BREGUET│ブレゲに魅せられた王妃たち
BREGUET│ブレゲ
特別展示「BREGUET IN THE PALACE」開催に寄せて
時計ジャーナリスト・本間恵子×服飾史家・中野香織、ブレゲを語る
希代の天才時計師アブラアン-ルイ・ブレゲ。かつてのナポリ王妃カロリーヌ・ミュラのために史上初の腕時計を生み出してから、今年で200周年を迎えた。そこで今回、ブレゲと関わりの深いフランス王妃マリー・アントワネット、皇后ジョゼフィーヌ、カロリーヌ・ミュラの3王妃にフォーカスを当て、スペシャル対談をおこなった。語っていただいたのは、ジュエリー&ウォッチジャーナリストの本間恵子氏と、服装史家の中野香織氏のおふたり。
Photographs by ABE MasayaText by SHIBUYA Yasuhito
伝説の時計No.160の注文主、王妃マリー・アントワネット
本間恵子(以下、本間) 歴史上最高の時計師といまも讃えられるアブラアン-ルイ・ブレゲ(1747~1823)の業績を、またブレゲの現在のレディスウォッチを語るうえで絶対に外せないのが、ブレゲの顧客だった3人の王妃、フランス国王ルイ16世の王妃マリー・アントワネット(1755~1793)、フランス皇帝ナポレオン1世の最初の皇后ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(1763~1814)、そしてナポレオン1世の妹でナポリ王妃となったカロリーヌ・ミュラ(1782~1839)の存在です。
そこで今回は、服装史の専門家である中野香織さんに、彼女たちの人物像や当時の時代、ファッションについて伺いながら、彼女たちとブレゲの関わりについて、語っていきたいと思います。よろしくお願います。
中野香織(以下、中野) よろしくお願いします。
本間 ブレゲは1775年、パリのシテ島に時計工房を開店します。当時の時計は懐中時計で当時最先端のアイテム。王侯貴族だけが所有できるハイエンドなジュエリーものでした。
そして3人の王妃で、まずブレゲの顧客になったのが、ブルボン王朝最後の、悲劇の王妃マリー・アントワネットです。今回、改めてそんな彼女の肖像画やそのファッションをチェックしてみると、これまで考えていたよりもすごくかわいいことに改めて驚きました。彼女はどんなひとだったと思われますか?
中野 マリー・アントワネットは欲望も好奇心も行動力もすべてが旺盛。ひとことで表現すれば「すべてが過剰なひと」だったと思います。ファッションのスタイルもおなじで、ヘアスタイルもドレスも生活も、すべてが驚くほど過剰でした。そして彼女はお金に糸目をつけず、あらゆるものに莫大なお金を浪費しました。
プチ・トリアノン宮で質素な田舎娘の恰好をしたり、ガーデニングを楽しんだりしましたが、それも贅たくの果てでのこと。質素なスタイルが新鮮だったからでしょう。とにかく退屈が大嫌いなひとだったようです。
BREGUET│ブレゲ
特別展示「BREGUET IN THE PALACE」開催に寄せて
時計ジャーナリスト・本間恵子×服飾史家・中野香織、ブレゲを語る(2)
好奇心から生まれたあらたな潮流
本間 ファッションセンスがズバ抜けていたマリー・アントワネットは、現代に通じる洗練されたかわいらしさをもつひとでもあったようですね。浪費家でしたが、意外なことにジュエリー自体にはあまり興味がなかったようです。有名な「首飾り事件」にも巻き込まれているのに。でも時計は大好きで、ブレゲの熱烈なファンでした。なかでも最も有名なのが、1783年に「お金や時間がいくらかかってもいいわ。最高の時計を作ってちょうだい」と注文したのが、機械式時計の最高傑作「No.160 マリー・アントワネット」です。
中野 彼女はテクノロジー好きで、可動式の鏡や香水瓶なども宮廷出入りの職人たちに作らせていました。時計好きも、旺盛な好奇心の結果だったのでしょう。
注文の仕方もその後の経緯も、そしてメカニズムも、すべてが過剰だった彼女らしい時計だと思います。1827年に完成したとき、彼女もブレゲ自身もすでにこの世に居なかったという伝説の時計ですね。
エネルギーもお金もヒマもあって、欲望と好奇心が過剰な彼女の要求に当時応えられたのは、おそらくブレゲだけだったのでしょうね。そんなマリー・アントワネットのおかげで、ブレゲはその才能を存分に伸ばすことができたのだと思います。
本間 今回のイベントで展示される最新・最高峰のハイジュエリーウォッチ「マリー・アントワネット ダンテル」はなるほど、そんな彼女の名を冠するのにふさわしいモデルですね。そしてマリー・アントワネットの次に、ブレゲの顧客となった王妃がナポレオンの最初の皇后、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネです。
中野 彼女もマリー・アントワネットと同様に、欲望が旺盛なひとでした。
本間 皇后になりたい、という野心をずっと抱いてナポレオンに近づいて、ついに果たしたひと。そういえば、彼女の時代になって、女性のドレススタイルが、劇的に変わったそうですね。
中野 夫で皇帝のナポレオンもそうですが、ファッションの世界では新古典主義が台頭しました。新古典主義とはひとことで言えば「西欧文化の源流であるギリシャ・ローマ時代に回帰しよう」ということ。
彫刻のような美しい肉体のラインが見える薄いドレスが素晴らしいとされ、そのために凍死者も出たほど。ナポレオンが遠征から持ち帰ったカシミアショールが大流行するのもこのころです。髪型も一変してナチュラルになりました。
本間 ジョゼフィーヌはマリー・アントワネットとちがってジュエリー、とくにティアラが大好きで、膨大な数のジュエリーを宝石商に注文しています。そして、ナポレオンも彼女に、本当に沢山のジュエリーを贈っています。
ただ当時は、自分自身が使ったものを臣下に下賜することが頻繁におこなわれていましたから、すべて彼女自身が使ったわけではないでしょうが。そんな彼女も、夫のナポレオン同様に、ブレゲの顧客であり愛用者でした。
中野 そしてそのジョゼフィーヌがオーダーした代表的なモデルというのが、この手で触って時間が分かるというブルーエナメルが美しいこの時計ですね。
本間 これは1800年にジョゼフィーヌがブレゲから購入した「モントレ ア タクト No.611」という腕時計です。3時、6時、9時、12時の位置のダイヤモンドを大きくしてあるので、手で触って針の位置を確認することでだいたいの時間が分かるという仕組みです。
中野 2本針でなく、1本針で当時は良かったのでしょう。当時の貴族の世界では、時間に正確であることは美徳ではありませんでした。そういえば、池田理代子さんの傑作マンガ『ベルサイユのばら』のなかにも置き時計が描かれていますが、その針もちゃんと1本針という設定でしたね。
本間 この時計は後に、娘のオランダ王妃オルタンス・ド・ボアルネに贈られ、オルタンスの頭文字「H」に王冠をあしらったダイヤモンド装飾を加え、ダイヤモンドを大きなものに付け直されて、現在の姿になります。
彼女も、数はさほどではありませんが、ブレゲのクリエーションを支えた偉大な王妃でした。
BREGUET│ブレゲ
特別展示「BREGUET IN THE PALACE」開催に寄せて
時計ジャーナリスト・本間恵子×服飾史家・中野香織、ブレゲを語る(3)
ブレゲの時計を誰よりも愛した王妃カロリーヌ・ミュラ
本間 そして最後に登場するのが、ナポレオンの妹で後にナポリ王妃となるカロリーヌ・ミュラです。
中野 彼女も前のふたりの王妃とおなじように、欲しいものは必ず手に入れたいと望む大きな欲望の持ち主で、旺盛な好奇心もあったようです。
本間 彼女はブレゲ最大のパトロンのひとりで、ブレゲに注文した時計の数は、当時の記録によれば実に34個に及んだそうです。
中野 そのひとつが、いまに続くレディスモデルの原型であり、「世界で初めての腕時計」だそうですね。
本間 はい。今年2012年に誕生10周年を迎えた楕円形ケースの「クイーン・オブ・ネイプルズ」のもとになったモデルです。この時計は、ナポリ王妃となった1810年に注文したNo.2639「ブレスレットに取り付ける楕円形のリピーターウォッチ」にかんする記録をもとに開発されました。
彼女が注文の際に「ケースは楕円形にして」と語ったという記録が残っています。残念ながらこのモデルは、現在は所在不明のままになっていますが、パリ在住の伯爵夫人が1849年にアフターサービスを受けたさいに作られた詳細な記録があり、この仕様が開発のベースになったそうです。
その記録とは「極薄リピーターウォッチ、シルバーの文字盤、アラビア数字、温度計、文字盤のオフセンターにファースト・スロー・インジケーター、時計は髪の毛とゴールドの細線をより合わせたブレスレット上に配置。ゴールドウォーブンの予備ブレスレット」というものでした。
中野「クィーン・オブ・ネイプルズ 8908」の最新作は、この時計のイメージを再現したものなんですね。
ブレゲ=妥協なく、常に最高を求める、人間の可能性を信じるひとのための時計
本間 三人の王妃とブレゲの関わりをこうして振り返ってみると、その親密な関係に改めて驚かされます。彼女たちは当時のいわば「ファーストレディ」であり、社交界の絶対的なトレンドセッターでした。彼女たちはなぜ、ブレゲの虜になったのでしょう。中野さんはどう思われますか。
中野 三人の王妃の共通点。それは自身の欲望に忠実で、限界を知らない。常に最高のものを求めていたこと。そして当時、ブレゲだけがそんな彼女たちの要求に応える唯一の時計師だったのではないでしょうか。
欲望に限りがない。つまり限界を信じない、認めないという彼女たちが、偉大なブレゲを育てたのだといえると思います。
本間 職人の技にロマンを、未来を感じるワガママな顧客と、それに応えて存分に腕を発揮する職人。彼女たちとブレゲは間違いなく、そんな幸福な関係だったのでしょうね。
中野 本来、人間の可能性には限界がない。とくに芸術の世界には限界がないはずです。ところが現代という時代は、限界をまず考えて、そこから逆算して人生を設計するような時代です。ブレゲはいまも、そんな時代を超越した存在ではないでしょうか。
本間 男性は「時計は一生もの」とよく言いますが、ブレゲの時計は昔もいまも、ひとの一生を超えた存在。
中野 一生ものを超えた、時代を超越した時計ですね。
「BREGUET IN THE PALACE - THREE QUEENS LOVED BREGUET」を日本橋三越でも開催
日程│11月14日(水)~20日(火)
営業時間│午前10時~午後7時
会場│日本橋三越本店 本館1階 中央ホール
東京都中央区日本橋室町1-4-1
カメオ職人によるデモンストレーションも同時開催
日程|11月14日(水)
営業時間│午前11時~午後5時
イタリアより来日したアルチザンが「クイーン・オブ・ネイプルズ・カメア」の文字盤やジュエリーにほどこされているカメオの彫刻技法を披露。
■イベントに関する問い合わせ
日本橋三越本店
Tel. 03-3241-3311(大代表)
■ブランドに関する問い合わせ
ブレゲ ブティック銀座
Tel. 03-6254-7211
HOMMA Keiko|本間恵子
ジュエリー&ウォッチ専門ジャーナリスト。デザイナーを経て、宝飾専門誌ファッションエディターに。現在はフリーランスとして国内海外を問わず最新トレンド情報を発信中。
NAKANO Kaori|中野香織
エッセイスト/服飾史家/明治大学特任教授 1962年生まれ。東京大学文学部および教養学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得。英国ケンブリッジ大学客員研究員などを経て、文筆業に。著書『モードとエロスと資本』(集英社新書)、『ダンディズムの系譜 男が憧れた男たち』(新潮選書)、『愛されるモード』(中央公論新社)ほか多数。