藤原美智子の「色」ものがたり第7回 12月 フェルメールの絵から考察する、ウエディングドレスが“白”の理由
2008.12 「フェルメールの絵から考察する、ウエディングドレスが“白”の理由」
ヘアメイクアップアーティストとして活躍される藤原美智子さんに、「色」にまつわるエピソードを語っていただく連載。
シックスセンスのうち、“視覚”はどれだけのドラマを日々紡ぎ出しているのだろうか──目に映る彩を心で感じ、味わうことで、そこにいみじくもドラマが生まれる。
こんかいのテーマは「白」。“白”も光りそのものになることをいま再び……。
文=藤原美智子Photo by Jamandfix
凛とした強さと慈悲深さを兼ね備えている大人の女性のような“白”
映画『真珠の耳飾りの少女』は、オランダの画家・フェルメールの半生を描いたもの。ストーリーも興味深い作品なのだが、なんといっても強く印象に残ったのはフェルメールの絵と同様に、“光り”の使い方だ。
窓から差し込む光の繊細な美しさ。光の移動によって、あらゆる物が命を吹き込まれたように存在を現わしていったり、闇に同化していったり。とくに、微(かす)かな光のもとで耳もとにつけた真珠のイヤリングだけが白く浮かび上がった一瞬の映像には、ハッとする美しさがあった。
ヘアメイクという職業柄、私は光の偉大さは十二分に知っているつもりである。それによってメイクもモデルもより生かされたり、また、そうでなくなったりすることを日々、目の当たりにしているからである。美しさというのは光次第、といっても過言ではないだろう。だからこそ、この映画のライティングには感嘆したし、またフェルメールの繊細に光を捕らえられる“眼”と感性には尊敬の念を覚えるのである。
そして改めて思ったのは、“白”も光りそのものになるということ。かすかな光のなかでも存在できて、なおかつ、ほかをも照らし出すことができる色なんて、白以外にあるだろうか。
ところで白からイメージするのは一般的に清純、無垢、あるいは“どんな色にも染まることができる”といったところだと思うが、女性にたとえるなら、“可愛くて少女っぽさのある女性”といったところか。でも、いやいや、どうして。白の光りの作用から考えると、凛とした強さと慈悲深さを兼ね備えている大人の女性のようではないか。
そう考えると、ウエディングドレスが白であることも大いに納得する。その理由は諸説いろいろあるが、案外、「いつまでも可愛く、でも健康でしっかり者の奥さんになって僕を支えてね」といった、男性の古来変わらぬ願望からきているのではないかと思うのは考えすぎではないような気がするのだが、果たして……?