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2019年7月17日
MEDICOM TOY EXHIBITION'19 開催直前インタビュー|MEDICOM TOY
MEDICOM TOY |メディコム・トイ
メディコム・トイ代表取締役社長 赤司竜彦さんに聞く(1)
“平成”から“令和”という新たな時代を迎えた2019年に、設立から23年目に突入したMEDICOM TOY。「自分たちが欲しいものをつくる」という飽くなき探究心を原点に、「トイ」「フィギュア」「アート」といったジャンルの垣根を軽やかに飛び越えながら未踏のフィールドに挑戦する彼らはいま、どんな未来を思い描いているのだろう? その片鱗を垣間見ることができる催しが、今年も表参道ヒルズ スペース オーにて開催される。年に一度、MEDICOM TOYのこれまでと、これからが一堂に会する「MEDICOM TOY EXHIBITION ’19」。今年もメディコム・トイ代表取締役社長 赤司竜彦氏に展示会の見どころとこれからのビジョンについてうかがった。もちろん会場限定商品も多数用意されているので、合わせてチェックしていただきたい。
Photograph by OHTAKI Kaku Text by SHINNO Kunihiko
エキシビション開催の経緯を振り返って
──まもなくMEDICOM TOY EXHIBITION ’19の開幕ですね。
赤司 2003年にスタートした催しですが、当時のことをご存じない方もいらっしゃるかもしれないですね。16年前ですから、ウェブにもほぼ記録が残ってない。デジタルタトゥーという言葉が話題になりましたが、その一方で古いデジタルの史実ってどんどん上書きされていくので、実は探すのが大変なんです。
紙だとすぐ検索できることでも、ネットだと2000年前後のニュース記事やブログが出てこない。そういう過渡期にメディコム・トイのエキシビションは始まったんだなと改めて思いました。
紙だとすぐ検索できることでも、ネットだと2000年前後のニュース記事やブログが出てこない。そういう過渡期にメディコム・トイのエキシビションは始まったんだなと改めて思いました。
──そもそもMEDICOM TOY EXHIBITIONが始まった経緯はなんだったんでしょうか?
赤司 メディコム・トイ設立が1996年で、2002年までは東京おもちゃショー(※日本玩具協会が主催する国内最大規模の玩具の展示会)に出展していたんです。
’03年にMEDICOM TOY EXHIBITIONをやろうと思ったきっかけは、青山にあったNOWHEREにBAPE® GALLERYでができて、そのキュレーションを担当されていた飯田昭雄さんからギャラリースペースを使って何か一緒にやりませんかとお誘いいただいたことがきっかけでした。飯田さんの粋な計らいですね。あの時、声をかけられなかったら、もしかするとおもちゃショーにまだ出てたかもしれないです。
’03年にMEDICOM TOY EXHIBITIONをやろうと思ったきっかけは、青山にあったNOWHEREにBAPE® GALLERYでができて、そのキュレーションを担当されていた飯田昭雄さんからギャラリースペースを使って何か一緒にやりませんかとお誘いいただいたことがきっかけでした。飯田さんの粋な計らいですね。あの時、声をかけられなかったら、もしかするとおもちゃショーにまだ出てたかもしれないです。
──単独メーカーがエキシビションというかたちで来場者に新製品をいち早く見ていただくという試みは画期的でした。
赤司 おそらく5年間、東京おもちゃショーに出て、若干のアウェイ感を感じていたんじゃないかなと思います。代表幹事のタカラトミーさんとは現在も変わらず仲良くさせていただいてますが、あの場所にうちの商品を並べることを一度考え直したほうがいいなって。
忘れもしない5年目のとき、メディコム・トイのブースの前でどこかのメーカーさんが出展していた「パラパラロボ スペースゴリラ」という電動のおもちゃが延々と鳴り続けて気が狂いそうになったことがあったんです。ユーロビートが流れてパラパラを踊るゴリラ(笑)。当時、流行っていたものを合わせているのですが……。結局、刷り込まれて買っちゃったんですけど(笑)。
そのとき何とも言えない不思議な感じがあって。これはちゃんと自分たちでイニシアチブをとって演出まで含めてやりたいなと。だからMEDICOM TOY EXHIBITIONの誕生は「パラパラロボ スペースゴリラ」のおかげでもあるわけです(笑)。
──前夜に行なわれた業界関係者向けのレセプションでは、全員に非売品のSTAR WARS™ のKUBRICKをプレゼントしていたこともサプライズでした。
赤司 当時ルーカス・フィルムにいたスティーブン・チアニーシが面白がってくれたことが大きいですね。スティーブンが後にハズブロに行き、トランスフォーマーBE@RBRICKを一緒に作り、いま彼はユニバーサルのヴァイスプレジデントとしてドリームワークスのチームを率いています。彼と僕でいま新しいい取り組みを考えているところなので、こちらも楽しみにしていてください。この頃からずっと地続きなんです。
──そして翌年、’04年からは渋谷パルコ パート3にあったパルコギャラリーに会場を移します。
赤司 ’04年ですと、まだうちは設立8年目。パルコで何かをやるというのは自分たちとして願ってもないことだったので、果たしてやってくれるのだろうか? なんて思いもあったんですけれども、関係者の御尽力もあり、すんなりジョインできた感じでした。
とはいえ初めて会場をお借りして先方もどれぐらい数字が取れるんだろうと気にされていたでしょうから、うちとしても出来る限り頑張らなきゃと士気を高めていましたね。この年はBE@RBRICK WORLD WIDE TOUR(世界各国の高感度なクリエイターが1000% サイズのBE@RBRICKをキャンバスに、それぞれの世界観を表現した展示会)と併催したんです。
──ちなみに同時期に行なわれていたパルコの催事を調べたところ、「冬のソナタ ペ・ヨンジュン 優雅であぶない世界展」、演劇は「ロックミュージカル ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」でした。
赤司 なるほど。時代を感じますね。そこからしばらくパルコでの開催(’08年からはパルコファクトリー、’12年からはパルコミュージアムと名称を変更)が続き、年に一度のお祭りみたいな感じで皆さん楽しみにしてくださるようになりました。
ただ、正直なところ’13年、’14年あたりからここはキャパシティー的に無理かもしれないなと思い始めたんです。せっかく入場していただいたお客様が通路も歩けないくらい混雑した状況になってしまって、ご挨拶もできない。ちょっとこれはまずいぞと思っていたところで、メディコム・トイ設立20周年を迎えた’16年から表参道ヒルズのスペース オーに会場を移すわけです。
──今年で4回目となる会場ですね。
赤司 スペース オーを新たな会場に選んだのは、同じ年に表参道ヒルズに新しく出店したMEDICOM TOY PLUSと絡めてのお話だったと思います。オープンに合わせて地下のスペースを使えないだろうかという話が弊社の中で上って、だったら一度相談してみましょうかという感じでした。表参道ヒルズのご協力をいろいろいただけることもあって、フロア内に巨大なBE@RBRICKのバルーンを飾ったり、楽しい空間ができているかなという感じがしていました。