Diary-T 216 難儀
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2015年4月15日

Diary-T 216 難儀

Diary-T

Diary-T 216 難儀

文・アートワーク=桑原茂一

車窓に映る青山墓地周辺には、萌える新緑は春風にそよいでいた。生命の力強さと残酷さが地べたから虚空に向かっていっせいに芽吹いている光景に、ちょっとした息苦しさを覚えた。

俺は六十年間、いつもこの光景を見てきたはずだが、

今年だけはこの季節の繰り返しが違ったもののように見える。

ひとにどんな境遇が訪れようとも、あるいは想定外の天変地異があろうとも、春になれば確実に芽吹いてくる生命力は、残酷にも思えた。

この生命力は、俺の身の上にも、原子力発電所の事故にも無関心である。自然はどこまでも、人間に無関心である。

「俺に似たひと」平川克美著 一部抜粋

母親の納骨のときは、まだ工事中で途中までしかできていなかった東京スカイツリーが、ほぼ完成した形で夏の空に向かってそそり立っていた。それは確かに繁栄の象徴のような建造物であったが、行く手の左側をくねるように流れる大川(隅田川)の光景の中では、ただ異様なものでしかないように思われた。

人間はこういうものをつくる。いや、つくらざるを得ない生きものなのである。次の世代の人々は、この建造物を当たり前のように受け入れるのかもしれない。そのときには、俺もこの世にはいなくなっている。関川夏央さんが書いたように、ほんのちょっと先までしか行けないのだ。

もうしばらくすると、この鉄塔が華麗なイルミネーションで照らされることになるのだろう。

時間は、ときに素早く、ときにゆっくりと、

しかし仮借なく過ぎていく。

父親との介護の一年半、俺のなかで時間は停止していた。

いや、正確には外界のニュートラルな時間とは別の、さまざまな感情に支配された濃密な時間のなかにいたというべきかもしれない。

それは人知れぬ極めて個人的な時間であり、そうであるがゆえに切実な時間でもあった。そこで何が起きようが誰も振り向きもしないし、世界にはどんな影響を与えない。それでも、

世界はこういった小さな時間の堆積であるほかはないのだ。

そのことを理解するまでに、ひとは多くの無駄な時間を浪費し、

難儀な経験を積み重ねなければならない。

「俺に似たひと」平川克美著 一部抜粋

大人になることの覚悟を持てないまま今日に至る。

この本を読んでまたしてもそんな気がしてきた。

子供を育てる。だけでは、半人前で、

親の看護を経験して初めて大人になれる。

とどこかで読んだような気がする。

さて、親の看護とは?を私に置き換えれば、

私はこれまで自分の父親の写真一枚みたことがないので、

顔はもちろん、なんの記憶も手がかりもない。

そして、母親とは16歳のときに初めて出会い、

多少の交流はあったものの、やはり肉親という感覚も、

他には変え難い親密感も抱擁感も得ることはなかった。

そもそも肉親とはどのようなものなのかが私にはさっぱり分からないのだ。

幼少の頃からいくつかの家庭やその他にお世話になったという朧げな記憶はあるが、私を育ててくれたのは誰か?ということなら、

やはり母方の祖母ということになる。

しかし高校生の頃から祖母の元で働いていたので、

祖母への愛情という認識を生み出すには残念ながら至らなかった。

といって天涯孤独な人生かと思いきや大層複雑だが、

なんどか素晴らしい家族にも恵まれた。

が、今回大変感銘を受けた平川克美さんの「俺に似たひと」

のように、親の看護をするという覚悟や認識や責任感や愛情はいまのところ私の中には存在していない。

で、ここで思い切って切ない非道な話を露悪するが、

何度か結婚し最後はひとりものだった祖母は、自分の娘たちや私から見捨てられ、創価学会の会員のお世話で何処か遠くの病院で息を引き取った。

あぁ~こんな非道な書き方をしていてもどうしても忘れられないことがある。あるとき、突然母親から呼ばれ、もうそろそろ危ないからと、祖母が入院していたその遠くの病院に連れ立って見舞いに行ったことがあった。そこで十数年振りに対面した祖母の顔を見て私は思わず息を呑んだ。祖母の顔が、痩せ衰え般若のお面のような恐い顔になっていたのだ。恐ろしかった。本当に恐ろしかったのだ。

がその時は勇気を出して笑顔をつくり、

何故かひとりでに身体が動き骨と皮だけになってゴツゴツした祖母の手を撫でた。

たぶんその後は逃げるようにして病院を後にしたのではないかと思うが、帰り道で、私は何故か涙が溢れて止まらなかったのを覚えている。たぶん、それは懺悔の思いというか、祖母への罪の意識が涙を流させたのだろう。ただ、そのとき私が強く認識したのは、きっと私も祖母のような末路を迎えることになるのだろうなという恐ろしい自覚だった。ひとは死ぬときには善も悪もイーブンで終わるというが、どんな成功者もお金持ちも、そして貧乏で社会の底辺を這いずり回るひとも等しくひとを不幸にした人生の記憶は死ぬときにそのひとの顔に表れるものなのかもしれない、と。

おやおや随分話が蛇行迷路してしまったが、

つまり看護するという思いや覚悟はどこから沸き上がってくるものなのだろうか?

それがそもそも私の疑問だった。

愛されたことのないものは結局愛することを知らずに死ぬものなのか、

はたまた、血のつながりというものは自然にそうした思いが沸き上がってくるものなのか…

そこが知りたい。極めたい。

それがいまだに私の生きる

The Long And Winding Road なのであった。

う~ん、大人になる自覚がきれいさっぱり足りないようだ。

 喝! 叫んでも駄目。

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