特集|BLUE NOTE NOW!|第1章「ブルーノートが30分でわかるQ&A」
特集|BLUE NOTE NOW!
創立75周年を控えた老舗レーベル「ブルーノート」の魅力に迫る
第1章|“ミスター・ブルーノート”に訊け!
「ブルーノートが30分でわかるQ&A」(1)
1939年、ニューヨークで誕生したジャズレーベル「ブルーノート」。来年75周年を迎えるこの老舗レーベルが、いまあらたに注目を浴びている。ノラ・ジョーンズやロバート・グラスパー、ホセ・ジェイムズなど、これからのジャズを担う若手ミュージシャンが、次々に登場してきているのだ。衰退していくレーベルも多いなか、なにがブルーノートを特別な存在にしているのか? その答えを探るべく、OPENERSでは今回、日本にジャズを浸透させた立役者、“Mr. Blue Note”こと行方均(なめかた・ひとし)さんに協力を依頼。若さと伝統が息づくレーベルの魅力に迫ろうとおもう。
まずは行方さんに10個の質問をぶつけてみた。読めばブルーノートのすべてがわかる!?
Photographs (portrait) by JAMANDFIXInterview & Text by TANAKA Junko (OPENERS)
1. ブルーノートはなぜ生まれた?
ブルーノートを設立したのは、アルフレッド・ライオンというドイツ人の青年でした。1939年1月、ニューヨークでのことです。とにかくジャズが大好きな人でね。当時のヨーロッパ、特に彼が住んでいたベルリンでは、なかなかジャズのレコードが手に入らなかった。そこでジャズをより深く知るために、よくアメリカへ出向いていたのですが、最後はナチスの台頭する故国を棄てて移住を決意したというわけなんです。
彼はレコード会社を作るというよりは、レコードを作りたかった。それを何度も繰り返しているうちに、気がつけばブルーノートになっていた、ということだとおもいます。
2. レーベル名の由来は?
黒人音楽にあって、従来のヨーロッパ的な音楽にないもの。それは「ブルース」なんですね。ブルース・コードとか、ブルース・ノートとか、いろいろ表現はあるけれど、黒人的なブルースの音階や特徴があるんです。アルフレッドがジャズを気に入った理由も、根底にあるのはブルースです。ブルーノートとして最初に録音したのもブギウギ(※)なんですよ。
黒人音楽のブルース感覚みたいなものに惹かれていたので、それを前面に打ち出したレーベルをはじめました。最初は「ブルースノート」、つまりブルースの音っていう意味の名前にしようって話だったんですけど、最終的には「聞こえがいいから」という理由で「ブルーノート」に落ち着いたんです。
3. アルフレッド・ライオンについて、もっと詳しく!
ひとつ言えることは、自分の聴きたい音楽がなにかをわかっていて、そのことに非常に貪欲な人だったということですね。「ブルーノートは、アルフレッドの“ワンマン”レーベルだから、好きなものだけを録音した」って言われることが多いんだけど、好きなものを録音したというよりは、自分が好きなジャズをスタジオで作り上げていった。彼はそういう人だとおもいます。
たとえば、あるグループのライブの評判がいいから、それを録音するという方法もありますよね。どちらかと言えばそれが普通です。だけどブルーノートの“大名盤”と呼ばれるレコードは、スタジオの外では実在しなかったグループやバンドのものが非常に多いんです。レコードを作るために集められて、スタジオで音楽を作り上げたら「じゃあね」っていう(笑)。
それと同時にあたらしいものにもオープンでね。亡くなる直前にお気に入りだったのは、マイケル・ジャクソンだったそうですよ。やっぱりダンサブルな音楽が好きだったんですね。レコーディングがうまくいくと、スタジオで踊ったりして(笑)。
4. どんな人たちがレーベルを引き継いだ?
体調に不安を覚えたアルフレッドが、一線から退いたのは1967年。ベルリン時代の仲間であるフランク・ウルフがあとを継ぎました。ふたり合わせると、ライオンとウルフ(=オオカミ)のコンビってことになるんですけど(笑)。数年後にフランクが亡くなってからは、ブルーノートというレーベル名に、宿命のように導かれた人たちが引き継いできました。
大元にはアルフレッドが作り上げた、ブルーノート的なメカニズムが確固としてありますから、それをどうやってそれぞれの時代に落とし込んでいくかだとおもうんです。彼の亡くなったあとは、そのメカニズムをきちんと理解している人、あるいはそれに思い入れのある人が、その時代のその音を表現してきたというのが、答えとしては一番近いのかもしれない。
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「ブルーノートが30分でわかるQ&A」(2)
5. 世界中に名が知られるようになったきっかけは?
1960年代の終わり、「ファンキー(※)」の流れに乗って、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」が世界的な大ヒットになりました。で、まさしくこのとき、ジャズが“世界的音楽”になるんです。ヨーロッパのクラシックの指揮者がジャズメンを絶賛したりとか、大衆音楽として世界中に広がっていったのがこの時期なんですね。
アート・ブレイキー~というバンドが、その名のとおりジャズを世界中に配達して回ったというわけです。それに付随して「ニューヨークにブルーノートあり」という噂も一般に広まっていきました。
6. ブルーノートとほかのレーベルとのちがいは?
「ブルーノートとほかのジャズレーベルとのちがいは、3日間のリハーサルである」と言った人がいました。ジャズというのは即興の音楽だから、別に練習しなくてもできるわけですよ。実際に「そういうところがいいんだ」っていう人もいますしね。
だけど、ブルーノートはきちんと目的を持ってレコーディングに挑むんです。「こういう音楽を生むべきだ」とか、「普段別々に活動している人を集めて、今回はこんな風に音楽を作るんだ」とか。あるいは、ヤク中でライブに出してもらえない人を呼んだり……。ジャズメンの才能を最大限に引き伸ばそうとしていたから、普段の演奏なんて概念がそもそもないんです。
「ちがいが3日間のリハーサル」という言葉の真意は、3日間リハーサルをしたから立派な音楽ができたわけじゃなくて、目的をもって集めた集団を、しかるべきリハーサルをしたのちに、スタジオに連れてきたということ。レコード作りにかんして、きわめてわがままだったんですね。
それと「もう1テイク」録るんです。ジャズは即興だから、テイクごとに音がちがうんですよ。でも昔のジャズレーベルっていうのは、あまりテープを無駄にしたくないから、ほどほどのところで終わっちゃう(笑)。そこを、ブルーノートはもう1テイク録る。その結果生まれた名曲がたくさんあるんです。
7. ブルーノートのファンに“コレクター”と呼ばれる人が多いのはなぜ?
それにはまず、「ジャズ・ファン」と「レコード・コレクター」のちがいを説明しないといけませんね。ジャズ・ファンはライブを聴いているだけでもジャズ・ファンなんだけど、レコード・コレクターというのは、素晴らしい音楽が素晴らしい形でパッケージされているものが好きなんです。アルフレッド・ライオンも、レコードを心底愛するレコード・コレクターでした。
そんな彼が設立した「レコード作りにこだわる」レーベルだから、すべてを集めたくなる、っていうのはあるとおもいます。音楽や音質はもちろん、ジャケット、印刷に使うインク、解説まで、すべてにこだわっていますからね。音作りを任されていた、ルディ・ヴァン・ゲルダーという有名なエンジニアも、アルフレッドと一緒に作った音に、強いプライドをもっていました。
レコードとしての完成度、つまりモノとしての完成度が非常に高い。だから音を聴くだけなら1000円とか2000円のCDで十分なのに、オリジナル盤を20万円とかで買っちゃうわけです。とくに人気があるのは「1500番台」というシリーズ(1958年以降は「4000番台」につづく)。1956年から58年までに発売された100枚で、モダン・ジャズ黄金時代の有名なミュージシャンのほとんどがここに入っています。「全部集めるぞ」というコレクターが多い理由です。
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第1章|“ミスター・ブルーノート”に訊け!
「ブルーノートが30分でわかるQ&A」(3)
8. ブルーノートのスターといえば?
たとえば、リバーサイドのスターはビル・エヴァンスとか、ヴァーヴだとオスカー・ピーターソンやスタン・ゲッツとか、あるいはプレスティッジだと、マイルス・デイヴィスやソニー・ロリンズってことが言えるんだけど、ブルーノートはそれが言えないんです。それだけ素晴らしい音楽を聴かせてくれるアーティストがたくさんいるということなんですけど。
ある意味、ブルーノートの主役はブルーノートという舞台なんですよね。アーティストによって、コロコロ色が変わることはなくて、舞台がしっかり用意されている。
いまだに根強いファンがいるのは、その舞台への厚い信頼感だとおもいます。劇場なんかもそういうところがあるんじゃないでしょうか。「だれが主役だろうが変わらないよ」という姿勢。ブルーノートにも似たようなところがあります。
9. ミュージシャンとはどんな関係?
ジャズメンとおなじ目線で生活し、行動していたとおもいます。夜はジャズクラブに行って、昼はスタジオに行ってという。アルフレッドの場合、いろいろなアーティストと深い付き合いがあったみたいですが、たとえばマイルス・デイヴィス。1952年から54年って、マイルスにとってあんまり幸せな時代じゃないんですよ。1952年は麻薬漬け、1953年はそこから抜け出しつつあって、1954年にクリーンな状態になるっていう。そのあとに彼の黄金時代が控えているんですが、その前の暗黒時代をアルフレッドは支えつづけたんですね。ヤク中のひどい状態で、ほかのレコード会社はだれも相手にしないなか、ブルーノートはその3年間をきっちり記録したんです。
ただ面白いのが、アルフレッドは必ずしも自分の育てたアーティストに執着しないんですよ。契約でアーティストを縛ることもない。いたければずっといていいし、ほかにいい条件があれば行ってもいいよというスタンスなんですね。マイルスも、コロンビアというメジャーレーベルへ“婿”に出されますが、のちにアルフレッドへの恩返しということで、1958年に当時のマイルスにとってベストと言えるアルバムを1枚だけ作るんですよ。それが『サムシング・エルス』という名盤です。
ブルーノートとアーティストのあいだには、契約とかそういったものを超えた付き合いがありますね。コルトレーンもそうです。彼の『ブルートレイン』も、ほかと契約している合間をぬって作ったものです。
10. “ブルーノートっぽいジャズ”をひと言であらわすなら?
ひと言では難しいですが、あえて言うなら、非常に本質的なジャズだということでしょうか。
それと、ブルーノートの音楽は常に明日に向かっています。若さと伝統が共存しているんです。伝統があるからいまの若い才能を送り出せるし、若い才能がそこから出てくれば、過去の伝統なり、過去を築いてきたアーティストはさらに巨大に見えてくる。
そういう意味では、ブルーノートというのは、宿命的にあたらしいものをどんどんデビューさせなきゃいけないんです。レコードの作り方も、昨日どこかで見たグループをそのまま記録するというより、あたらしく見つけた才能の最高の形をスタジオで作るという。その発想自体が非常にクリエイティブですから、それがやっぱり音にも出てきているんだとおもいます。/p>
じつは、わたしがはじめてブルーノートに出合ったのも、バド・パウエルの「ウン・ポコ・ローコ」。20年前に録音されたものでした。それが当時録音された、ビートルズやピンクフロイドよりも刺激的だとおもったわけですから。そういう力を持っているのだとおもいます。
行方均|NAMEKATA Hitoshi
レコード・プロデューサー。「ブルーノート」および、その姉妹レーベル「サムシンエルス」をつうじて、数々の作品を内外に送る。編・訳書に『21世紀版ブルーノート・ブック』(ジャズ批評ブックス)、『ブルーノート再入門』『ブルーノート・レコード』(ともに朝日文庫)ほか。来年の75周年に向けて「BLUE NOTE NOW 2013」と題したキャンペーンを展開中。http://www.emimusic.jp/jazz/bluenotenow2013/