祐真朋樹・編集大魔王対談|vol.34 小木“POGGY”基史さん
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今回の編集大魔王対談のゲストは、日本国内だけにとどまらず世界中から注目を集める、UNITED ARROWS & SONS(ユナイテッドアローズ&サンズ)の指揮を執る小木“POGGY(ポギー)”基史さん。その人気はSNSのフォロワー数を見ても一目瞭然。ますます活躍の幅を広げる小木さんと、様々な興味深いエピソードから今後のヴィジョンまで、ストリートとラグジュアリーのハイブリッドが確立した昨今のファッションシーンについてトークを繰り広げます。
Interview by SUKEZANE TomokiPhotographs by SATO Yuki (KilliKilliVilla)Text by ANDO Sara (OPENERS)
ミラン・ヴクミロヴィッチのようにお店とブランディングの両方を手掛けたい
祐真朋樹・編集大魔王(以下、祐真) 会社を立ち上げると聞きましたが、ユナイテッドアローズとはどう関係が変わっていくのですか?
小木“POGGY”基史さん(以下、POGGY) 今後はユナイテッドアローズ&サンズのディレクターを引き続き契約でやらせていただきながら、9月13日に自分の会社をスタートすることになりました。
祐真 その日に決めた理由はあるんですか?
POGGY その日が一番良い日だったので(笑)。
祐真 いい日にちを調べていたんですね。会社名は決まりましたか?
POGGY POGGYのPから始まる名前を、と思って今いくつか候補を出しているところです。
祐真 新しい会社ではどのようなことを始める予定ですか?
POGGY ブランドや会社のアドバイザーやお店を運営する企画など、いくつかの計画があります。
諸々決まってきたらきちんとお伝えしますが、クラシックで伝統のあるブランドがストリートのテイストを取り入れたい、という時にディレクターとして力になれたらいいな、というヴィジョンを思い描いて、キャリアを積んでいきたいです。
祐真 老舗ブランドがリブランドしたいという傾向は多いですよね。
POGGY お店も好きなので、欲張りかもしれませんが、2009年頃のミラン(・ヴクミロヴィッチ)のようにトラサルディのデザイナーをしながら、マイアミのブティック、ウェブスターも手掛けていたりするようなことができたらいいなと思っています。
祐真 ミラン、カッコいいよね。ちょうど僕が『ファッションニュース メンズ』を始めた2004年に、当時『ロフィシェル・オム』の編集長もやっていて、創刊号をお互い渡し合ったのを思い出しました。1997年にコレットをオープンして、クリエイティブ・ディレクターとバイヤーを担当した後、トム・フォードがいた頃のグッチでデザイン・ディレクターをしていたんだって。”ミスター・トム”って言ってたな。最近はどういう活動をしているんだろう?
POGGY ポーツ1961っていう、もともとはカナダのブランドのディレクションをしているはずですね。
祐真 へぇ、知らなかった、すごいですね。
POGGY あの頃のミランの勢いはすごかったですね。
祐真 コレットを成功させたのがすごかった。
POGGY ミランがウェブスターを立ち上げた時、お店に行ったんですけど、めちゃくちゃカッコよかったです。パリの有名なキャビアのお店、キャビア カスピアがお店の入り口にあって。一見マイアミ・デコというか、見た目はレストランだけど、奥に行くとショップがあって、1階はBILLIONAIRE BOYS CLUBやストリート系のブランドのフロアで、上に行くとサンローランの大きな写真が飾ってあって、デザイナーズブランドがバーッて並んでて。当時、そういうミックス感のあるショップってあまりなかったので、めちゃくちゃ衝撃でしたし、とにかくカッコよかった。
祐真 僕はウェブスターには行っていないけど、『ロフィシェル・オム』の、最初の頃の何冊かのディレクションがまさにそういう感じだった。レイアウトもカッコよかった。ハイセンスだよね。ジル・サンダーでのディレクションも素晴らしかった。
POGGY 今見ても、そうですね。
祐真 そういえばミランってトラサルディをやる前はエルメスしか着てなかったね。
POGGY そうなんですか。
祐真 トラサルディを始めて変化していくけど、それまでエルメスばっかり着ていた。さらっと、エルメスに見えない感じに。見える感じも難しいんだけどね(笑)。
POGGY そうですね。僕は、今までお店のことしかやってこなかったので、今後はブランディングも学んでいきたいです。お店とブランディングの両方をやっている人って誰かなって考えた時、ミランだなって。
祐真 確かにそうかもしれない。コレットを始める前はモデルだったって知ってる?80年代は日本にもモデルとして何度か来たこともあったらしいよ。
POGGY そうなんですね!そう考えると(野口)強さんもそうですね。
祐真 そうですね。流れとしてはちょっと近いかもしれない。
POGGY 強さんは表にも出ますけど、裏方に徹するじゃないですか。そこがカッコいいですよね。僕は、表に出なければ意味がないって周りからも言われるんです。裏方としてではクライアントが求める方向性じゃないと。
祐真 小木君が出てくれることによってブランドが立つ、というバランスはわかりやすいですね。クライアントからするとそれが一番欲しいというのはあるかもね。企業はちょっとしたタレント性とか、話題性、PRなどを求めることが多いと思います。
POGGY 祐真さんはお店はやらないと決めているんですか?
祐真 決めているわけではないんだけどね。頼まれれば、と思っているけど結局やったことはない。
大変だろうなって横目では見ているし、知ってるし。と言いつつ、8月25日に帝国ホテルプラザに香取慎吾さんとJANTJE_ONTEMBAAR(ヤンチェ_オンテンバール)をオープンしました。
POGGY お店にいると面白い出会いがありますね。
祐真 そうだよね。突然、人がやって来て。
POGGY そうですね。以前僕がやらせていただいていたリカー、ウーマン&ティアーズにも、祐真さん、ふらっと来てくださったりしましたね。
祐真 事務所から近かったからね。
POGGY カニエ(・ウェスト)とヴァージル(・アブロー)も日本に来たら必ず寄ってくれました。
祐真 面白そう。買い物してた?
POGGY カニエに関しては買い物もしてくれたのですが、お店の中央にテーブルがあったじゃないですか、入ってくるなりそこでチキンサラダを食べ始めたんです(笑)。
祐真 (笑)
POGGY 当時のカニエ、結構めちゃくちゃだったみたいで。
祐真 一人で来てサラダ食べてたの?
POGGY その時は何人かで来ていたはずですね。2007年ぐらいだと思います。
祐真 2010年だったかな、ニューヨークへ行くと僕はよくマーサーホテルに泊まっていたんだけど、毎朝カニエがそこで朝ごはんを食べていた。泊まっているのかなと思いきや、近くに事務所があって、朝のミーティングはそこでやっているということを周りから教えられたんだよね。タトゥーが入ったスキンヘッドの女の人と、必ず毎朝いた。またいるよ、みたいな。
POGGY 当時付き合っていた人ですね。その後、カニエは打ち合わせ場所をバワリーホテルに移したと聞きました。
Page02. カニエ・ウェストと“カニエシックス”の絶大な影響力とは
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カニエ・ウェストと“カニエシックス”の絶大な影響力とは
祐真 ところで、今、小木君が興味を持っているブランドや服とはどういうものですか?
POGGY リカー(、ウーマン&ティアーズ)の時からカニエたちの動きを見ていて、カニエが関わっている人たちの発信力は強いなと当時から思っていました。ただ、日本にいると、なんであの人たちがそういう影響力を持っているの?とか、なんであのブランドなの?ってハテナが多い気がするんですよね。
祐真 そうかもしれない。
POGGY 僕は彼らの人気の理由も、みんなが持っている疑問のようなものも説明できる気がするんです。
祐真 小木君は、世界中が騒いでいるこの状況や、その人気の理由をどのように見ているんですか?
POGGY 誤解を恐れずに言うと、どことなくアイドル商売に近い感じがしますね。デザイナー自身がアイドルになって服を売っていくというような。
祐真 カニエが全てを操るボスですか。面白いよね。小木君は彼らのことを“カニエシックス”って言ってたじゃない?
POGGY はい、アントワープシックスにかけて(笑)。ヴァージル、サミュエル・ロス、ジェリー・ロレンゾ、ヘロン・プレストン、ドンC、マシュー・ウィリアムスがいて、カニエがメンターとして強力にバックアップしているんです。
祐真 そういえば、2009年頃にパリのメンズコレクション会場に全員勢揃いしていたようなことがあったのを思い出しました。その塊の後ろに小木君が歩いている姿を見て「あれ?小木君もメンバー?」みたいな(笑)。
POGGY そんなこともありましたね(笑)。あの時はヴァージルのほかに、カニエ・ウェストのツアーマネージャーのドンCもいましたね。その後に彼は自身のジャストドンっていうブランドを始めるんです。
祐真 マネージャー業からブランドを立ち上げるっていう経緯がまた面白いね。
それだけこの人たちは服が好きっていうことなんだよね。
POGGY ドンCは一番服好きかもしれません。古着にも相当詳しいですし。
祐真 そんな服好きの彼はどうしてカニエのマネージャーになったんだろう?
POGGY 最初の出会いとか、その辺りも直接聞いてみたいですね。
祐真 でも服は重要なんだよね、カニエ含め。
POGGY カニエもドンCもシカゴ出身なんですよ。
祐真 なるほど。シカゴって聞くと、シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンを思い出す。ドンCとヴァージルがジョーダンのリバイバルを作っていたね。ジョーダン愛があるよね。
POGGY ストーリーがちゃんとしているんですよね。
祐真 面白いね。みんなシカゴ出身ではないよね。ヘロンはサンフランシスコで、ジェリーは?
POGGY ジェリーもカリフォルニア出身のはずです。父親がメジャーリーガーのジェリー・マニュエル。選手引退後もホワイトソックスやニューヨーク・メッツで監督をしていたようです。
祐真 そういうのが彼をアイドルのように、七光りスターとして押し上げたりもするんだろうな。ヴァージルもシカゴ出身?顔もきれいだよね。ジョーダンとかぶる。
POGGY そうですね。ヴァージルとドンCがシカゴでRSVPというお店をやっていますね。
祐真 有名ですね。行きました?
POGGY シカゴのは行ったことがないんですよ。今年、LAのダウンタウンにお店を出して、そこへは行ってきました。2005年に、おちまさとさんのテレビ番組でNIGO®さんが自宅を公開していたんですけど、その映像がアメリカのストリート系の人たちに相当影響を与えていたんです。RSVPの店内の装飾にもその雰囲気が感じられました。ルイ・ヴィトンのトランクが積んであって鉄腕アトムのフィギュアが置いてあって。
祐真 NIGO®君、影響力大きいよね。レジェンドだよね。
POGGY 僕がLAで会う人たちの大半は、NIGO® IS GODって言ってました。
祐真 『インタビュー』誌の表紙になったこともあったね。
POGGY 確か、最初はジェイZがベイプスターに目をつけて、そこからファレル(・ウィリアムス)とかにつながっていった……と聞いたのですが、それも改めてNIGO®さんに聞いてみたいです。今回ヴァージルがルイ・ヴィトンでサングラスを発表しましたよね。2004年にヴィトンとファレルとNIGO®さんでミリオネアっていうサングラスを出した時、ストリート発の人がビッグメゾンとコラボした!ってかなり盛り上がりましたよね。ヴァージルは、その時の感動に対するオマージュとして焼き直して作ったと思うんです。
祐真 多分持ってる。
POGGY えっ!赤だったら欲しいです(笑)。
祐真 当時のヴィトンのコラボものも大体あるな。
POGGY 村上(隆)さんのもありますか?
祐真 アクセサリーとか小さいのしかないけど。
POGGY えっ!祐真さん、欲しいです(笑)。
祐真 今思うと、ギフトのようなチャーム、希少価値のあるものになっちゃったね。その当時は何も思っていなかったけど。
POGGY そうですね。NIGO®さんや(藤原)ヒロシさんなどが、ファッションとアートをつなげていったんだと思います。それに影響を受けて、今ヴァージルなどが違う形で波を作っているような気がします。2007年頃にNIGO®さんとフェンディのイベントが東京で行われたのを覚えていますか?
Page03. ニューガーズグループとの出会いでその後のキャリアが決まったヴァージル
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ニューガーズグループとの出会いでその後のキャリアが決まったヴァージル
祐真 あったね。エイプの人形がフェンディ柄だった。
POGGY あの時、カニエとドンCも来ていたんですよ。
祐真 大きなイベントだったよね。僕は日本にいなくて行けなかったんだけど、人形が家にあったよ。
POGGY えっ!祐真さん、それもレアです(笑)。
祐真 息子にあげちゃったような気がする。まだ小さくてその価値もわからないような息子に。
POGGY そういうのをカニエたちが見て、いつか自分たちも……みたいなのはあったのかなと思います。
祐真 そうだったのかもしれない。シカゴのルイ・ヴィトンに飾ってあった村上隆さんの作品を見たヴァージルが、「自分たちでも世の中を変えられるかもしれない」って思ったという記事をどこかで読みました。ヴァージルって建築を勉強していたんだってね。
POGGY ラフ・シモンズも建築を学んでいたんでしたっけ?
祐真 ラフは当初はコンテンポラリーアートに興味があった。ファッションを本業にするとは思っていなかったらしい。でも、見方を変えれば、彼が表現するファッションがコンテンポラリーアートだったという風にも思える。後々そういう話を本人から聞いて、そういわれてみればそうだよねって。ジル・サンダーのデザイナーになって、そこからは既存のブランドをリブランドするっていう、クリエイティブ・ディレクターになっていった。ディオールを経てカルバン クラインにまで携わった今、てっぺんまで来ちゃったね。
POGGY そうですね。カルバン クラインで、アメリカの王道のアートを服に落とし込んでいるところもカッコいいですよね。
祐真 ずっとやりたかったんじゃないかな。それまで、パリコレで発表していて、アメリカンカルチャーへの興味や憧れはずっとあったのかもしれない。ディオールまで行ったら、ひとつ、自分の中ではパリは卒業というか、やるところまでやったなっていうのはあったのかもね。それでカルバン クラインへ、っていうのはなんだかわかる気がする。昔からカルバン クラインの広告表現って、ラフがやってきた、ジェンダーレスな世界観と近いよね。
POGGY プリントの手法も手作業っぽくてカッコいいですよね。
祐真 シルクスクリーンが好きだよね。アンディ・ウォーホルのファクトリーから影響を受けているはずでしょうね。次はどうするんだろう。
POGGY ところで、アンディ・ウォーホルは自分で絵を描かなかったというのは本当ですか?
祐真 どうなんだろうね。いろいろ言われているけど、会ったことがないからわからないな。レシピを作って、やっといてっていう、シェフみたいなものかな。
POGGY カニエとヴァージルもそういう感じに近いと思うんです。2000年代中盤頃、パステルというブランドを始める計画を引っ下げて、彼らはよく東京に来ていました。いくつかの日本のブランドを訪ねて、一緒にパステルをやらないかって話をしていたんですよ。フェノメノンへ行ってサンプルを作らせて、ここが気に入らないから直してと言ったと思えば、今度は違うブランドにもアプローチして……。清永(浩文)さんのところにもどっちかが来て、サンプルを作る作らないという話があったと聞きました。その後、その延長か、パリでウォルター(・ヴァン・ベイレンドンク)やラフ・シモンズなどいろんなところに弟子入りさせてくれと頼んだという話は有名ですよね。ブランド側に断られ続けて最終的に、ヴァージルとカニエはフェンディで一年ぐらいインターンをしていたらしいです。
祐真 笑えるよね、それ!
POGGY でもそれぐらい情熱を持ってやっていたということですよね。あれぐらいの立場の人たちならそんなことしなくてもいいじゃないですか。
祐真 それは何年頃だったんだろう?すごいよね。
POGGY 2008年、9年あたりだったかと。僕の憶測ですが、ヴァージルはその時に、デザイナーがすべてをデザインしているわけではないと知り、チームの重要性に気づいた。その後、イタリアのニューガーズグループと出会って、そこから彼のキャリアが始まっていったんです。
祐真 アイデアは自分が持っていて、それを具現化してくれるチームを作っていったわけですね。
POGGY ヴァージルはその前にパイレックス・ヴィジョンというストリートブランドをやっていたんですよ。チャンピオンにプリントしたり、ラルフ ローレン ラグビーから買い付けてきたネルシャツにプリントしたり。当時から人気でしたが、その後ニューガーズグループと出会ったんです。それまではアイデアは面白かったけどクオリティはよくなかった。ニューガーズグループが彼をバックアップしてからは、ストリートのアイデア、プラス、メイドインイタリーというクオリティが加わって、波が大きくなっていったんだと思います。
祐真 いい組み合わせですよね。
POGGY そのニューガーズグループに最初に入ったのが、マルセロ・ブロンです。DJだったマルセロはもともとファンを多く持っていた人物。彼に高いスウェットなんかを作らせれば、お客さんにリーチしやすい。この間GR8の久保(光博)さんに言われて思い出したのですが、マルセロが以前日本に来た時に、僕たちが彼のアテンドをしたことがあったんです。その時に、ニューガーズグループに誰か新しい人を入れたいんだけど、いい人はいないか?って相談をされたのですが、僕たちはヴァージルを薦めたんですよ。その後、実際にヴァージルが加わったので、もしかしたら僕たちが言ったことが採用されたのかもって。
祐真 そういう声が大事だからね。現実になっていくから。実際ヴァージルはそれだけの力や影響力があったっていうことだよね。みんながなんとなく興味を持つ人。
サンプルを途中まで作らせておいてバックレやがって……って普通ならろくでもない奴だなって思うけど、それ以上に何か魅力的な部分があったということだよね。だから今やヴァージルはルイ・ヴィトンのメンズ アーティスティック・ディレクターですよ。
小木君は、実際に彼らとは頻繁に会ったりする関係性なんですか?
POGGY 僕は全員に会っています。ジェリーはFEAR OF GOD(フィアオブゴッド)というブランドをやっているのですが、2014年に、知り合いのデザイナーに「面白いブランドがあるから一回会ってみて」と言われて、ハリウッドにあるソーホーハウスで待ち合わせをして、初めてジェリーに会いました。その時はまずパソコンで画像を見せられた後に「サンプル持って来てるから見る?」って地下の駐車場へ。その時ジェリーが乗っていたポルシェのトランクからサンプルが出て来たのは圧巻でしたね(笑)。大興奮しながら駐車場で試着して、そこから取引が始まりました。
祐真 その時点で人気はあったんですか?
POGGY 一部ではそうですね。3シーズン目ぐらいだったと思います。
祐真 ジャスティン・ビーバーもすでに着ていたの?
Page04. 祝・OPENERSでPOGGYさんの連載スタート!
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祝・OPENERSでPOGGYさんの連載スタート!
POGGY ジェリーはジャスティン・ビーバーのスタイリングをしていたんです。自分のブランドを着せてから盛り上がったようですね。ジェリーは黒人のカルチャーをジャスティン・ビーバーに纏わせることでイメージを広げていった気がします。
祐真 ブランドにもいたんだよね。3ブランドぐらい渡り歩いたという経緯を何かの記事で読みました。どこかで会ったことがある気もする。
POGGY ショー会場にもいますよね。あと、僕がヘロン・プレストンに初めて会ったのは、2013年にオレゴンにあるナイキの本社にプレスツアーで招待してもらった時。その時ヘロンは、ナイキ側の人間として招待客を案内していたんですよ。イケメンがいるなって思ったのを覚えています。その後も、ストリート系の面白いイベントが開催されると必ずヘロンがいた。ヴァージルがパイレックスをやっていた時、BEEN TRILL(ビーントリル)というクルーによるストリートブランドが流行っていたのですが、それにはヘロンとマシュー・ウィリアムス、ヴァージルなんかが絡んでいたんです。その後、ヴァージルがヘロンをニューガーズグループに誘ったそうです。
祐真 カニエシックスはみんなニューガーズグループのメンバーなんですか?
POGGY ヴァージルとヘロンだけですね。ジェリーはLAで服を作っているし、ドンCも自分でやっている。サミュエル・ロスは一人だけロンドンですし。ヴァージルからインスタ上でオファーが来たって言っていました。ヴァージルやカニエのグラフィックを手伝っていたようです。一週間に2000グラフィックぐらい制作していたと聞きました。グラフィックは彼らにとってとても重要な要素のひとつなので、そういった意味でも90年代の裏原宿の感覚が近いんでしょうね。
祐真 サミュエルはグラフィックデザイナーなの?
POGGY はい、大学でグラフィックデザインを学んでいたはずです。
祐真 パリコレを震撼させていますが、エネルギーがすごいね。こうやってみると全員オープンですよね。
POGGY みんないい人たちなんですよ。
祐真 すごくいいなと思います。ファッションはそうやっていかないと広がらないから。インターンもするとか、自分の立場関係なく、そういうことまでやってしまう姿勢が面白いし、いいよね。そしてそれを世界中が知っていたりとかね。そういうのも全部気にせず言っちゃうわけでしょ。
POGGY その辺も改めてオオスミ(タケシ)さんに聞いてみたいです。
祐真 そうか、オオスミさんもミュージシャンだもんね。スワッガーやってフェノメノンも始めて。
POGGY ヴァージルやカニエがパリコレに集団で来ていた当時からアメリカで取引先があったり、フェノメノンはストリートの人たちの間ではものすごく注目されていましたね。その頃、タズというLAのミュージシャンもカニエたちと一緒にパリコレに来ていたのですが、その前にオオスミさんから紹介してもらっていたんです。そんな出会いのおかげで、フェノメノンとタズとMCMのトリプルコラボをリカーで販売することができました。ビッグバンも買いに来てくれましたね。
祐真 言ってたよね。面白かったね、あの店。
POGGY ビジネス的にはうまくいかなかったのですが(笑)、最初の頃はシュプリームも置いていたんですよ。コルソコモの人たちも買いに来てくれました。
祐真 そうだった!シュプリーム、今やすごいですね。
POGGY CFDAも受賞しましたよね。
祐真 すごいよね。
POGGY 最近ではヴィトンとのコラボが話題でしたね。
祐真 コム デ ギャルソンもコラボしてたし、シュプリームは人気があるよね、ずっと。最初ブランドができたての時、もう亡くなっちゃったんだけど、ニューヨークにカメラマンの友達がいて、「こういうブランドのカタログ撮影したんだよね」って持ってきたのがシュプリームだった。スケーター数人が集まって作ったブランド、って。ステューシーが売れていた時代だったから、ステューシーの真似?とか言ったりしたのを覚えている。なんで撮ったのか聞くと「お金ないって言うからさ」。「お金なくても撮ってくれる人って思われたんだね、お前は!」って言いながら(笑)。それがあっという間にこんなに大きくなって。ストリートから出てくるものって面白いよね、自力な感じで。カニエたちも、名前はあれど、インターンやるぞ!って。すごいよね、インターンって。フェンディも使いづらいよね。「カニエさーん!」なんて。
POGGY コピー取ってきてくださいなんて言えないです(笑)。
祐真 コントだよね。すごいなぁ。面白いね、ファッション業界は。そういうアメリカンドリーム的なところがあるよね。
POGGY そういえばANTI SOCIAL SOCIAL CLUB(アンチソーシャルソーシャルクラブ)のニーク(・ラーク)もそうですね。僕がニークに初めて会ったのが2010年頃ラスベガスの街中から少し離れたところにあるFRUITION(フルイション)という古着屋。ジェレミー・スコットと、ヒップホップ関連の古着をミックスして売ってたりして面白かった。そこが近所にあるステューシーとも仲がよくて。ニークはステューシーのファッションイベントなんかでパーティスナップを撮ったりしていたのですが、当時の彼は、日本のカルチャーが好きな変わった感じの人でしたね。僕がお土産で日本のHなモノを持って行って渡すと「ありがとうPOGGY」って(笑)。
祐真 (爆笑)
POGGY その後ニークはステューシーに入って、インスタグラムとかSNS担当をやりながらプライベートでBEEN AZN(ビーンアジアン)っていう自分のブランドを始めました。ヴァージルたちがやっていたビーントリルのパクリ的な感じでしたね。それからアンチソーシャルソーシャルクラブをスタートしたんです。最初はウェブ上でオーダーを受けて自分で出荷していたのが、キム・カーダシアンが着用した辺りから突然火がついて、今はかなりの金持ちになったと思います(笑)。純粋なストリートファッションであそこまで成功した人ってここ最近では久しぶりだと思いますね。
祐真 叶えましたね、アメリカンドリーム。
POGGY びっくりしました。今では誰もニークに会えないみたいな感じになっちゃってますから。
祐真 それはそれで寂しいだろうけどね、本人も。
POGGY すごく面白い奴だったんですけどね。
祐真 ずーっと言い続けたほうがいいよ。「例のモノ、僕、渡したよね」って。「言ったよね?ありがとうって」。
POGGY めちゃくちゃ喜んでましたからね(笑)。
祐真 小木君には今日話していただいたような内容でオウプナーズで連載を始めていただくことになりました。
POGGY どうぞよろしくお願いします。
祐真 今日はありがとうございました。
小木“POGGY”基史|KOGI "POGGY" Motofumi
1976年札幌生まれ。97年、ユナイテッドアローズ有楽町店でアルバイトからキャリアをスタートし、2002年プレスに就任。06年社内ベンチャー制度により、リカー、ウーマン&ティアーズを立ち上げ、ディレクターを務める。10年、バイヤーに就任。同年ユナイテッドアローズ&サンズを立ち上げる。15年にはラスベガスの合同展示会Liberty Fairに「POGGY’S WORLD」を初出展。15、16年とHYPEBEAST 100に2年連続で選出されるなど、SNSでも彼を支持するフォロワーが多い。今年独立し、これからの動向に注目が集まるファッションアイコンの一人。