アルファ8Cコンペティツィオーネ/8Cスパイダー
ALFA 8C COMPETIZIONE/8C SPIDER
アルファ8Cコンペティツィオーネ/8Cスパイダー
2シーターのピュアスポーツ
1923年にアルファ ロメオに招かれた奇才、ヴィットリオ・ヤーノ。彼が開発した8気筒は「8C」と称され、レースの世界ではアルファ ロメオに数々の勝利をもたらした。
一方、「COMPETIZIONE」とは、1950年に開催された“ミッレミリア”で、ファンジオとザナルディがドライブしたクーペ「6C 2500コンペティツィオーネ」を連想させるもの。このふたつの輝かしい歴史を、現代に蘇らせるべく開発が進められてきたのが、2006年のパリサロンでデビューした「アルファ8Cコンペティツィオーネ」である。
2シーターのピュアスポーツは、アルファ ロメオ スタイルセンターがデザインを手がけ、美しさとエアロダイナミクスを現代のテクノロジーで融合している。ボディは、軽量化と高い剛性を両立するために、スチールのフレームとカーボンファイバーのパネルを組み合わせた。
エンジンはフェラーリやマセラティに由来する4.7リッターの90度V8。450psと470Nmのパフォーマンスを誇る。組み合わされるギアボックスは6段の2ペダルシステムで、ギアボックスそのものをリアデフの直前に配置する“トランスアクスル”を採用して、前後重量配分を適正化、アルファのスーパースポーツにふさわしいハンドリングを実現する。
2008年のジュネーブショーではこのオープンモデルの「8Cスパイダー」が発表されているが、残念ながらコンペティツィオーネ、スパイダーともに、すでに予約の受付は終了している。
アルファ8Cコンペティツィオーネ
ボディ|全長4397×全幅1892×全高1340mm
エンジン|4.7リッターV型8気筒
最高出力|336kW[450ps]/7000rpm
最大トルク|470Nm[48.0kgm]/4750rpm
駆動方式|FR
トランスミッション|6段2ペダル
価格|2259万円
(2008年5月26日現在)
BRAND HISTORY
セダンからオープンスポーツまで、洒落たイタリアンデザインとスポーティな走りにより、日本でも圧倒的な人気を誇るALFA ROMEO(アルファ ロメオ)。1910年、イタリアの企業家たちが、ミラノにあったフランスのダラック社の自動車組立工場を買い取り、設立したのがA.L.F.A社である。A.L.F.Aは“Anonima Lombarda Fabbrica Automobil”の頭文字からなる名前であり、“ロンバルディア自動車製造会社”を意味する。
すぐに独自モデルの「24HP」を投入したA.L.F.Aは、レースへの参戦も果たし、スポーツカーメーカーとしての頭角を表しはじめるが、財務状況は芳しくなく、1915年には経営陣が大きく変わることに。このとき主導権を握るのが、実業家であるニコラ・ロメオであった。1918年には社名をニコラ・ロメオ有限会社と改め、第一次大戦後の1920年にはアルファ ロメオのエンブレムを掲げた初のモデル「Torpedo 20-30」が発売されている。
1922年には本格的なスポーツモデルである「RL」を投入。23年のタルガフローリオでは1-2フィニッシュを飾り、アルファ ロメオの名を世に知らしめる結果となる。そして同じ1923年にはレーシングカーの「P1」を開発、搭載される1990ccの6気筒にはすでにDOHCが採用され、以後、DOHCはアルファ ロメオを特徴づける技術となった。しかし、P1そのものは失敗。そこでアルファ ロメオは天才技術者のヴィットリオ・ヤーノをフィアットから引き抜き、グランプリカーの「P2」を開発、レースの歴史に輝かしい足跡を残すことになる。
第二次大戦後は量産車メーカーに転身し、1954年の「ジュリエッタ・スプリント」、1962年の「ジュリア」など、アルファ ロメオを代表するモデルを発売。1986年にフィアット傘下に収まったあとは、「アルファ156」や「アルファ145」「アルファ147」といったモデルが日本でもヒットし、アルファ ロメオの人気はますます高まりを見せている。