浅間ヒルクライム2012|Event
浅間ヒルクライム2012|Asama Hillclimb 2012
日本初の本格的ヒストリックカー・ヒルクライム
日本初の本格的ヒストリックカー・ヒルクライム「浅間ヒルクライム2012」が、10月27日と28日の2日間、開催された。イベントの舞台は、小諸 高峰高原にのぼる総距離約7km、高低差約1,000mの「チェリーパークライン」。1960年代のヒストリックスポーツから最新スーパースポーツカーまで、約50台のエントリー車両によって会場は埋め尽くされた。
Text by TAKEDA Hiromi
デイトナやストラトスも参戦
日本ではかなりの自動車愛好家でもないかぎり、あまり耳に馴染みのない“ヒルクライム”という言葉。アメリカでは最新モンスターマシンによる“パイクスピーク”が大人気を博すいっぽう、ヨーロッパではヒストリックカーイベントとして開催され、フォーミュラマシンから往年のグループBラリーカーが激走するなど、かの地のヒルクライム競技は、モータースポーツのいちジャンルとして確固たる地位を築いている。
他方、日本国内に目を移せば1960~70年代のごく短期間にプライベートレベルでおこなわれた程度とされてきた。しかしそんな長き沈黙を破り、今年10月27~28日、ついに「浅間ヒルクライム2012」が開催されることになった。
日本初の本格的ヒストリックカー・ヒルクライムとなったこのイベントの舞台は、小諸 高峰高原にのぼる総距離約7km、高低差約1,000mの「チェリーパークライン」。当初は道路占有許可を正式に受け、未登録の純レーシングカーでも出走可能とされていたのだが、その後地元当局による突然の方針変更で、一般車との混走を余儀なくされることになってしまった。そして、そんな状況にたいして、これが“日本の自動車文化の限界”というような声が各方面から上がったことも事実のようだ。
浅間ヒルクライム2012|Asama Hillclimb 2012
日本初の本格的ヒストリックカー・ヒルクライム(2)
日本の自動車文化の試金石
だが実際にイベントが開幕してみると、高峰高原「アサマ2000パーク」に設定された臨時パドックは、雨と厳寒に見舞われた劣悪なコンディションにもかかわらず、旧くは1960年代のヒストリックスポーツから、90年代の純レーシングカー、さらには待望のヒルクライム開催に呼応した協賛スポンサー各社の持ち込んだ最新スーパースポーツカーに至る、約50台のエントリー車両によって埋め尽くされることになった。
そして浅間登山客の一般車両と混走で、走行スピードも制限されてしまうという、本来の姿とは程遠いはずのヒルクライムを、一般エントラントから協賛社の用意したレーシングドライバーに至るあらゆる出走者が、満面の笑顔とともに愉しんでいたのだ。
いっぽうの主催側も、公道を走ることのできないレーシングカーのため、私有地を使用したスペシャルステージやジムカーナを設定するなど、ドライバーと観客を楽しませるための努力を最後まで継続。いつしか浅間にいた、すべてのエンスージアストのあいだで、日本初、そして唯一の本格的ヒルクライムをともに育てようとする気運が生まれたのである。
オーガナイザーや今回の協賛各社は、日本に生まれた“ヒルクライムの灯”を決して絶やすことのないよう、開催時期の再考など、いかなる可能性を模索してでも来年以降も継続を決意しているとのことである。日本の自動車文化の試金石とも言うべきこのイベント。あの日会場に居た者の一人として、OPENERS読者諸賢の暖かい応援を心より期待したいとおもう。
浅間ヒルクライム
http://www.asama-hillclimb.com