Ferrari Festival Japan 2010|富士スピードウェイが赤く染まった日
Ferrari Festival Japan 2010|フェラーリ・フェスティバル・ジャパン 2010
富士スピードウェイが赤く染まった日
2010年5月29と30日、富士スピードウェイにおいて、オーナー向けサーキットイベント「フェラーリ・フェスティバル・ジャパン 2010」が開催された。悪天候のなか、約600台ものフェラーリ、約1500人の参加者が集った。
写真=望月浩彦文=オウプナーズ
フェラーリ458 イタリアと599GTOが日本初披露
フェラーリ・ジャパン主催となって今年で2回めとなる「フェラーリ・フェスティバル・ジャパン 2010」。今年の目玉は、日本初披露となったフェラーリ458イタリアと599GTOだ。
フロント42パーセント、リア58パーセントという、リアミッドシップエンジンのスポーツカーとしては理想的な重量バランスで仕上げられた、フェラーリ渾身のハイパフォーマンスモデル 458イタリア。電子制御システムも進化し、あらゆる走行状況下で最大限の走りを約束する。CO2排出量においては、1kmあたり307g、燃費は100kmあたり13.3リットルと、環境性能面でも今までにない最高数値を実現している。
そして、フェラーリ史上最速のロードゴーイングカー フェラーリ 599GTO。599台限定の特別仕様車であるこのベルリネッタは、市販モデルのプラットフォームを使用しながら、サーキット専用車599XXをベースとしている。GTO(グラン・ツーリスモ・オモロガータ)との名称は、1962年の250GTOから1984年の288GTOに引き継がれ、いま、フェラーリというブランドの本質を体現するモデルとして599GTOに継承された。
歴史的なモデルとなるはずの、この2台のまわりには記念撮影に励むフェラーリファンでつねに賑わっていた。
FXXと599XX、そしてF1のうなり声がこだました
エキゾーストノートとギャラリーの歓声が、ひときわ高く響いていたサーキット。こちらではサーキット専用車FXXと599XXが同時に走り、F1までもが甲高い轟音を響かせていた。当然のことながら公道走行不可であるこれらのモデルが、いっせいに走るさまを見ることができるのはサーキットのなかだけ。実際に手を触れたり、コックピットのなかをのぞき込んだりできるのも今日だけ。特別な瞬間を見逃さぬよう、ピットには愛用のカメラを手にした大勢のギャラリーが集まっていた。
サーキットを走ったのは、レース専用カーだけではない。このイベントのメインイベントともいうべきレースもおこなわれた。オーナーによるスポーツランやエキシビジョンレース“フェラーリ・トロフィ”だ。公道を走るときには抑えられていた愛車の力を思う存分に開放させ、参加者たちの表情は晴れやかに輝いていた。
“フェラーリ・クラシケ”はフェラーリ博物館さながら
会場の一角ではクラシック・フェラーリも展示されていた。エンツォ・フェラーリが所有していたという250GTEや、この日に初お披露目された599GTOの先祖ともいうべき288GTOが鎮座していた。賑やかな富士スピードウェイのなかでも、この展示スペースだけは静かに感じられるほど、クラシック・フェラーリの発するオーラは高貴なものだった。
また、VERTUやPIRELLIなどのスポンサーブースも出店され、お目当てのグッズを求めてフェラーリ・オーナーたちが訪れていた。
あいにくの曇天のなかの開催となったが、雲を吹き飛ばさんばかりの熱気に満ちた2日間。約600台もの跳ね馬たちが一堂に会し、普段はお目にかかれない幻の名車に会えるというほかでもない機会、すでに来年の開催を心待ちにするファンも多いにちがいない。
BRAND HISTORY
“カヴァリーノ・ランパンテ”、日本では“跳ね馬”と称されるエンブレムに胸躍らせるファンは少なくない。サーキットではその激しい走りに観衆は熱狂し、ストリートでは端麗なシルエットと甲高いサウンドで人々を魅了するクルマ、それがFERRARI(フェラーリ)だ。F1、市販車のいずれにおいても、スピードを極めるこのブランドは、創業者であるエンツォ・フェラーリの情熱がいまなお強く息づいている。
1898年にイタリアのモデナで生まれたエンツォは、10歳のときボローニャで見たレースに感激し、いつしか自分もレーシングドライバーになろうと思うようになる。一途な思いは着々と実現へ向かい、1920年、エンツォはついにアルファ・ロメオのテストドライバーとなった。そして、同じ年のタルガ・フローリオではアルファのドライバーとして参戦、見事2位の記録を残している。
しかし、やがてエンツォの興味はレーシング・チームを運営することへと移り、1929年にスクーデリア・フェラーリを立ち上げて、アルファのレース活動を引き受けることに。その手腕を発揮するにもかかわらず、1939年にはアルファとの関係は解消され、第二次大戦後の1947年、自前のV12エンジンを積む「フェラーリ125」を引っさげてレース活動を再開。ここからスポーツカーブランドとしてのフェラーリが歩みはじめた。
その後、フェラーリはフィアット傘下に入り、現在はフィアットグループの会長を兼任する社長のルカ・モンテゼーモロのもとで、ブランドの魅力を高め続けている。ラインアップは、V12エンジンを積む「599」と「612スカリエッティ」、V8のミドシップスポーツ「F430」「F430スパイダー」、そして、スポーティさを極めた「430スクーデリア」の5モデルである。