連載・塚田有一│みどりの触知学 第8回:うつ うつろひ うつつ
Design
2015年5月29日

連載・塚田有一│みどりの触知学 第8回:うつ うつろひ うつつ

塚田有一│みどりの触知学

第8回:うつ うつろひ うつつ

今年は京都で梅雨と真夏の交代劇に立ち合えた。この日、午後には雷がとどろき、豪雨がまたたくまにアスファルトを濡らした。でもやがて、厚い雲が切れ切れになって、雨は弱まった。雲間から陽が射し込み、東の空には雨を抱えて急ぐ梅雨の後ろ姿が見えた。

文と写真=塚田有一(有限会社 温室 代表)

みちのきおく

雨が降り出したとき、僕たちは、染め物工場を改装したギャラリーの2階にいた。『taka ishii gallery』といって、東京の清澄と京都のここにスペースをもっている。どちらの空間もかつての「記憶」が活かされたものになっているので、その分「いま」が「未知の記憶」を呼び興す場所になりうる。トタンの屋根を叩く雨音、雷は遠くで大気を揺らしている。そんななかで作品を見た。空間ごとだ。

しろ

田村尚子さんの写真を見るのははじめてだった。医学雑誌『精神看護』医学書院刊で連載する「ソローニュの森・ラ・ボルド精神病院」という写真シリーズ。

囲われた白塗装の壁に、もっと白い(明るい)写真がならんでいる。技術的なことはわからないが、彼女は向こう側のまばゆい光を印画紙に写し取っている。そこへ向って、この精神病院の患者さんたちは自転車を漕いでいく。もしくはその光のなかでなにかに夢中になっている。光を背景にひとなつこく微笑んでいる患者さんの写真も。無垢な、剥き出しの、逆光ではっきりとは見えない表情。痛さと切なさ、そして遠さ。夢の中の風景? 「行かないで!」と声が出てしまいそうな、光景。「まばゆさよ、私ははしらう」と賢治は書いたが、僕の祖母が幾度か死の境界を彷徨ったときに、眼を見開いて、手を差し伸べ「お天道さま……!」と言っていたのを想い出したりもした。

つき

そうした写真の連作のなかに1枚だけ夜の写真があった。青黒い空に浮かぶ月影の写真だ。ぼやけた月の輪郭が気持ちをそわそわとさせもする。ソローニュの森の夜空にかかった満月。ずらして1枚だけ、かけてある。敷地の外で撮った写真が多いなかで、この1枚は建物裏の敷地内から撮られたものらしい。

昼、太陽、外、白(光): 月、夜、内、青…。

いずれにしても、thereの世界が、心と言われるなにものかの両面に、つまり光のなかにも、月と夜のなかにもあって、それは連環してもいる。眩惑と幻惑。作品の数でいえば、「多対一」。反対の一致。かなしさ=うつくしさが切り取られて、こちらとあちらの境界をまたいで僕の内側にまで広がってしまった。いったいなにが狂気なのか、隠された本当のことが狂気なのか、社会とそれを隔てると同時に守るのが、この森であり、お城のようなこの館なのかもしれない。

塚田有一│温室|田村尚子|ジェイ・パーカー・ヴァレンタイン 01

塚田有一│温室|田村尚子|ジェイ・パーカー・ヴァレンタイン 01

あい

中国の漢字にあるように「愛」という文字は、もともと「後ろに心を残しながら、立ち去ろうとするひとの姿」を写したもので、心意の定まらぬ、おぼろな状態をいう語だという。曖昧の「曖(あい)」もおなじで、この文字は「かげる」とか「くらい」という意味にもなり、くさかんむりがついた「薆(あい)」は、草木が茂ってものを覆い隠すことをいう。ラボルド精神病院にとって、ソローニュの森は「薆」であり、写真家が撮ったのは、まさにこの「愛」だったのではないか。だからこそ、こんなに切なく、手が届かない感じがするのだろう。

あと

バレンタインさんの作品は、「そのまま」感。過去の痕跡でもあり、未来への道、未知へとつながるドローイングだ。はじめて京都に滞在してつくったという作品はどれも、新鮮に京都の文物や風土との出合いを楽しんでいた。彼女のかるい痕跡は、ひとというより、水鳥? いやもっと、昆虫とか、精霊とかに近いのかもしれない。なにかがこの世にあらわれるまでの序奏? 助走のような、雛が何度も飛び立つ練習をくりかえすような、線。フラジャイルないろいろな線がうつろっては消えて(または残されて)いく。彼女の記憶、京都の記憶、この建物の記憶が出たり入ったりしている。

うつろ

ふたりとも日本語でいえば、「うつ」ー「うつろひ」ー「うつつ」の「うつろひ」にとても興味があって、そこがはかなくてきれいなのだ。

「うつ」は「うつろ」で「うつわ」であって、なにかがそこにやってくる、つまり「うつろって」くる。旧暦の七夕が近いが、七夕に竹を立てて、依り代とすることは全国で見られる。風が吹いて竹がさらさらと音を立てると、その気配を敏感に聞き取り、神さまが音連れた、訪れたと思う。内側に空洞のある竹はそのためにも依り代に選ばれる。つまり「うつろ」として。ひとの耳が音を聴きとることで「うつつ」になるわけだ。

花を生けたり、庭にたたずんで、陽射しが花びらをかすめたり、木漏れ日が際限なく揺れているのを見つめていると、そうしたなにかの出入りを感じることはやはりあるものだ。

なつ

梅雨が夏と押しあいへしあいしながら通ったあとは、暑い夏が入道雲を引き連れて豪奢に光っている。ギャラリーで借りた誰かの忘れものの傘は、もう乾きはじめていた。段々と鉦の音が近づいている。お旅所が見えて、ああ、賑わっているな。

田村尚子 / ジェイ・パーカー・ヴァレンタイン
タカ・イシイギャラリー京都
京都市下京区西側町483番地(西洞院通/新花屋町通交差点西南角)
会期|7月31日(土)まで
営業時間|11:00~19:00
定休日:日・月・祝祭日
Tel. 075-353-9807
www.takaishiigallery.com

           
Photo Gallery