POGGY’S FILTER|vol.3 サレヘ・ベンバリーさん
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小木“POGGY”基史氏がホストを務める『POGGY'S FILTER』の第3回目のゲストは、現在、VERSACE(ヴェルサーチェ)のスニーカー部門のヘッドデザイナーを務める、サレヘ・ベンバリー(Salehe Bembury)氏だ。Kanye West(カニエ・ウェスト)率いる「YEEZY(イージー)」でのシューズデザイナーとして経験を積んだ後に、彼がヴェルサーチェにて生み出したスニーカー「Chain Reaction(チェーン リアクション)」はまさに、本連載がテーマに掲げている“ハイファッションとストリートの融合”の象徴とも言える存在だ。昨年12月にリリースされた、POGGY氏がディレクターを務めるUNITED ARROWS & SONS(ユナイテッドアローズ&サンズ)とのコラボレーションによる「Chain Reaction」のエクスクルーシブモデルの発表に合わせて来日した彼との、スニーカー愛溢れる貴重な対談をお届けしよう。
Interview by KOGI “Poggy” MotofumiPhotographs & Text by OMAE Kiwamu
スニーカーデザインにおける新しさと共感のバランス
POGGY まず最初に、スニーカーのデザイナーになろうと思ったきっかけは?
サレヘ・ベンバリー(以下、サレへ) 自分にとってスニーカーは、ヒップホップカルチャーやバスケットボール、それから父親との思い出なんかが入り混じった、ノスタルジックな感情と強く結びついているんだ。だから、スニーカーには感情を揺り起こす何かがあるし、自分にとって生涯を通して愛情を捧げられる存在でもある。そんなスニーカーを自ら作って広めていきたいというのが、デザイナーになったそもそものきっかけですね。
POGGY サレヘの好きなスニーカーデザイナーを教えてください。
サレヘ 現在のスニーカーデザインのブループリント(青写真)を作った張本人、Nike(ナイキ)のデザイナーのTinker Hatfield(ティンカー・ハットフィールド)かな。彼は、ほかのデザイナーとは違った視点を持つことで、スニーカー業界のイノベイター(革新者)として様々な試みを成し遂げてきた人。例えば、彼がデザインを手掛けた「Jordan 11」は、それまでドレスシューズでしか使われていなかったようなパテントレザーをスニーカーとして初めて導入したモデル。従来のスニーカーとは全く異なるデザインで、今では「Jordan」シリーズの中でも最も有名なモデルの一つとなっているよね。
POGGY ティンカー・ハットフィールド以外で、他に誰か好きなデザイナーは?
サレヘ 厳密にはスニーカーのデザイナーではないけれど、山本耀司さんも好きなデザイナーの一人ですね。スニーカーのデザインで大事なのはバランス。誰もが驚くような新しさがある一方で、みんなに共感してもらえるような、馴染みのある見た目であることも必要だと思うんだ。その二つを両立することがプロダクトの成功にとって重要なこと。彼がデザインするスニーカーは、常に限界を超えようとしていながら、ちゃんとバランスが取れているところが素晴らしいと思う。
POGGY スニーカーデザイナーの視点で、最も好きなスニーカーのモデルは何でしょう?
サレヘ Dennis Rodman(デニス・ロッドマン)が履いていた、ナイキの「Air Shake Ndestrukt(エア シェイク インデストラクト)」というバスケットボールシューズ。このモデルは、それまでスニーカーの真ん中に位置していたシューレースのパーツが、左右非対称にデザインされていて、アウトソールも非常にアグレッシブなデザインになっているんだ。プロダクトデザインを学ぶために学校に通っていた時に、スニーカーデザインのイノベーション(技術革新)についても勉強したんだけど、このモデルはまさに今までとは全く異なる考え方で作られたものだった。スニーカーというものは商品として売れることが大事である一方で、新しさを生み出さないといけない。「Air Shake Ndestrukt」は、そういうことを考えさせられるモデルなんだ。
POGGY デザイナーとしてナイキで働いていたようだけど、ナイキではどんなことをやっていたの?
サレヘ ナイキの傘下にある、Cole Haan(コール・ハーン)のデザイナーとして働いていたんだ。ナイキの本社があるポートランド近郊のビーバートンにある技術部門で、ナイキの「Air(エア)」や「Lunarlon(ルナロン)」といったテクノロジーを学ぶことが出来た。ナイキには厳格な美学というものがあって、デザインの美しさに秀でている。その一方で、確立されたテクノロジーもあって、その価値を誰もが理解出来るような、優れたスニーカーを数多く生み出してきた。そんなナイキの傘下にある、コール・ハーンのデザイナーとして働けたのは、自分にとって非常に良い経験だったよ。
POGGY 具体的にコール・ハーンでどのようなプロダクトを手掛けましたか?
サレヘ コール・ハーンに入ってすぐの頃に手掛けたのが「Lunargrand(ルナグランド)」。ルナグランドはトラディショナルなウィングチップにナイキのルナロンをアウトソールに用いて、テクノロジーと伝統が融合した非常に革新的な靴だったよ。
POGGY ルナグランドって、サレへがデザインしたの?! 知らなかった。
サレヘ 実はそうなんだよ。それまでドレスシューズというものは硬くて、履き心地も悪くて、滑りやすくもあった。そこに異なる価値観を融合することで、問題点を機能的な部分で解決し、ドレスシューズとしての威厳を保ちながら、素晴らしいプロダクトを作ることが出来た。実際、ルナグランドは業界に大きな影響を与えて、その後、いろんなブランドが似たようなハイブリッドな商品を出しているからね。あのプロジェクトを手掛けたことで、機能性がいかに重要かということを学びましたね。
POGGY その後、LAに移ってカニエ・ウエストのもとで「YEEZY」のデザインに携わるわけですけども、どのような流れで参加することになったの?
サレヘ コール・ハーンで働いていた時のボスが、ナイキで15年間働いていたスニーカーデザインの達人のような人で。ある時、彼から何のためとは聞かされずに、とにかくいろんなデザイン案を考えるように言われたんだ。実はそれがカニエ・ウェストのブランドのためだったということを後から知らされるわけだけど、自分が出したデザイン案をカニエがすごく気に入ってくれたみたいで、その4ヶ月後に「YEEZY」のメンズのシューズデザイナーのオファーがあり、参加することになったというわけ。同じタイミングで、Celine(セリーヌ)から来たLucette Holland(リュセット・ホランド)がウィメンズのデザイナーに就任して、最初はすごく小規模なデザインチームとしてスタートしたんだ。
POGGY 「YEEZY」では、具体的にどのようなことをやっていましたか?
サレヘ カニエのアイデアを鉛筆代わりになって具体化させることが、「YEEZY」での自分の大きな役割だった。それからデザイン以外にも、マーケットのことも把握していないといけないし、重要な人たちと時間を過ごすことも大事だった。そして何より、秘密を守ることが非常に重要だった。いろいろな役割を求められたけど、自分にとってはハイファッションの世界に入るための良いステップだったと思う。
POGGY 「YEEZY」での仕事の上で思い出深いことは?
サレヘ カニエ・ウェストと働くこと自体が、最も楽しかったことでもあるし、とにかくシュールな経験だったよ。もともと、彼の音楽のファンではあったけど、一緒に働くことで、彼の世界観やデザインのファンにもなったしね。それから、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行なわれた「YEEZY」のシーズン3のショーは、自分にとっても大きな節目となったかな。
POGGY 自分もあの場にいたけど、すごいショーだったね!
サレヘ あんなショーはファッション業界でも初めての試みだったと思う。普段、ニューヨーク・ニックスがプレイしているあの場所で、自分がデザインを手掛けた作品が、巨大なディスプレイに映っているのを観るのも夢のようだったよ!
Page02. ブレイクダンスバトルのような今のスニーカーシーン
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ブレイクダンスバトルのような今のスニーカーシーン
POGGY 逆に「YEEZY」にいて大変だったことは何だったの?
サレヘ とにかく、何でもすごく時間がかかったこと。自分の時間のほとんどを「YEEZY」のために費やしたよ。でも、それもファッションデザインという仕事の一部だと思っていたから。どんな企業にいてもそうだと思うけど、自分自身がパズルのピースになるような、順応性というものが求められるでしょ。自分はカメレオンのようなタイプの人間だから、上手く適応出来ていたんだと思うよ。
POGGY 現在はヴェルサーチェのスニーカーのデザインを手がけているわけですけども、今のポジションに就くまでの経緯はどんな感じだったの?
サレヘ 普段から、センスのいい人や自分が興味を持った人に、オンライン上ですぐにコンタクトを取るようにしているんだけど、ヴェルサーチェのデザインディレクターにメッセージを送ったのが始まり。「スニーカービジネスには数十億ドル規模の大きな価値がある。これまで消費者はハイブランドに対してスニーカーを求めていなかったけど、この5年くらいで大きな変化が起きた。現在、ハイブランドは、ナイキやアディダスなどのスニーカーブランドとコラボレーションして商品を発表することで、スニーカー好きにハイファッションを紹介する役目をも担ってきている。ヴェルサーチェのような豊かなDNAと伝統を持ったブランドが同じようなことをやれば、さらにすごいことが起こるでしょう。こんな大きなチャンスを逃すのはもったいないですよ」といった内容だったかな。返事が来ることはあまり期待していなかったんだけど、その3日後には返信があったよ。アイデアを気に入ってもらえたようで、Donatella Versace(ドナテラ・ヴェルサーチェ、ヴェルサーチェのアーティスティックディレクター)とのミーティングのためにすぐにミラノへ来るように言われました。
POGGY ドナテラ・ヴェルサーチェとのミーティングのために、どのような準備をしたの?
サレヘ 周りの友人たちに相談をしたら、「サンプルとなるデザインを作って持って行ったほうが良い」とか、「お店を回って、どんなスニーカーが売れているかマーケットリサーチをしたほうが良い」とか、いろいろとアドバイスを受けたよ。当初は2ページ程度のプレゼン資料を作るつもりだったのが、最終的には40ページもの膨大な資料になってしまったよ。それを持ってミラノへ飛び、ドナテラ・ヴェルサーチェにプレゼンをしました。彼女からは非常に良い反応をもらえて、さらに複数のスタッフとミーティングを行い、その後すぐに採用が決まったんだ。信じられないような出来事だったよ。それが、今から1年と数ヶ月前のこと。
POGGY 今はイタリアとアメリカを行き来しているような状態?
サレヘ LAを拠点にしながら、ミラノには月に一度行って、1週間ほど滞在しているよ。LAは非常に良いインスピレーションが掻き立てられる場所でもあって、そんな環境の中で、自分一人だけのチームとして仕事を任せられているのは、すごく恵まれていることだと思う。
POGGY LAやミラノ、あるいは東京などを仕事で行き来して、それぞれの都市のファッションの違いをどのように感じていますか?
サレヘ 国や街によって、それぞれ異なるテイストやセンスの違いを感じるよ。東京には東京のテイストがあるし、ミラノにはミラノのテイストがある。特に東京の人たちは、自分たちの体格や合う色っていうのをちゃんと理解していて、何を着たら良いかというのがすごくよく分かっているように思う。LAとかNYの人は自分に似合ってるかとかではなくて、どこどこのブランドだからそれを着るとか、社会的に認めてもらえるためにそのブランドを着ているという感じがするな。LAは車社会だから、街中でそんなに人に会う機会もないし、基本的にカジュアルな格好になってしまう。その点、東京だと知り合いに限らず、いろんな人に会うから、お洒落をしたくなるような気分になるんだと思う。
POGGY ヴェルサーチェのスニーカーデザイナーという立場から見て、ラグジュアリーストリートのスニーカーは今後、どのような方向に向かっていくと思う?
サレヘ 今は消費者もブランドも非常に視野が広がっていると思うんだ。消費者側の観点からすると、例えば、自分自身も昔はずっとナイキを履いて育ってきて、たまにアディダスのスニーカーを履く程度だった。けど、今はスニーカー自体が格好良ければ、どのブランドかは気にしないような消費者が増えてきている。ブランド側の観点では、昔は型にはまったようなデザインしかなくて、あまり突飛なことは出来ないような時代が続いていた。それが今ではハイファッションに限らず、すべてのスニーカーデザインが、まるでブレイクダンスのバトルのようになっている。例えば、自分がデザインしたヴェルサーチェの「Chain Reaction」に対して、Louis Vuitton(ルイ・ヴィトン)がまた過激なデザインのスニーカーで返してくる。そうやって、それぞれがお互いに限界に挑戦していて、スニーカーシーン自体がすごくエキサイティングな状況になっているよね。前にも話したと思うけど、とあるブランドが僕のデザインのアイデアをパクっていて(笑)。
POGGY (笑)
サレヘ でも、それは、そのブランドが顧客に手にとってもらえるようなスニーカーを作ろうと努力している証しでもあると思うんだよね。顧客もブランドもチャレンジ出来る機会が広がっているのは素晴らしいことだと思います。自分自身、スニーカー愛好家として、全く違うタイプのスニーカーに出会ったり、予期しないようなブランドから素晴らしいスニーカーが出てくるのは嬉しいことでもあるし。馬鹿げているとしか思えないような、凄く変な形のスニーカーが出てきたとしても、それはそれで話題になる。そういうことも大事だと思うしね。
POGGY 最後にデザイナーとしてのポリシーを聞かせてください。
サレヘ 昔からファッションやスニーカーの世界には、絶対に従わないといけないルールのようなものがあると信じられていた。例えばブーツは秋や冬に売るもの、とかね。でも、「YEEZY」で夏の初め頃にブーツを出したら、それがものすごく売れたんだ。実はルールなんてないっていうことに、自分自身が気付かされたよ。もちろん、カニエのブランドだから売れたというのもあったと思うけど、それがルールを破るきっかけになったのは間違いない。消費者の動向を分析してプロダクトを作るっていうのは皆がやっていることだけど、実際はあまり意味がない。自分たちは優れたものを作っているという信念を持って、クールなものを作れば勝ちに繋がるから。だから、自分が感じたことをそのままに、誠実なデザインに落とし込むことを常に心掛けています。