柳本浩市|第19回 熊谷彰博氏(ALEKOLE)に「プロダクト発想」をきく(後編)
Design
2015年5月15日

柳本浩市|第19回 熊谷彰博氏(ALEKOLE)に「プロダクト発想」をきく(後編)

第19回 熊谷彰博氏(ALEKOLE)に 「プロダクト発想」 をきく(後編)

プロダクトデザイナーを迎えての対談企画、3人目のゲストは熊谷彰博さんです。後編は、彼のコミュニケーションのしかたや、フリーランスとしての考え方などを掘り下げます。

Text by 柳本浩市

iPodを見ながらのフランクな会話から生まれるコミュニケーション

柳本 イベントに出かけては、やがてそこでの縁が仕事に繋がったというエピソードがありましたが、そこでなにを話しているのか……同業のデザイナーはすごく気になるところだと思いますが(笑)、熊谷さんはどのようにひととコミュニケーションをして、人脈を築いていったんですか?

熊谷 特別人脈をつくろうとは思っていませんが(笑)。コミュニケーションのなかで、「どのようなものをつくっているか」という話題になったときは、iPodに残してある作品画像を見ていただく程度です。レセプションパーティーの会場では、照明が落としてあることも多いので、iPodの光にひとが寄ってくることもありますね(笑)。

柳本 たしかにパーティー会場でA4ファイルに収められたポートフォリオをみせられても対応ができませんよね(笑)。また会社でプレゼンとなるとお互いかしこまるので、iPodを見ながらのフランクな会話が、相手にも熊谷さんにもいいんでしょうね。

熊谷 いろいろな方に関心をもっていただく機会は自分でつくらないといけないと思っているので。なかでも2008年の「DESIGN TIDE」に参加したときは、“包丁の実演販売”のように、それはもう大勢の方に話しかけましたね(笑)。

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もしいま、デザイナーになりたいというひとがいたら……

柳本 熊谷さんは幼少時からひとと話すことが好きでしたか?

熊谷 ものすごく人見知りでした。ひとと話すのがずっと億劫で。ステージに上がった以上は「なにかしなきゃいけない……」と自分を追い込んでは、ガムシャラになって話すようになりました。暗い時代を乗り超えて(笑)。

柳本 人見知りだったんですね。熊谷家はどんな家庭でした?

熊谷 ごくごく一般的な家庭です。父は飲食店で働き、母も同様に働き、姉がひとりいて。しかも全員B型で(笑)。僕は一番下なぶん、自由な家族を客観的に見ながら育ちました。家族との思い出といえば……誰かが誕生日のときは、プレゼントをわたすのではなく、少しグレードがいいお店に行って、揃って食事をするのが恒例でした。いつもより少し贅たくなところに行くと、お客さんを満足させるサービス、サーブするタイミング……いろんな面で学ぶことが多かったです。僕も高校生になると、飲食店でアルバイトをはじめましたが、デザイナーとなったいまでもそのころの経験は役だっていますね。モノをつくるうえで、飲食店の影響は大きいかも……です。

柳本 うちの実家も飲食店でした。親戚の集まりがあると、いまでも90代のおばあさんが率先して、誰よりも早くお茶を用意している(笑)。サービス業ってつぎの行動を予測しますからね。すべてはお客さんによろこんでもらおうという思いであって、だからこそつねに相手を観察している。こういったホスピタリティはデザインにも通じるし、必要不可欠だと思います。もしいま、デザイナーになりたいというひとがいたら、まずは大人数の飲み会の幹事をしたり、サービス業に従事することを僕はお薦めしますね。ところで熊谷さんは専門学校を卒業後、すぐにフリーのデザイナーになりましたが、なぜ就職するという道を選ばなかったんですか?

80年代生まれの若い世代のデザイナーに共通していること

熊谷 当時、スタイリングの良さだけでは今後のモノづくりやデザインにかかわっていくのが難しいと思いまして……。そこで「コンセプトを考える」「企画を企てる」という仕事に興味をもちました。世の中を見渡してみると、ファッション、放送作家、コピーライターといった仕事で実績を残し、コンセプターになった方々も多いので。ならば僕はデザインで実績を残して……という段階を踏んでみようと思いました。ところがいざ就職活動となったとき、この段階を踏めそうな企業がなかった。就職してインハウスデザイナーになるという道は、はなから諦めていましたし。ちょうどそのころ、学校を卒業してフリーで活躍しているデザイナーが台頭しはじめました。だったら「3年間フリーでやってみて、ダメだったら就職しよう」と自身の活動をスタートさせました。そしてなんとか4年目を迎えました(笑)。

柳本 80年代生まれの若い世代のデザイナーに共通していることかもしれませんが、いまは、インテリア、プロダクト、プロデュース……カテゴリーの垣根がなくなりつつありますよね。熊谷さんはコンセプターにシフトしていくんですね。

熊谷 フリーになったときに、まずデザインの業界をピラミッドでたとえてみました。頂点にスタープレイヤーがいて、それを目指していくという。だけど、僕は最初に別のピラミッドを自分でつくれば、狭い三角形を昇る必要もないという考えで。モノをつくる以前に仕事をつくるところにクリエイティビティを発揮したいと思っています。そうしたほうが仕事を楽しめるのではと思いますね。

柳本 私もディレクターやプロデューサーになろうと思ってなったのではなく、自分で手を動かしてつくっていると、自分自身の限界を感じて──。もっと凄いひとはいっぱいいるし、これが世の中に必要であるなら、それにふさわしいひとを起用すればいいと、いつからか思うようになって。それからはいまのようなスタンスで仕事をするようになりましたね。

熊谷 モノをつくるということに意識しすぎると、ときに自分のエゴを優先させてしまい、無理を重ねてしまうことも考えられます。モノをつくるときの最初に携われば、それにふさわしいチームをつくることができます。またなにかやろうとしているひとに共感できれば相談に乗れるような存在になりたいと思っています。

           
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