あなたのクルマ 見せてください 第4回 谷口勝彦 × ジャガー XJ6
第4回 谷口勝彦 × ジャガー XJ6
機械とオトコのモノガタリ
OPENERSブログでもおなじみの、バーニーズ ジャパン クリエイティブディレクター、谷口勝彦氏は、大のクルマ好きだ。しかも、みずからの手でクルマの不調箇所をなおし、手をかけ、コツをつかむ……という、機械との対話を少年のように楽しんでいる。現在の愛車はジャガー「XJ6」。なかでも、谷口氏が乗る「シリーズ1」は、1968年から72年までのあいだ、職人が手づくりでうみだしていた、「XJ6」の初代モデル。谷口氏はなぜこのモデルに乗るのか。そして谷口氏のクルマ観とはどんなものなのか。
Text by SUZUKI Fumihiko(OPENERS)
Photographs by JAMANDFIX & Alfa Romeo
& TANIGUCHI Katsuhiko
語りたいことはいっぱいある!
これまだ4万kmくらいしか走ってないんですよ! 12月のなかばに来たばっかりだから。でもミッションからオイルが漏れてるから、リビルトのミッションを手配しようかとおもって。オーバーホールよりはるかに安いので。
ジジ顔ですよねぇ。分厚くて、咳き込んでそうな。フェンダーミラーもペッタンコの鏡がついているだけだから、使えないんです。むかしはみんなこうだった。カーステレオも8トラックです。
──クルマはこれ1台なんですか?
これ1台です。じつは、部品取り用にXJ6のシリーズ3を2台工場にもっているんです。それは84年のものだから俺にとってはもうめちゃくちゃあたらしいクルマ。だけど、シリーズ1とシリーズ3は足まわりを共有しているんです。ほかはシリーズ1とは全然ちがう、別物ですけれどね。
このXJ6 シリーズ1は4年しかつくられていなくて。バイオーダーで、要は職人が手でつくってたんです。シリーズ2からようやく生産ラインができて、一気に近代化するんですけれど。まだ40年。XJのまえにはもっとおおきい「420」っていうタイプがサルーンとしてずっとあって、それからこれに移行していくんだけれど、こんなにヒットするとおもわなかったんじゃないですか? シリーズ1は1回外したらインパネなんかネジがあわないとか、そういうのがいっぱいあった。ダッシュボードはウォールナットのムクですよ。バンパーも、いまどきこのオーバーライダーつきの鉄のバンパーなんてないよね。トランクリッドの造型も、いまはここまで複雑にはやらない。くさび形のエンボスの感じも。JAGUARのロゴも型があまいんですよ。でもそれが味といえば味ですよね。
──状態もよかった?
シートもオリジナルのままでやぶけてなかったし。これはジャガーデイのコンテストで、前のオーナーが賞をとったそうです。
これの前に乗っていたのが、いまは部品取り用になっているシリーズ3で、21万キロ走った。それで、エンジンをかえるか、買いかえるか迷っていたら、これがでてきて。エンジンは伝統の直列6発。まったくのオリジナルです。ほんとうはインマニ(インテークマニホールド 燃焼室に混合気を導入するための多岐管)かえて、キャブレターもウェーバー社の3連くらいにしたほうが調子もいいし、落ち着くかもしれないけれど。「Eタイプ」が人気で、パーツがそろっているからだとおもうんですけど、インマニもキットがあるんですよね。
乗ってみますか?
第4回 谷口勝彦 × ジャガー XJ6
機械とオトコのモノガタリ(2)
XJのなかで
これは一応、エアコンもつきますけど、熱でパーコレーション(ガソリンがキャブレターに到達するまでに気化し、燃料パイプ内に気泡を生じる現象)を起こしたらおわりだし、キャブのクルマはいまの日本の夏にはのれないとおもいますよ。俺が乗っているのは土日だけだけれど、いつなにがおこってもおかしくない。だから保険屋の電話番号をもって、いちかばちかで走るんですよ。
──ハンドルまわりはシンプルですね
コラムのレバーもないんです。全部センターコンソールのスイッチで操作する。ライトも、パネルのライトも。
手づくり感が強いですよね。いまのコンピューターで管理したクルマとはちがう。エンジンのコールドスタートにもコツがいるし。
──すでに修理もされているようですが
うちにきてから4か月のあいだにも入退院をくりかえしていて、いろいろありました。マフラーもフランジじゃなくてインローだから、シリーズ3のものとつけかえようとおもったら機構も支持してるとこもちがって、元のものの、錆びてるところもなおしたんだけどさ、ゴーンって、走ってるとき落ちちゃて。
スピードメーターも、このころのクルマはワイヤーで、後ろの軸からトランスミッションのケースをつたって直角にワイヤーがはいる、手作り感いっぱいの複雑なつくりで。だから壊れたけど、シリーズ3はワイヤーなんかじゃないから使えないんですよ。それで、部品をとりよせて、なおったはいいけど、不良品ですぐダメになって、また入院で。そのとき、オルタネーターから、ブレーキの鳴きとか、全部とりかえて、よみがえってきた。このクルマは昔のレーシングカーとおなじで、ブレーキのローターがデフのすぐ横、クルマの中心にあるの。スピードメーターはさ、ところが、ワイヤーとギヤの比率がどうもマイル表記用のだったみたいで、メーターに表示される速度が異常に速いの!
──性能的にはいかがですか?
パフォーマンスは問題ないです。ジャガー独特の猫足ってよばれる、ねばる足まわり。そういう感覚はありますよね。俺寝ちゃったもん。40年前でこの乗り味!
トランスミッションは3段オートマ。マニュアルのクルマには飢えますね。ヒール&トーなんかも昔は練習してさ。高校生くらいのころ、まだF1が葉巻型だった時代、ドライバーは0.2秒でシフトチェンジ。テレビでたまにやってて、足元がうつっても、いつヒール&トーやってるかわからない。あれには憧れましたね。
第4回 谷口勝彦 × ジャガー XJ6
機械とオトコのモノガタリ(3)
谷口クルマ遍歴
XJ6のまえに、一番乗ったのはアルファロメオかな。75年の「1750」と「2000GTベローチェ」。自分でよくいじりましたよ。ブレーキとかクラッチのレリーズもとりかえたし。2000は製造当時、部品の供給がおいつかなくて、おなじクルマ同士でも、部品メーカーがバラバラなんです。基本的には「バンデタリア」っていうところと「アテ」っていうところと。
──クルマを好きになったきっかけは?
クルマって、幼稚園のころから好きなんです。ミニカーも山のようにもってたし。親父がクルマ好きだったのかな。荒川区の下町に住んでいて、昭和40年代だから、ガイシャなんかいないわけですよ。オート三輪もいるし、スバル360とかがいる、そういう時代。そんななか、親父はオペルのステーションワゴンを買ってた。そのコラムシフトの操作をみたり、ガソリンのにおいが好きで。
アルファロメオを好きになったのは、中学生のころのことで、だから70年代初頭だね。ブリヂストンのCMで、アルファロメオの白い、1750かな、実際の排気量は1800ccなんですよ、それは昔のクルマに由来するんだけど、ともかく、林道を1750がすごい勢いで走ってて、シフトダウンして、カッパ着て歩いてる親子の横にくると、ドロドロドロドロって通りすぎて、そのあと、うわーっていくコマーシャルがあったわけ! 以来、それがどうしても欲しくて。メカのことから、エンブレムの由来、1923年からエンツォ・フェラーリがアルファのファクトリーチームから出たレースをきっかけに自分でスクーデリア フェラーリをつくって……と、なにからなにまで調べた。
実際に手にするのが27か28のころかな。マニアは段付き(アルファロメオ ジュリア スプリント GT)をね、好きだけど。その時代のアルファはすごいきれいだったわけ。バランスがとれてて、当時のジウジアーロの、ベルトーネにいたジョルジェット・ジウジアーロが手がけた形で。
そのアルファロメオを手にする前に、トヨタに就職した友達から、3Kエンジン(初代と2代目カローラのエンジン)の、2代目のカローラね、それを買って。カッティングシートでマルティーニカラーだとかいって、黒いフチつけてた。自分の名前とか貼ってさ、インレタで。血液型とかWRC(世界ラリー選手権)とか貼ってあるじゃない。それをやってたら、いとこには「個人タクシーにするの?」っていわれて。
そのころから、学生で、金ないのに、トヨタの連中とクルマいじりまくって。それがスタートだね。ポルシェの「914」かなんかのエンジンつんでたゴールドメタリックのワーゲン(フォルクスワーゲン タイプ1 “ビートル”)も買った。それはオダアツ(小田原厚木道路)でオイルがやけて、とまっちゃったりとか。37のレビン(2代目のトヨタ カローラ レビン)は、なんかの部品とりつけようとしてるときに、指でナットしめたまま忘れてて。そしたら走ってる最中に後輪が外れた。溝にナットが1m間隔で落ちてて──
だからもう、なにがあっても驚かない。あたらしいクルマには興味がまったくなくて、古いのしか乗ってないからトラブルだらけ。自分が所有してなくても、さまざまなクルマに乗りましたよ。BMW「3.0CS」、貴婦人とよばれたあれもあるし、強烈だったのは86年のポルシェ、ターボ(2代目にあたる930型の911ターボ)だっけな。クラッチを踏むのもつなぐのも重くて!
第4回 谷口勝彦 × ジャガー XJ6
機械とオトコのモノガタリ(4)
谷口的クルマ選び
──機械いじりはずっと好きだったんですか?
設備があって場所があれば、金属を加工したい。旋盤もまわせるよ。一応全部できなきゃならないから。俺の爺さんが鋳金やってて、小学校1,2年のときにベーゴマなんか爺さんにつくらされた。石綿とアルコールランプと石膏と油粘土で。やりかたおしえられて。親父はおもちゃ工場だったのね。乳幼児玩具の。だからグラインダーからなにから道具がそろってて。おじさんは芸大の先生やってて。
そういう環境の中で遊んでたっていうのは、いまの俺にはうんと影響してるね。就職なんか考えてなかったもん、ぼくらの時代は。ただ鉄が好きとかでさ、後先なんか考えてなかった。
だから、キャブレターなんかをいじってるのは好き。大好き。いまのクルマはもういじれないじゃない。俺は溶接の免許ももってるし、鉄叩いたりしてきたし、金属ってすごい好きなんですよ。エンジンのヘッドにしても、精密鋳造ですよね。オトコって機械って好きじゃないですか。
幼稚園とか小学生のときもオモチャ買ってもらってもすぐバラしちゃったりとかさ。なかはどうなってんだろ? みたいなさ。乾電池も大好きで、あの重み? 電気がついたりするワケじゃない。そういうシンプルなものへの感激。僕らの時代には、いろいろなものがなかったから、そういうちょっとしたことが面白いわけよ。いまは子供のころから、コンピュータだってあるわけだけどさ。
XJ6もサービスマニュアルとパーツカタログが整備工場に必要で、パソコンおいて作業するわけじゃないから、どうしても本が欲しい。それで、ディーラー用の600ページ以上の、オリジナルは値打ちモノで高いから、そのリプリントを2万円とかで買って、いま工場においてある。
──クルマを選ぶ基準はどこですか?
俺にとってクルマはやっぱデザインだね。まずデザイン。デザインの勉強をしてきたけれど、40年経っても見るにたえるデザインって、いまつくれるのか? って、クルマを見るとおもう。
当時のクルマがなぜ飽きないかっていうと、デザインが完成の域に達しているから。これ以上、足すも引くもままならない、完成されたデザインをうみだしたってことだよね。
そうすると、デザインは普遍的になる。
そういうことをいまはやらなくなった。できる人はいっぱいるはず。ただ、企業のありようがかわった。業績を右肩あがりにしていくには、あるレベルのデザインでいいんですよ。古くなるデザインでいい。いまの乗用車は、性能なんて、普通に使う分には、どれも十分に高いんです。そうなると余計デザインだよね。60、70年代のクルマはエンブレムかくしても一発でどこのものかわかった。
いまは、デザイナーが描いたものがそのまま実車になるようなことはあまりない。ボディはボディ、インテリアはインテリア、色は色。全部わかれてて、多くの人、部署がかかわる。個人の主観がとおりにくい。
でもユーザーは、選ぶとしたら、いまはデザインしかないんだよね。ヨタハチ(1965年から69年までつくられた「トヨタ スポーツ800」)をいまのコンポーネンツでつくったらヒットするとおもう。遊び、余裕、会社の色をだしてほしい。フェアレディの前身のSR(1967年の「フェアレディ2000」)つくってみてほしい。いすゞもベレットをつくってほしい。そういうものがあったら俺も全然OK。日本の電装部品はピカイチなんで、ハーネスを日本のにしだけで、古いクルマも血液かえるのとおなじだよね。よみがえる。
第4回 谷口勝彦 × ジャガー XJ6
機械とオトコのモノガタリ(5)
Eタイプが欲しい
イギリスって古いものを大事にするから、パーツはほとんどあるんじゃない? ジャガー XJ6 シリーズ1は、横の張り出し、前後の絞り込み、面の移り変わっていく造形とか、それにたいするライトのおさまりと、クロームのモールのつけかたとか、すごいデザインだなって。
デザインの大学にいってデザインをやっているわけだから、なぜデザインがいいかは言葉で説明できなきゃいけないんだ、僕らの仕事って。感覚で「いいよね」じゃなくて、なんでいいとおもうのか、を言葉にできないようじゃ仕事にならないわけ。でもジャガーのあの得も言えぬ構成。イギリス独特の内装のつくりにしても雰囲気あるよね。年取っていくと、みんなイギリスを好んでいくのが50すぎて、わかった気がする。だから、そういうことかもしれない。
──これは欲しいというクルマは?
クルマはずーっと古いの乗るだろうな。苦労するとおもうよ、これから。自虐的になってくるよね。快調だと、どっか壊れてるんじゃないかっておもう。
むかしクルマは症状でコンディションがわかる。音とか匂いじゃないけれど、ある程度メカがわかれば、こういう挙動ならこうだなって。突然とまることはないのよ。そういう人間臭さっていうのか、人がつくるものだから、そこがいいのかもしれない。いまのクルマはコンピューターがだめになったらとまっちゃうじゃない。それで自分じゃなおせない。プラグ交換しようっていったら大変な作業でしょ。俺は手づくりのよさをわすれられない。自分がなにかできないとイヤ、みたいな。かかわりなくなっちゃうじゃない。あたらしいクルマ買ったら洗わないとおもいますよ。ただの足になっちゃうよね。
1966年くらいが、いちばん各メーカーの華やかな時代かな。将来は、その年代のクルマをそろえて乗ってみたいな。
ジャガー「Eタイプ」はなにがなんでも欲しい。赤バッジのシリーズ1。コレ買えるようになったら、また取材しにきてよ。でもずっと乗るだろうな、いまのXJ6。まだ来て間もないし。足になろうが、なるまいがかまわない。
谷口勝彦|TANIGUCHI Takatsuhiko
バーニーズ ジャパン クリエイティブディレクター。1959年生まれ。1990 年バーニーズ ニューヨークに入社後、米国バーニーズにてクリエイティブディレクター、サイモン・ドゥーナン(当時)に師事。現在は、日本のバーニーズ ニューヨークの広告ヴィジュアルやウィンドウディスプレイなどのストアイメージを統括。