高橋理子|#019 パリの高橋理子展覧会
「高橋理子はセレクトショップみたいなものだと思ってもらえばいい」
#019 高橋理子展覧会「Le bouleversement des mani ères de penser」
9月2日から始まったパリでの個展。私のさまざまな表現の形を、ひとつの空間で見せるというのは初めてのこと。
Text by TAKAHASHI HirokoPhotographs by Francis Amiand Photographs by HASEGAWA Kenta(外観)
見るひとの視点が異れば混乱が生まれる
パリでの展覧会は、2005年に開催して以来3度目。今回の会場は、昨年秋にリニューアルオープンした老舗コンセプトショップ。暮らしのなかにアートが自然に組み込まれている状況を体感できる空間になっている。レストランをふくむ600平方メートルの店内壁面を利用したポートレートの展示とともに、立体作品や、私が手がけるプロダクツなど多種多様な作品をならべた。
ジャンルのちがうものをひとつの空間で扱うことは思いのほか難しい。見るひとの視点が異なることで混乱が生まれるが、それこそがこの展覧会の意義。
たとえば、衣服としての着物を軸にほかを見れば、私が着物を纏ったポートレートは着物を販売するための販促写真で、私はモデルだという認識になる。プロダクトも、急に和物に見えたり、そこに配された柄まで和柄に思えたり。この捉え方は、日本人に多い。衣服としての着物が身近なせいだろう。
では、パリの人びとはどうなのか。写真の国といっても過言ではないフランスにおいては、やはり興味の中心は私のポートレートのようだった。会場でそれを強く感じた。コンセプトはもちろん、写真に写る私のポーズや、持ち物の意味、着物の色や組み合わせについてなど、ポートレートのことに質問は集中した。そのひとにとって私は、自分の手がけた着物を使い写真表現をする芸術家となる。
アートとして位置づけられる写真作品や、工芸品もしくは衣服としての着物、日用品および商品としてのステーショナリーや手ぬぐい、スカーフやバッグ。ひとそれぞれ、興味があるものを軸にしてほかを捉える。同時に、私の存在や肩書きも変化し、ひとつにおさまらない。高橋理子はセレクトショップみたいなものだと思ってもらえばいい。私の感性で選ばれたさまざまな表現形態で構成されたひとつのまとまり、それ全体が私の活動であり、私なのだから。既存の肩書きはいらない。何にもおさまらず、見る方向によって多様に変化する自由さをもった存在でありたい。今回の展覧会は、私そのものを表現しているのだ。