柳本浩市|第16回 海山俊亮氏(MicroWorks)に「コミュニケーションツール」を聞く(中編)
第16回 海山俊亮氏(MicroWorks)に「コミュニケーションツール」を聞く(中編)
デザイナー海山俊亮さん(MicroWorks)を迎えての対談2回目。海山さんがつくるプロダクトは、デザインとコミュニケーションがバランスよく揃ったもの。“自分たちがつくりたいものをつくる”という意欲をもった80年代前後生まれのデザイナーの考え方に迫ります。
Text by 柳本浩市
自分でできてしまうものは自分でやればいい
柳本 「メーカーに自分のデザインを買い上げてほしい」と思っているデザイナーは多いはず。海山さんも仲間から相談されて「自分でやってみれば?」と思うことはないですか?
海山 ありますね。最近ではセルフでメーカー機能をもつデザイナーが増えていると思います。寺山紀彦さんをはじめ彼らのまわりのデザイナーは買い上げるメーカーの有無に関わらず、つくりたいものを自分でつくっています。自分ともスタンスが近いなと感じて仲良くなった経緯があります。ずっとメーカーと共同でデザインをしてきたデザイナーたちが「オリジナルをセルフでやる」と言って、僕に聞いてくることもあります。やろうとしたり、やりはじめたり、そういう意識があるようです。
柳本 自分でつくろうとすると型代を負担し、在庫を抱えて、原価計算があったりと複雑ですよね。一方どこかのメーカーに頼まれて仕事をすれば、そこまでの規制がないことの方が多い。このふたつの意識の違いってありますか?
海山 あると思います。あまり意識はしていないつもりですが、自分でできてしまうものは自分でやればいい、という考えはどこかにあります。クライアントさんからデザイン依頼があった場合は、まず自分の規模ではなかなかできないことをやってみたいと思います。もちろん要望はきちんと聞いたうえで。自分のレーベルのアイテムは、自分がやりたいことが100%反映されるので、依頼されたものに対しての「自我」の出し方というか……
柳本 ……出し方が難しいと。なるほど。まだ自分でモノをつくっていない人は、どの仕事においても「自我」をだそうとする。どの仕事にも。マスのデザインになればなるほど「自我」が強すぎると、お客さんから受け入れられなくなる。だけど海山さんの場合は、自我を出すところは自分で確保しているから、マス向けのデザインもあっさりと大衆に受け入れられる。自分自身を一歩引いたところから見られるから、それは悪い意味ではなく。マスで出てきたモノも海山さんぽいし。だけどつくっている方はこういうことを理解しにくいから、全部同じくらいにエネルギーを注入しないと「自分がわからないんじゃないか」という不安があるんだと思う。だから100万個つくるものも、100個つくるものも、全部同じエネルギーを費やそうとする。
海山 そうだと思います。
柳本 「自分らしさ」が心配で全部自我をだそうとするんだけど、自我を削ったにしても客観的にみると自分らしさが出ていないようにみえて出ているから本当は気にしなくていい──
こういう感覚を身につけるためにも、積極的にモノをつくってほしいと若いデザイナーに対して思います。あとできればデザイン関係の人たちが集まりやすいところだけでなく、百貨店などのマスな場所においても販売してみてほしい。なにが足りないかがよくわかるし。うちの一部の商材も大衆的なものとして捉えていて、おばちゃんたちがどのようにモノを選ぶかという実験的な試みとしてやっている。無意識でモノを選ぶという感覚は誰もがもっているわけだけど、その感覚に刺激するのって、それをどのように拾い出させるかというシミュレーションが大事。この積み重ねが大企業とのプロジェクトにも繋がっていくと思います。あとマニアックでも面白いものを追求する切り口というバランス加減がデザイナーやつくり手に出てくると世の中の人々に入り込めていけると思う。
海山 柳本さんにそう言っていただけると心強いですね。
柳本 80年代前後生まれのデザイナーの寺山さんは少し前の世代になるかもしれませんが、彼は海外でやってきて変な感覚をもちあわせているんだけど、海山さんも日本の教育で生まれてきた感覚と違うものをもっていると思う。よくありがちな「生真面目で突き詰めて、モノづくりにハマっていく」という感じではなく。たとえば寺山さんが海外で培った感覚は、「とりあえずやってしまおう、転んでも前に進む」という気がするんです。だけど日本人は「転ばないようにするにはどうすればいいか」とモノづくりを進めていくから。「転んでも違う歩き方をすればいいじゃん」というのが海外の感覚なのかな。「自分でなにかやりたい」と小さくても歩んでいる人、海山さんや寺山さんは評価に値すると思います。
精神的な部分へのアプローチで、ユーザーのモノに対する接し方を変えることができる
柳本 ところで海山さんは「droog design」に影響をうけたんですか?
海山 そうですね。根本的な考え方がそれまで接してきたものと全然違うと感じました。専門学校の一年生のときに、「面白いのをやっているから行こう」と誘われたのが、OZONEで行われていた展覧会(「DROOG & DUTCH DESIGN展」2000年10月)。それを見て、自分がこれまでにやってきたことと比べると、思考のスタートがすごく深いところ、というか全然別のところからはじまっていると感じました。そのため、選択肢としての表現方法が無限に広がっていくと思いました。座りやすさとか、使い勝手とか、そういうものももちろん大事ですが、それ以上にビジュアルとしてのインパクトも大きかったです。
そのときなんとなく思ったことがありまして、たとえばコップがふたつあって、ひとつはフツーだけど丈夫、ひとつはとても脆いけどつくり手の意識や意図を感じて共感したもの。やはり前者より後者の方が壊れないように大事に扱うだろうしケアもすると思います。前者は長く使えるように、という考えのもとで丈夫につくられたわけですが、結果、より長い期間使われることになるのは後者なのではないか。
物理的にどうこうというのではなく、精神的な部分へのアプローチによって、ユーザーのモノに対する接し方を変えることができるのでは、と思いました。接し方次第で、モノの価値や寿命は違ってくる。こんなことをdroog designをはじめてみたときに感じました。
柳本 昨日、たまたまdroog designの話になって、droog designって「使う」ということにかんしてはリアリティがないけれど、接しているなかで「リアル」という気持ちを感じるときがある。それはなにかと考えてみたら、droog designは形ではなく、地に足がついたところからはじめている分、先ほどの話と同様で、「これは完成形ではないけれど、試行錯誤を経た形」にものすごく人間らしさを感じるんですよね。あと、社会問題や歴史など身のまわりに関係する物事と深くかかわっているところもその理由じゃないかと思うんです。
海山俊亮 / マイクロワークス
1981年 東京都生まれ。在学時からオリジナルデザインの企画・製作を行い、卒業を機に2003年「MicroWorks」設立。
プロダクトを中心に素材やジャンルを超え幅広くデザインを手がける。様々なプロジェクトで作品を発表する一方、「MicroWorks Label」を立ち上げ、自身の作品の開発・販売をしている。
http://www.microworks.jp