伊藤嶺花×Twiggy 松浦美穂|スピリチュアル対談(前編)
スピリチュアル対談 vol.12|Twiggy 松浦美穂
伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像
「愛と勇気と希望を与えるたびに輝きを増していくスター」(前編)
さまざまなステージで活躍するクリエイターをゲストに迎え、スピリチュアル ヒーラーの伊藤嶺花さんが、ひとが発するエネルギーを読み解くリーディングと複数の占星術を組み合わせ、クリエイターの創造力の源を鑑定。現世に直結する過去世や、秘められた可能性を解き明かし、普段は作品の陰に隠れがちでなかなか表に出ることのない、クリエイター“自身”の魅力に迫ります。
Text by OPENERSPhoto by JAMANDFIX
第12回めのゲストは、ヘアサロン「Twiggy(ツイギー)」を主宰する松浦美穂さん。さまざまな媒体においてモードの先端を発信しながらも、サロンの屋上を緑化&菜園にしたり、オーガニックに注目したオリジナルプロダクトを開発するなど、いち早く“モードとオーガニックの両立”を提案。ヘアだけではなくライフスタイルをどのように楽しく美しくできるかについて、一石を投じつづけている人物。松浦さんのクリエイティブの源とは? 影響している過去世とは──?
「自分の部屋のものは全部自分で作るくらい、昔からこだわり屋さんだった」
伊藤 じつは先日、何人かでお食事したばかりなんですよね。
松浦 そうですよね(笑)。でもふたりでプライベートトークというのははじめて。ずっと周りの友人たちから、「一度(伊藤さんに)みてもらったら」とは言われていて、行きたいと思いはじめてから早2年。
伊藤 先日の会は女性ばかりでしたけれど、みんなパワフルだから気づいたら朝の5時、っていう状態。楽しかったですね! 今日はあらためて……なのですが、松浦さんのお仕事にまつわるお話をまず、いろいろうかがえますか?
松浦 もう20年前、30年前の話ですよね。実家が美容室だったので、美容師になったのは母親の思惑どおりに。小さいころから、「美穂ちゃんは大きくなったら美容師になるのよね」と言われつづけたので、刷り込みみたいなものですね(笑)。でも当然親が敷いたレールには乗りたくない時期もあって、そのときはファッションかインテリアの道に進むんだと思ってました。ベッドカバーやピローカバー、カーテン、自分の部屋にあるものは全部自分で作っていたし、時間があったら部屋の壁まで塗ったり……学生服も、ショルダーパッドを入れて80sふうにしたり、プライベートでは竹の子族まがいのハーレムパンツなんてはいちゃったりしてた(笑)。
伊藤 おしゃれ!
松浦 好きだったの。何かにこだわっていないと生きていけない性質というか。
伊藤 前髪も突然パツンと斜めに切ってみたり?
松浦 そうそう。父親のタンスからラクダのモモヒキを盗んで今ふうにしてはいたり、裾のほうにだけ布を付けたり、赤いステッチを入れてみたり。とにかくいろいろやっていたんですけど、そういうのを見て母親は心配だったんでしょうね。この子はいろんなものに興味がありすぎて迷い子になっちゃうかもしれない、って。それで高校生のとき親に、「美容の免許だけはとりなさい」と言われたのがスタート。そこから六本木美容室に入りました。
伊藤 意外とはじめて聞くお話。
松浦 そこでは、23歳の若さで店長になってしまったの。上のひとたちが一気に何人も辞めた時期があって、私はジュニアスタイリストだったのだけれど「明日から支店をよろしくね」って言われて。
伊藤 強制スタート、待ったなしですね(笑)。
松浦 それで23歳の私が店長として立ちはじめて、不思議なんだけど1年で結果をだしちゃった。たぶんそれは私ではなくて、六本木美容室があがっていく時期だったからだと思うのですが、じつは若すぎて覚えていない。時間内にきちんとキレイに仕上げなきゃってことで頭がいっぱいでしたね。
そんななか、25歳でニューヨーク、ロンドン、パリ、ミラノと遊びに行って、ヘアメイクという職業がないことにまずびっくり。ヘアとメイクは別のひとがやるんだということをはじめて知ったりとか。だんだん、“髪を切る”ということだけじゃなく、“髪を作る”ことにも興味があるし、撮影もやりたいし、でもサロンも……と考えはじめて。
23歳の若さで店長になってしまってあまり上のひとたちの仕事を見る機会が少なかったのも影響しているかもしれませんね。もう少しステップアップしたい気持ちもあったし、恋愛もしたし、転換期でした。当時付き合っていたのが今の旦那さんで、お互いに恋人がいる状態で、しかも彼は結婚間近だったのを、略奪。
伊藤 かっこいい!
松浦 当時は苦しいだけでしたけどね。そのころ彼はヘアメイクさんだったんですけど、写真を真剣にやりたいって言ってて。誰かのアシスタントにつくなら、海外に行きたいという気持ちがあった。それでロンドン行きを決めました。決めてからは早くて、まずつぎの店長を1年間で、それはもう体育会系なノリで育てました。それが今メイクアップアーティストをやっているCOCOちゃんや、ワッツという美容院をやっている渡辺さん。
伊藤 今も社会に向けて活躍しているエネルギッシュな方がそこに集まってきたんですね。
松浦 そうかもしれない。当時は今とはちがう場所にありましたが、それはそれはクールでしたよ。来ているお客さまも錚々たるメンバーで。そう考えると私は、いい女性たち、母、六本木美容室オーナーの小松、デザイナーたち……こういったひとたちの影響をすごく受けましたね。あとは辻村昭造さんというデザイナーさんがいて、彼のファッション談義が大好きで、とても影響を受けましたね。あのひとたちはすごく美意識が高くて、イヴ・サンローランの服がどうして美しいかについて一晩中話したり、煙草ひとつ吸うにしても、煙草を口に持ってくる位置だったり、煙草をもつ指の角度であったり、ひとつひとつにこだわりがあった。今にして思うと、職人にしても美容家にしてもすごく厳しい時代の最後で、それが体験できて良かったなぁ、って。
「“髪を切る”だけじゃなくてもっと全体的なものをつくりたい」
松浦 25歳のときに今RMKをやっているRUMIKOさんの撮影を見に行ったことがあるのですが、見ているだけじゃ失礼だからアシスタントをして。そのときにRUMIKOさんが「今日は日本から友人が来ていて、彼女とてもマッサージが上手なのよ」っていって、フォトグラファーをマッサージして。それがスティーブン・マイゼルだったり(笑)。そのときのヘアがORIBEさんで、撮影を見ているうちに、ああ、すてきだな、こういうことをやれたらいいな、って思った経験もありますね。
伊藤 ちなみにロンドンではどんな生活だったのですか?
松浦 カルチャー好き、ファッション好きの私でしたが、ロンドンでの一番の出会いはニールズヤードでした。そのころのロンドンでは、1970~80年代にケミカル、酒漬け、ドラッグ漬けだったのにみんなが飽きてきていて、じゃあつぎの時代はどう作るんだろうっていうひとたちが集まってきていましたね。当時のサンフランシスコ、いわゆるニューエイジピープルからの影響で、朝からオーガニックティーを飲んで、ランチはサラダだけ食べて、ノンスモーキング、ノンアルコールで、っていうひとたちがどんどん増えていった。アントワープだったり、ベルギーやフランス系の洋服をちゃんと着ているイギリス人がそこにはいたんですよ。私からすると、洋服に穴があいていないのがとても新鮮でした(笑)。
そこで出会ったのが、ニールズヤードで働いていたナディアという女の子。(註|松浦美穂連載Vol.1参照)彼女との出会いがなかったら、今の私はないというくらい。ビーガンやベジタリアンもまわりにたくさんいましたね。私は基本的に快楽主義者なので、ちょっと身体が冷えているからマクロビをやろうとか、自分と相談しながらやります。ストイックにならず、正しいことが気持ちいいことに繋がるように努力するタイプ。
伊藤 それが今に繋がっていますよね。
松浦 本当に。ニールズヤードとの出会いは、その後の稲作にもつながりました(註|松浦さんは秋田で稲作をおこなっている)。日本に帰国して子どもに玄米を食べさせたらアトピーが悪化したことがあって。身体にいいだろうと思って「玄米」を食べても、「農薬」がかかっている「玄米」だと、いちばん外側にしっかり「農薬」がついている状態で食べるわけですよね。だから自分で、「無農薬」から「有機栽培」のお米を作ろうと思ったんです。今まで頭で考えてから実行したことがほとんどなくて、とりあえず考える前に実行してしまっている。失敗しないとわからないタイプなんです(笑)。そして最近は息子が自分からロンドンに住もうとしていて。そういうのも繋がっているのかなぁ、って。
伊藤 すごく繋がっていますね! さて、それではリーディングですが……前もって生年月日をいただいていますが、占星術は最近やっていなくて、もって生まれてらっしゃる宿命的な性質をみるというエネルギーリーディングをしています。前日に書いたものがこちらなのですが、お話されたままが書いてありますよ。
松浦美穂|MATSUURA Miho
1980年代初頭より「六本木美容室」の店長を経て、1988年に渡英。帰国後にヘアサロン「ツイギー」をオープン。サロンワーク以外にもヘアスタイリストとして活動し、広告撮影やニューヨーク及びロンドンコレクションのバックステージ、そしてヘアショーのイベントなど、活動の場を広げる。モード界において、オーガニックに注目しはじめた第一人者。現在はオリジナルプロダクトも開発。