡さん)
 
家庭料理や郷土料理が食卓から姿を消していった理由を、岡さんはそう言い切る。懐かしさを演出するのではなく、単純に「今の人が美味しいと感じない」から作られなくなった——その本当に身も蓋もない事実と向き合うところから、岡さんの仕事は始まっている。

素性を知ることで、想像力が膨らむ

 
滋賀県で生まれ育った岡さんの原点は、幼い頃の食卓にある。同じおにぎりでも、握る人によって味がまるで違う。祖母はあまり力がなかったのか、握りがとても柔らかく、持ち上げるのも危ういほどで、口に入れるとホロホロとほどけていった。一方、母のおにぎりは梅干しが主役で、昔ながらの塩気の強い梅を使い、ご飯の塩加減はあえて抑えられていた。
 
「同じ『おにぎり』であっても、人によって全然違うんだな、というのを面白いと思ったのが、料理の道に入った始まりという気がします」
 
好き嫌いを意識し始めた子供の感覚は、2005年から神戸北野ホテルでフランス料理の基礎を積んだ頃には、まだ具体的な形になっていなかった。当時は食材を特別に意識することもなかったという。転機は浅草の「オマージュ」に移った時だ。日本の食材にこだわった仕入れに触れる機会が増え、生産者の顔が見える仕事に馴染んでいった。
 
「この食材がどういう形で育つのか、どういう思いで育てられたのかが分かってくると、おのずと料理のアイデアが浮かんでくるんです。食は、食べて美味しいというのが一番ですけど、そこに付随する“頭で食べる”ということもすごく大事なんじゃないかなと思います」
 
素性を知ることで、客側も料理への想像力が膨らんでいく。想像力とともに味わうことは、フレンチに限らず、和食であれイタリアンであれ、美食に欠かせない要素だという。
 
「ラーメンなら一杯1000円ちょっとで、美味しくてお腹もいっぱいになりますが、それだけでは寂しい。特別な日に、想像力や情報と一緒に召し上がっていただく体験を用意するのが、レストランの役割なのかなと思います」
 
神戸北野ホテル、浅草「オマージュ」、東京のピエール・ガニェールを経て、2020年からは星野リゾート 奥入瀬渓流ホテルのレストラン「ソノール」で、青森県の郷土料理をフレンチに落とし込む仕事に取り組んだ。2023年5月、星のや東京の総料理長に就任してからも、青森時代に築いた生産者との縁は途切れることなく、関東圏の魚卸など新たなつながりへと広がっていった。
 
神経締めで仕立てられた、今が旬のコロダイ。神奈川の魚卸「魚人」の長谷川さんから届く一尾だ。
 
長谷川さんの魚に、万願寺唐辛子と今が旬のトコブシを添えて。仕上げには、素材の出汁を利かせたソース・ド・ポワソンを合わせる。料理の発想は、青森の「いちご煮」。一皿に多彩なコンテキストが詰め込まれている。
 

隠してまで、食べたかった

 
作られなくなった家庭料理を美食へと昇華するコンセプトは、青森時代の何気ない世間話から生まれた。生産者との関係が深まるにつれ、「昔はこれを使ってこんな料理をしていたけれど、もう今はないね」という話を、あちらこちらで耳にするようになったという。
 
たとえば青森の「鮭の飯寿司」は、非常に手間がかかる。だがそれは美味しく食べるための知恵ではなく、冬を生き抜くための知恵だった。春夏に採れた食材をどう保存し、冬に食すことができるか——味は二の次三の次で、時間も手間も惜しまなかった。店頭でいつでも食材が手に入り、すぐ食べられる時代になれば、その知恵は必要とされなくなる。同じ構造が、全国各地の家庭料理にも当てはまっていた。
 
それでも作られなくなった料理には、それぞれに謂れがある。それを知ることも、掘り起こしの醍醐味だと岡さんは言う。以前手がけた島根の「うずめ飯」は、おかずをご飯の下に隠して食べる料理だ。ご飯に載せて食べればいいものを、なぜわざわざ隠すのか。理由は、当時の殿様が質素倹約を掲げていたことにある。役人の目を気にして、ご馳走を下に隠して食べたのだという。
 
「本当にいろんな背景、謂れがあって、料理というものが生まれてきたんだな、というのを知ることがあるんです」
 
他人の目をはばかってまで食べたいと思わせるほど、その味には価値があった。江戸の町人では到底無理でも、地元なら庶民の口に入るご馳走があったのだ。その背景を知り、時代に思いを馳せることで“食”が一層豊かになる——岡さんはそう感じている。
 

全部、自分の言葉で言えること

 
ところで掘り起こした料理がどこから“岡さんの料理”になるのか。その境界線を岡さんはこう説明する。
 
「なぜこの油を選びましたか? なぜこの温度からスタートしますか? ということを、全部自分の言葉で言えるようにする。それが“自分の料理”と言える証だと思います」
 
今回、技術的にもっとも頭を悩ませたのが、長崎の「おかべ」だった。おからのシャリに酢締めのアジと大葉を合わせた素朴な一皿を、まず原点に忠実な形で提供し、続けて現代に仕立て直した一皿を並べる。今回のコースで試みた“ビフォーアフター”だ。
 
原型となった長崎の家庭料理「おかべ」。酢締めのアジとおからのシャリに、大葉を合わせた素朴な一皿。
 
仕立て直した「おかべ」。酢締めのアジと燻製豆腐のピュレを重ねたテリーヌに、松の実とチーズを効かせた大葉のドレッシングのインゲンを添えている。
 
美味しく感じられなくなった理由を、岡さんは自分の言葉で仮定する。酢の酸味が強すぎるのではないか、おからのパサついた食感が敬遠されるのではないか。そこで酢は抑えて浅く漬け、燻製にした豆腐を滑らかなピュレに仕立て、酢締めのアジと層にしてテリーヌに組み直した。素材も味の骨格も、原点のおかべとほとんど変わらないが、状態を変えたことで、料理が見違えるほど素晴らしいものとなった。
 
同様の変化は、メインで供する近江牛の一皿にも表れている。近江牛のソトヒラ(外モモ)とネックを、鮒寿司を漬け込む際に生まれる発酵した米と一緒に漬け込み、ハンバーグに仕立てた。滋賀県は、岡さん自身の出身地でもある。「私の出身地というところで、滋賀県のいいものというのを集めさせていただいて」と、岡さん。その淡々とした口調に、一皿への思い入れの強さが滲んでいた。
 
「ケール」。炭火で香ばしく焼き上げた鰻と鶏肉のルーローに、富山の「よごし」を思わせるケールと烏賊を載せ、木の芽のピュレと軍鶏だしのソースで仕上げた一皿。
 

気づきがあれば、違う未来が待っている

 
料理をどこまで説明するかについては、試行錯誤を重ねてきた。当初はすべてを言葉で説明していたが、それでは食後感が「頭が疲れる」ものになってしまうと気づいた。今は、郷土料理の背景をイラストと短い文章でまとめた資料を用意し、皿を置いてから短く伝え、興味を持った客には掘り下げて話す形に落ち着いている。海外からの客も、こうした日本の食文化をシンプルに面白がってくれることが多いという。
 
「この料理、知っています」という反応は、実は想定していたほど多くはない。それでも、客同士が「そういえば、うちのおばあちゃんも……」と食の記憶を語り合う場面には、しばしば立ち会うという。
 
「経済メリット、社会メリットがあるからこそ、一方が栄えて一方が廃れていく、というのは、残念ながら止められないこともあるかもしれません。でもそれをそのまま受け入れるだけでは、何の進歩もない。そこに気づきがあって、何らかのアクションが出せるのであれば、もしかしたら違う未来が待っているかもしれません」
 
家庭料理には、母や祖母の無償の愛情が宿っていて、お金では買えない愛おしさがある。高級食材や希少性を追い求めるだけが、ラグジュアリーなことではないのだ。そうした家庭の食卓の背景にあった気持ちを、今の料理人が形にすることで、もう一度味わえるようにする——岡さんが皿の上で続けているのは、その仕立て直しだ。
 
岡 亮佑(おか りょうすけ)
星のや東京 総料理長。1985年生まれ、滋賀県出身。2005年より神戸北野ホテル、レストランオマージュ、ピエールガニェールなどでフランス料理の研鑽を積む。星野リゾート 奥入瀬渓流ホテル(レストラン「ソノール」)を経て、2023年5月、星のや東京総料理長に就任。伝統的な食材や調理法を、フランス料理の技法と独創的な感性で新たな料理へと昇華させる。
 
 
星のや東京メインダイニング公式サイト(https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/hoshinoyatokyo/
 
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