Diary-T 156 なぜ私はこんなにも KATHY が好きなのか?
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2015年5月8日

Diary-T 156 なぜ私はこんなにも KATHY が好きなのか?

Diary-T

Diary-T 156 なぜ私はこんなにも KATHY が好きなのか?

文・アートワーク=桑原茂一

なぜ私はこんなにも KATHY が好きなのか?

もうこれは、恋をしているといったほうが的を射た言いまわしかもしれない。

しかし、KATHYは存在するが存在はしないのだから、

手を繋ぐことも身体を抱きしめることも唇を奪うこともできない。

そしてデジタル写真機やiphone等を駆使して録画し編集し

そのことではしゃぎ過ぎて心が浮かれてしまったとしても、

そこに写し取られているものは所詮
私の頭の中で推し量る世界だから

どこまで求めようとも行き着く先は、いずれ私が向かう墓場の如く、

まごうことなき そこではなにも起こりはしないのであります。

良く良く良く良く良く良く 考えてみると、恋愛というものも、

真相はそんなものではないだろうかなどと戯言をつぶやいてみる。

それ故、万が一、匂いをかいだり、触ったりすることが
その恋愛相手とできたとしても、
それはユートピアであって、実態なんてものは、ははは、
ありはしないのだ。

でもないといったら、

お互いに体裁が都合が具合が建前がいたたたたまれないから、
それぞれが世間体にあるといって己を欺いているのではないだろうか。

それが証拠に、人間同士の恋愛では、

“命を賭けているんです ”

とたとえ言葉を選んで相手に向かって発声することができたとしても、
時が経てば唐突に冷めてしまうではありませんか。

ひとは己の作り出した我欲な幻想に恋をし、その我欲な幻想に幻滅し、

ほらほらあの線香花火の最後のちっちっちっのように

はかなく儚くポッテ、とついには落下してしまうではないか。

が、しかし、しないのが、KATHY という存在なのだ。

あぁ、またしても傲慢不遜な私は

至上のよろこびをもたらす人間同士の愛情に背を向け、けして痛むことのない

触ることのできない幸福を手にすると謳うのです。

とはいえ、この高揚感は一体どこから来るのか?

「KATHYの仮面舞踏会」 の映像編集が終わった。のです。

編集熱で混乱していたから、といいわけにはならないが、

あんなにすべてがすばらしかったKATHYの仮面舞踏会のことを……

誤解を招くようなブログの書き方をしてしまった。

重ね重ね傲岸不遜な己に腹が立つ。

でもね、出来はともかく、終わったのだ。自分なりのね。編集が。

そうだから今夜はすてきな夜になった。ことにしてください。

以下はまだ限定公開です。ブラボー!KATHY

時が過ぎ文明が発達しても 滅ぼしたはずの災厄は 姿をたがえて訪れる

カオスの源に横たわる死 いくら忌避しても死から逃れられない

その大いなる事実に直面したとき ひとは踊ることしかできない

KATHYという大いなる存在に

あやつられ踊る三人のように

ビルディングという巨大な墓石の前で

ビロードとシャンデリアの舞踏会という広場で

生きているかぎり きょうも私たちは踊りつづけなければならない

ならば せめて華麗に蝶のように この浮き世を舞いたいと願う

今宵はKATHYの仮面舞踏会にご臨席賜り御礼申し上げます

KATHY お礼の言葉より
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