連載・柳本浩市|第22回 橋詰 宗氏に「デザインと教育」をきく(前編)
Design
2015年5月15日

連載・柳本浩市|第22回 橋詰 宗氏に「デザインと教育」をきく(前編)

第22回 橋詰 宗氏に 「デザインと教育」 をきく(前編)

今回は、グラフィックデザイナーでは初のゲストとなる橋詰 宗(はしづめそう)さんです。橋詰さんはグラフィックにとどまらず、ブックデザイン、さらにはイベントなどを主催し、モノからコトを生み出しています。そういった今後のクリエイティブのあり方にとってスタンダードになりうる興味深い話を3回に渡って聞いてみたいと思います。

Text by 柳本浩市

武蔵野美術大学視覚伝達デザイン科で試みたこと

柳本 橋詰さんがグラフィックデザインに興味をもったきっかけから、日本での学生生活についてお話いただけますか?

橋詰 もとをたどると音楽が好きだったことが、デザインに傾倒するきっかけでした。よくあるパターンですね(笑)。10代のころはレコード屋さんに行くのが日課で、音はもちろんのこと、店内の壁に掛けてあるレコードジャケットを見ては、視覚的なおもしろさに惹かれまして。その後、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン科に入学しました。当時は、Webが産声をあげ、フラッシュが登場して間もないころ。グラフィックデザインがマルチメディアと融合して、大きな潮流になる黎明期でした。僕自身もそうしたクリエイションがもつ「インタラクション」(相互作用)への興味が俄然沸いたときでした。

柳本 興味が絞られていくわけですね。

橋詰 大学の授業では伝統的なタイポグラフィなどを学びながらも、一方ではプログラミングでの作品制作に励んで。卒業制作では、ソーシャルブックマークを視覚化するという、いまでいう「mixi」のようなモックアップを発表しました。具体的にいうと、スクリーンに白い点が出てきて、関連したモノが繋がっていくという。このとき僕が考えていたことは、個人がもっている情報を視覚化しながら共有できたらおもしろいなと。モックアップでしたが、僕が思う「インタラクション」というものを詰め込んだものになりました。

柳本 卒業後は?

橋詰 フリーランスで活動をはじめ、一時は広告代理店に入社しました。そのころはフラッシュが全盛期で、パッケージ単位でのウェブコンテンツをクライアントに提示していました。あわせて大きなプロジェクトにもよく参加させていただきました。しかしいろんなWebサイトが盛んに構築されはじめてくると、「テクノロジーに頼ることで、自分の考えや表現を狭めているのではないか?」と自問自答を繰り返すようになりまして。僕自身も23、4歳と若かったため、悩みながらも「もっとなにかしてみたい」という思いに駆られた時期でした。

柳本 なるほど、それで行動に出るわけですね。

橋詰 そんなとき、真っ先に脳裏に浮かんだのがイギリスという国です。音楽をモデルケースにすると、レーベル運営、イベント、海賊ラジオといった自主性の強い活動が顕著に見られたのが魅力的でしたね。クライアントワークがルーティンである自分の置かれている現状と比較して、文化構造的に自主性が問われる国に行きたいと思うようになりました。また同時期に『IDEA』誌で年1回やっていた「ヨーロッパ特集」をリソースとして見ていると、結構目を奪われるようなデザインが多くて。Daniel EatockやÅbäkeの活動には衝撃を受けました。デザインともコンセプチャルアートともとらえることができる格好良さがあって。こういう才能を生む国に行きたいという思いが高まり、2004年から2年間、RCA(ロイヤルカレッジ・オブ・アート / ロンドン王立芸術学院)へ留学することになりました。

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なぜここから優秀なデザイナーが輩出されるんだろう?

柳本 日本とイギリスの両方の学校に行ってみて、教育レベルのちがいを感じたことはありましたか?

橋詰 RCAへの進学は念願だったこともあり、僕も意気込んでロンドンに行ったわけです。ところがいざ入学してみると日本で定義される“大学”という雰囲気ではなく、とても自由な校風でした。そのため当初は「なぜここから優秀なデザイナーが輩出されるんだろう?」と不思議に思ったくらいで(笑)。まずイギリス人は「こうしなさい」ということではなく、システムや規制があるなかで自分なりの方法論を学んでいくんですね。それはRCAの教育方針にも合致するのですが、RCAに入学する学生には、それまで企業のチーフデザイナーであったり、社会で活躍しているひとも多く、すでに独自の方法論や思想をもっていて、まず授業においてその固定概念をずらされるんです。そしてなにかをつくり表現する以前に、「モノをつくることってなんだろう」と根本的なところへと立ち返るという。

柳本 でもそういうスタンスはとても勉強になる。

橋詰 武蔵野美術大学視覚伝達デザイン科の授業でいうと、1年生のときの授業に近い感じだと思いました。当時、勝井三雄氏(日本を代表するグラフィックデザイナーのひとり)が主任教授だったのですが、入学時には「いままで受験のためにやってきたデッサンなどは忘れてください。自分にとって大切なモノを探すために大学を利用してください」と。そして授業ではふたり一組になって校内を目隠しして歩いて、そこで得た情報で地図を作成したり、100本の異なる線を書いたり……。RCAの教育に近かったなと思います。しかしRCAでは授業という形態よりむしろ毎回テーマが与えられて、それについてプライベートにリサーチしていくという感じでした。

柳本 武蔵美で習っていたことが活きたわけですね。

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橋詰 その後、2年生になると大きな出合いがありました。僕のチューターがÅbäke(ロンドンを拠点に活躍中のデザイン・スタジオ)になったのです。じつは別のチューターに決まっていたのですが、好きなデザイナーだったこともあり、「Åbäkeにしてほしい!」と懇願して。RCAはそういう自主性は認められるんですよね。そしてÅbäkeのレクチャー――これがまた価値観が変わるほど衝撃でした。ある授業では、A4の紙をわたされ、そこにはその日のテーマが書かれているんですね。よく見ると「このミーティングが終わって、ドアを開けてはじめて出合ったひとを、朝から晩までストーキングしてください」と(笑)。できるだけ観察して、そのようすをのちほど発表するんですね。さらには「学校の一ヵ所に住んでください」というお題もあったりして(笑)。そのときには生徒間で「パブリックな空間に居住をおくこと」についてディスカッションしましたね。はじめはこのような内容に面を食らいつつも楽しんでいたわけですが、次第に「この授業はデザインに通じているのか」という疑問も湧き出てくるんです。Åbäkeが好きでRCAに入学したものの、ラディカルな考え方に対して、一時は拒否感に近い感情をもったとこともありました。でもこれは「デザインとはこうあるべき」「デザインとは」という僕の考え方が、彼らの言語とただちがうことの気づきであって。もともと僕は理屈でモノをつくるタイプですが、Åbäkeの作品をあらためて見たときに必ずしも言語的な解析は必要ないんだと思ったんです。

柳本 葛藤からひとつの結論的なものが開けてきた。

橋詰 それともうひとつ大きな気づきであったのは、これまでのグラフィックデザインはこちらからなにかをするということではなく、なにかがあるからグラフィックデザインをするという副次的な行為であったということです。だけどもプロダクトデザインや建築には“身体性”というものが備わっていて、座る、住むという原始的な部分とグラフィックデザインはレイヤーがちがうんですね。RCAに入学するときは同校のプロダクトデザイナーにも大きな影響を受けていて、やはりこれまでのグラフィックデザインはクライアントがいないと成立しなかったのですが、これからは自発的なグラフィックデザインが可能なのかと。そして卒業論文に選んだテーマが「エンプティネス」。論文のタイトルが「エンプティネス オブ デザイン」。奇しくも原 研哉さんとおなじで(笑)。

次回は橋詰さんの「実践」に迫ります。

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橋詰 宗|HASHIZUME So
1978年広島県生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)コミュニケーションアート&デザイン修士課程修了。帰国後、アート、建築、ファッションなどの領域にかかわるアートディレクション、ブックデザイン、ウェブデザインなど、数多くのプロジェクトに携わる。最近では領域を横断したワークショップやイベントの企画なども積極的におこなう。
http://www.sosososo.com/

           
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