石川次郎さん(1)「靴の追憶」
エディトリアル・ディレクター石川次郎さん(1)
「靴の追憶」
『ポパイ』や『ブルータス』『ターザン』といった数々の雑誌創刊に携わった石川次郎さんは、
今日の雑誌メディアを創った立役者のひとりとして知られる人物。
現在もエディトリアル・ディレクターとして、雑誌や放送メディアの中心で活躍されています。
本対談では、石川さんが若き日に何を思い、どんな物語を経て編集者を目指したのか、
また人生を通して刻まれ続けている旅や靴の思い出について、連載3回を通じてお話をうかがいます。
まずは幼少期から好きだったという「靴」の思い出にフォーカスしましょう。
ホストはジョン ロブ ジャパン代表取締役社長の松田智沖さんです。
構成=秦 大輔(City Writes)写真=jamandfix
時代とともに刻まれた靴の記憶
松田智沖 石川さんは昔から靴が大変お好きだとうかがっています。
石川次郎 ええ、小学生の頃に親から履かされた靴の感触まで鮮明に覚えてますよ。戦後でモノが豊かな時代ではなかったから親戚のお下がりだったんでしょう、黒い編み上げブーツでしてね。紐を結ぶのが面倒ではあったのですが、履いた瞬間に感じる安心感といいますか、充実した気分になるのが子供心に分かりました。僕はこの安心感というのが靴においていちばん大切だと今でも思っていますよ。
松田 そんなに小さな頃から感心をもたれていたんですね。
石川 中高時代の靴の思い出も不思議といっぱいあります。大学に上がる頃になるとちょっと生意気になって、銀座の『フタバヤ』まで靴を買いに行っていました。おカネがなかったものだからアルバイトしては靴やシャツにつぎ込む。
松田 大学生でフタバヤに行けるというのは凄い。
石川 生意気な、でもスジの良い不良が周りにいて、連中の影響ですよ(笑)。はじめてのオーダーメイドを経験したのも大学の頃です。神田の『平和堂』というお店でサイドゴアのブーツを同時に2足つくった。一足5000円くらいしたかな。当時、1日アルバイトしても日給600円程度。トラックの上乗りすると1000円貰えた。そんな時代だから靴にそこまでおカネを掛けているなんて、考えてみればイヤなガキですよね(笑)。
松田 昔からお洒落でいらっしゃったんですね。
石川 興味があっただけですよ。当時はちょうどVAN
(1954年スタートしたわが国初のファッションブランド。米国東海岸の名門私立大学のグループ、
アイピー・リーグの学生たちに広まったファッションをアレンジ。60年代の流行に敏感な若者に絶大な人気だった
)
が人気になった頃で、同時に日本にない情報が急激に入ってきたときでもあった。モノのない時代から、世界中のモノが手に入る時代へと移行する節目だったんです。
松田 ファッションの世界へ行こうとは考えなかったんですか?
石川 仕事にしようとは思わなかったですね。才能ないだろうと。それに当時、じつは新聞記者になりたかったんですよ。結局、週刊誌の記者になっちゃったけど(笑)。
その後『メイド・イン・USAカタログ』(1975年)の編集をしていた頃はワークブーツに傾倒していましたね。レッドウィングを取材したくて、カリフォルニアまで行った思い出があります。
おカネはなくても、大人の世界が覗きたかった
松田 ジョン ロブを知られたのはいつ頃だったのでしょうか。
石川 もうはっきりと覚えています。1969年、雑誌『WEEKLY 平凡パンチ』の駆け出し編集者だったときでした。はじめての海外取材でパリへ行ったんですね。それで大人の世界が見たくなって、憧れだったフォーブル・サントノーレ通りへ向かった。新人編集者でおカネなんかあるわけないんだけど、ふらふらと歩いているうちに行き着いたお店がエルメス。そこに、ジョン ロブの靴があった。
もちろんジョン ロブとエルメスの関係なんて当時知る由もなかったのですが、それでも英国靴の匂いを感じましたね。ずっと見入ってましたよ。手が届くわけもなくてそのときは見るだけで終わりましたが。
ちなみに初めて履いたのは随分後で、雑誌『ブルータス』が創刊した頃。やっと手に入った! と感動したのを覚えています。
松田 その1足はまだお持ちでしょうか。
石川 いえ、もうありません。25年も昔のことですから。でも、もしまだ持っていたらそんな古い靴でも修理してくれるんですよね?
松田 ええ。30年以上履ける靴というのを目指していますから。
石川 ジョン ロブはそうそう簡単に買える靴じゃないんだけど、きちんと手入れしながらずっと履くことを考えれば割安感もありますね。
松田 初期投資はたしかに割高かもしれませんが、そう考えてくださるお客さまに支えられています。嬉しいことですね。
ジョン ロブの未来に求めること
松田 これからのジョン ロブに求められることはありますか?
石川 世間の流行とは無縁の存在でいてほしいですね。新しいデザインに挑戦しながらも、昔のモノは昔のモノとして残してほしい。そこにあるジョッドパーブーツなんて、ものすごくクラシカルなんだけど、いまも本当に美しい。普遍の美ですよ、これは。なんでも、一度生産中止したものを復活させたとうかがいましたが。
松田 はい。クラシカルなスタイルの靴ということで注文数も少なく、一度は生産ラインからなくなりました。でも、われわれ日本からのはたらきかけ、好評の7000番ラストにのせ替えて復活させたんです。
石川 素晴らしいことですね。こういう靴は残すべき。(眺めながら)履いているうちにいかにも味が出てきそうじゃない。雨の日にもガンガン履きたい。と言いつつ、こうやって眺めていると飾っておきたくなったりしますね(笑)。
Profile
エディトリアル・ディレクター
石川次郎さん
1941年東京生まれ。64年に早稲田大学卒業後、海外旅行専門の旅行代理店へ就職。2年で辞め、平凡出版(現マガジンハウス)へと入社。『平凡パンチ』誌の海外取材担当編集者となる。
『メイド・イン・USAカタログ』を経て、『ポパイ』『ブルータス』『ターザン』『ガリバー』の創刊に携わり各誌の編集長を歴任。93年2月にマガジンハウスを辞し、編集プロダクションを設立する。
94年からテレビ朝日『トゥナイト2』のキャスターを8年間務めた。現在、BS朝日の旅番組『亜細亜見聞録』に出演中。