ちいさな図版のまとまりからから建築について考えたこと|石上純也氏レクチャー・後編
ちいさな図版のまとまりからから建築について考えたこと
石上純也氏レクチャー 後編
前回に引きつづき建築家ファーラム主催でINAX:GIZAにて行なわれた石上純也氏の講演会「自作について」から、こんかいはふたつの建築のプロジェクトとヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展についてのお話をおおくりします。
協力=建築家フォーラム、INAX出版まとめ、文=加藤孝司
t project
次は住宅のプロジェクトです。僕は現代都市の中で住宅はどのような役割があるのだろうかと考えることがあります。
この住宅のクライアントは単身者です。その人が一日中家にいるということはあまりありません。平日は夜遅くに帰ってきて、朝早く出ていきます。家に戻らない日もあります。生活するために帰ってくるというよりは、むしろ、休むために、もしくは、リフレッシュするために帰ってくるという感じです。このような生活のスタイルは、現代において、特に東京において単身者の生活スタイルということでは、わりと普通なのではないかと思っています。しかし、そのような人たちに適した住宅というのは、今のところとても少ないのではないかと思うのです。そこで、いわゆる専用住宅というのではなく、別荘のような観点で都市住宅をつくることはできないかと考えました。
具体的には敷地の大半の部分を林のようにして、その林に包まれるような小さな家をつくります。そのなかで新しい関係性をつくりだし、何か空間をつくっていけないかと思っていました。
一階の部分はランドスケープと連続するように土や草木が部屋の中まで入ってきていて、庭とインテリアの境界をあいまいに連続させています。二階の部分はベッドルームになっていて、そこから大きなバルコニーが木々の間に浮遊するようにはね出しています。
低層の地域だったので、二階の床レベルで6mほどあるこの家はまわりの住宅より少し高く、二階の床で周りの軒くらいの高さになっています。なので、ベッドルームにのぼると視界がひらけ、突然だだっ広い草原が目の前に現れたかのような開放的な空間になります。バスルームなどは敷地内にはなれとして計画していて、すべての部屋の行き来は、必ず小さな林のなかを通過することになります。
都市住宅というのはたいていの場合、街路から入っていっていきなり玄関があるということが多いと思います。都市環境からいきなり住宅の内部空間に入っていく感じです。この家の場合、夜帰ってきて、暗い林のようなところを抜けて二階のベッドルームに上がって行ってというふうになっています。のんびりとした時は、庭の樹木や植物をライトアップしてすこしお酒を飲んだり、本を読んだりしながら、眠って、朝になると木漏れ日の中を抜けて仕事に行くという感じです。家に帰ってきたというよりは、週末に別荘地に出かけるような感じで、環境そのものを変えていくような感じです。それを毎日の生活のなかに取り込むのです。その人が家で過ごす短い時間をすごく気持ちよく居られるような感じでつくっていけないかなと思っていました。
ここでは周囲の環境との関係性を考えることによって、住宅という小さな建築をつくれないかと思っていました。そのようなことは公共建築においては普通なことなのですが、住宅の場合、たいていの場合は個人的な空間なので、当然内側に閉じているものが多いように思います。クライアントの要求や趣味がほとんどの条件になるということが多くなってしまいます。そこで、何かまわりの環境と小さな住宅を同時に、同じくらいの強度でつくっていけないかと思うようになったのです。
ある日突然自分の家の前に大きな建物ができるよりは、林が現われてくるという方が、まわりの住民にとっても生活環境が改善されていくので、よいのではないかと考えていました。このような住宅の考え方はとても東京という街にわりとあっているように思えます。
世界中の多くの都市、とりわけ、ヨーロッパなどはパブリックスペースとプライベートスペースがはっきりと分かれています。たとえば、パブリックな街路と建物のなかのプライベートなインテリアがオンオフのように切り換えられるような感じです。その間には何もありません。ところが東京の場合は、それぞれの建物に対して、一つの敷地があり、その敷地境界線から多少なりともセットバックして、周囲の建物と間隔をあけながら、それぞれ独立して建物が立ち並んでいくことで街ができあがっているのです。その違いは大きいと思っています。住宅と住宅、もしくは、建築と建築との間にある小さな余白のような環境のことを考えていくことは、東京のような街で建築を考えるときとても有意義だと思っています。
lake project
次は、湖を計画するプロジェクトです。敷地にはもともと、ダムによって造られた人工湖がありました。現在もその水は工業用に使われており、稼働率によって水位が年間五メートルくらい変化します。湖の水位が安定しないせいもあり、周囲の環境はあまりきれいとはいえません。
ぼくの事務所にこのプロジェクトが依頼された段階では、湖のそばに公園と、湖の周りに散策路をつくるという計画だったのですが、先ほども申し上げたとおり、そもそも、湖の周辺環境があまりきれいではなかったので、設計条件を単に満たすようなやり方では効果的なものはつくれないと考えていました。
そのように考えていくうちに、湖そのものをあたらしくつくり変えることで、自然と新しい公園ができ上がってこないかと思うようになりました。
工業的な利用によって、刻々と変化していく人工的な水位の変化というものを、山とか自然のもつ季節の移り変わりなどのような変化になんとなく、人工的なものを馴染ませていくように、空間をつくっていけないかと思ったからです。
具体的には湖岸や湖底の地形を少しずつ変形させていくことで、刻々と移り変わっていく湖のかたちをつくれないかと思案中です。その湖のかたちがつくりだす風景を考えていくことで新しい空間のようなものがつくれないかと思っています。
あるときにはある場所に小さな島のようなものが浮かんでいたり、あるときには向こうの湖岸と接続されるようなところができたり、複雑な湖岸が出来上がってきて湖と陸との関係がすごく曖昧になってきたり、すごくゆったりとした湖岸が出来上がってきたり、ときにはたくさんの水溜まりのようになるときがあって向こう岸に渡れるときがあったり。
そういう風景の中に植物や小さな建物を計画していきます。木の生えている場所や、東屋とかそういうものは水に浸らないような位置に計画します。そのような植物や建物の集まり方が、湖の形状の変化によっていろいろと変わっていき、いろんな結びつきのなかで小さな街がその都度つくりだされます。ゆるやかな関係性がゆるやかに景色を変化させてゆき、そのゆったりとした動きが音もなく移り変わってゆく季節の流れのようななかに静かに溶け込んでいきます。
ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展について
ヴェネツィア・ビエンナーレは1年ごとにアート展と建築展を交互に行っていく国際展覧会です。今年は建築展なのですが、その日本館の展示を僕の事務所が担当することになります。
一般的に、建築の展覧会というと模型や図面、もしくはインスタレーションというようなかたちで、間接的に建築をあらわすということが多いと思います。もちろん、そのような展示を行うことで伝えられる情報というものもあるとは思うのですが、今回は、もう少し別なところで新しい建築を伝えられないかと思っていました。
会場にある具体性、もしくは、リアリティーをそのまま利用して新しい空間の可能性を探ること。実際の建築とそれに関係するドローイングを同時に展示するということを考えました。インスタレーションではなく、実際の建築物を計画することによって、具体的に新しい建築について考えられないかという感じです。
日本館は吉阪隆正さんによって設計(1956年)されており、ビエンナーレの会場であるジャルディーニ公園の中で唯一、屋外空間を持つパビリオンです。たとえば、ピロティであったり、エントランスに至るアプローチであったり、表庭であったり、裏庭だったり、そういう快適な屋外環境です。その特徴的な屋外空間をどのようにしたら活かせるかということをいろいろ考えていたのです。具体的には、大小の4つの温室を計画します。この4つの温室は建築であると同時に日本館の庭の中に新しく計画された庭です。建築をつくるということとランドスケープをつくるということを同じくらいのレベルで考えられないか。建築を計画するように風景を考えていき、同時に、風景をつくるように建築をつくっていけないか。そのようなことを思っていました。
それぞれの温室は、すごく華奢な柱と薄いガラスでつくられていて、計画される環境に応じて空間のプロポーションや柱の数などが異なります。そのプロポーションや周辺に合わせて、熱帯植物を温室の中に、生け花を生けるように配置していきます。植物の密度は、建築がつくりだす空間と植物がつくりだす空間、そして周囲の風景とが等価になるように、厳密にバランスを調整しながら決められます。また、温室どうしの関係性が既存のランドスケープの中に新しい空間をつくっていきます。空間をつくるとこと風景をつくることを限りなくあいまいにしていくことで、これまでにない建築の可能性を考えようとしています。
また、温室とはいっても設備的なものを利用して大々的に環境を変えていくのではなく、シャボン玉の膜のように薄いガラスに包まれることによって、そこの場所にある環境に少しゆらぎを与えて、ちょっと環境を変えます。そうすることで、植物の多様性は劇的にひろがっていきます。
草花の茎や木の幹のように華奢な柱とシャボン玉のように薄いガラスによって、既存の公園がつくり出す環境と建築が生み出す空間をどこまでも曖昧にしていけないかと思っています。
現代建築家コンセプト・シリーズ・2 石上純也
ちいさな図版のまとまりからから建築について考えたこと
著者|石上純也、五十嵐太郎、ほか
発行|INAX出版 http://www.inax.co.jp/publish/
判型|210mmx150mm
ページ数|160ページ(オールカラー)
定価|1890円
2008年9月5日発行
石上純也さんの詳しい情報はこちらまで──
http://openers.jp/interior_exterior/index/junya_ishigami.html