コモ湖がハリウッドに変わった日|Villa d’Este
Concorso d’Eleganza Villa d’Este 2016
コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ 2016
コモ湖がハリウッドに変わった日
今年もイタリアのコモ湖を望むホテル「ヴィラ・デステ」庭園に、世界中から集められた貴重なクルマたちがずらりと並べられ、世界最古のクラシックカーの祭典「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」が開催された。特に今回は、テーマの一つとして映画に関する部門が設けられ、高級リゾートに集う紳士淑女の注目を集めた。
Text by Akio Lorenzo OYAPhotographs by Akio Lorenzo OYA/Mari OYA
クラシックカー最高峰の祭典
著名自動車エレガンス コンクールのひとつ「コンコルソ デレガンツァ ヴィラ デステ」が、2016年5月20-22日にイタリア・コモ湖畔で開催された。
今回はヒストリックカー52台、コンセプトカー6台、そしてヒストリック モーターサイクル30台が、初日の会場「グランドホテル・ヴィラ・デステ」と、2日目の会場「ヴィラ・エルバ」を埋めた。
1999年以来スポンサーを務めるBMWグループは、往年の名車「2002」の半世紀を記念したコンセプトカー「2002オマージュ」を前夜祭で世界初公開。ヴィラ・エルバ会場には、創業100周年を記念して歴代オマージュカーを一堂に展示した。
初日の招待者投票による「コッパ・ドーロ」には、1933年ランチア「アストゥラ セーリエII」が選ばれた。カスターニャ製ボディを持つクーペボディは今日の目からすると控えめだが、ムッソリーニの息子ヴィットリオがレースに参戦するために製作された車両である。
いっぽうで、審査員9名が選ぶベスト オブ ショーには、マセラーティ「A6GCS」ピニンファリーナ製ベルリネッタが輝いた。1954年のパリモーターショーに展示されたさい、イタリア貴族がミッレミリアに参加するためその場で購入したという逸話が残されている。
今年設けられた9つのカテゴリーの一つは、「銀幕から撮影セットまで」と名づけられたものだ。その部には、ハリウッドやイタリアのスターゆかりのクルマ5台がエントリーした。
Concorso d’Eleganza Villa d’Este 2016
コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ 2016
コモ湖がハリウッドに変わった日 (2)
report by Akio Lorenzo OYAphotographs by Akio Lorenzo OYA/Mari OYA
「銀幕から撮影セットまで」の部
1台目は1952年の元クラーク・ゲーブルのジャガー「XK120」だ。1953年に「哀愁のロシア」のロケ地であった西イングランドで受け取り、撮影が終了するとそのままステアリングを握ってモデルのガールフレンドとともに欧州大陸に渡った。スイスのティチーノ地方に向かうさいには、グランドホテル・ヴィラ・デステにも滞在したという。
数ヵ月後ゲーブルが米国に戻るさいに売却されたあと、クルマは南アフリカ、そしてスイスと住み処を変える。1982年に現オーナーの父親によって購入されたあとは34年間不動のまま保管されていたが、完璧なレストアが施されて今回のお披露目となった。
かわって、濃厚なブラック塗装が印象的な1966年フェラーリ「330GTC」の初代オーナーは、絶世のプレイボーイとして知られるイタリア人俳優マルチェッロ・マストロヤンニである。
クルマは、彼のガールフレンドのために手に入れたものだった。
ヴィラ・デステの名司会者サイモン・キッドストン氏によると、当初マストロヤンニは「1000000」のナンバープレートを狙っていたが、ローマの陸運局へ受領に赴いたガールフレンドからは、マストロヤンニに「マルチェッロ、残念だったわ」という電話がかかってきたという。ちなみに2人が狙った番号を獲得したのは、フィアット創業家のジョヴァンニ・アニェッリだったという。イタリアきっての名優も、そのときばかりは根回しが足りなかったようだ。因縁のナンバー「Roma 999978」は、今日もそのままである。
見事クラスウィナーに輝いた“キング オブ クール”、スティーブ・マックイーンの元愛車1967年フェラーリ「275GTB/4」も、数奇な運命を持つ。
オリジナルカラーのゴールデンブラウン メタリックは、届けられてみるとマックイーンをひどく落胆させた。そのため初乗り前に、キャンティ レッドへとリペイントされたという。
やがて1971年、友人のハリウッド俳優ガイ・ウィリアムズに譲られた。
Concorso d’Eleganza Villa d’Este 2016
コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ 2016
コモ湖がハリウッドに変わった日 (3)
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新たなカテゴリーを開拓したヴィラ・デステ
話は続く。やがて1980年代に英国のビジネスマンのもとに渡ると、無残にもルーフが切り取られてスパイダーへと改造されてしまった。
後年クルマを入手した愛好家でル・マン ウィナーでもあるヴァーン・シュパンは、レストアを決意。英国のビジネスマン邸で発掘されたルーフの残骸とともにフェラーリの公式修復部門「フェラーリ クラシケ」に持ち込み、マックイーン時代の姿に戻すことに成功した。続いて2014年、クルマは米国ペブルビーチのオークションで落札され、現オーナーのもとに収まった。
今回の参加台数は52台。アメリカのコンクール・デレガンスに比べると、その数はひと桁少ない。
しかし、誰もが知る20世紀の有名人にまつわるそうしたクルマたちは、従来よりも明らかにビジターたちの関心を刺激していたようだ。その証拠に、ヒストリーが語られるたび、観覧スタンドからは大きな歓声や拍手がたびたび上がった。
現存する世界最古の自動車コンクールが、新たなカテゴリーを開拓しながら、その魅力を保ち続けていることを確認できた今年のヴィラ・デステだった。