Diary-T 149 機械 それにしても
Kraftwerk - The Man Machine (1978)
「時間のかかる読書」ー 横光利一「機械」を巡る素晴らしきぐずぐず
宮沢章夫の時間を読み終えた。
タイトルが示すとおりやはり私もひと月ほどかかった。ちびりちびり読み進めたという感じだ。
でまず、読後感の一言は、笑った。声を出して笑った。
宮沢文学のなかでもこれほど笑える作品はそう多くない。というか、これまでの集大成ともいえる声を出して笑える宮沢文学の最高峰であると私は楽しんだ。
それにしても先入観というものは恐ろしいものだ。タイトルの印象でこれはもうとっても時間のあるときに読むことにするんだと思い込んでいたのだ。というのも、この書籍を私が手に入れたのは、2009.11.28
巻頭の油紙に達筆で絵を描くように宮沢くんのサインが記されている。
宮沢くんの書籍は舞台のロビーで大概購入することが多いのだが、
この書籍は珍しく私が宮沢くんにサインをねだっている。
普段サインはねだるのは恥ずかしくというか古くからの友人にあらたまってサインをねだるのはどういうわけだか、善良な心の部分の働きが軋み始めるのだ。
で、ほっておいたこの書籍をなんでまた読みはじめたのかが今朝は思い出せないでいる。……愚鈍であるために時間をかけて読もうとした。と宮沢が解説するこのひとことで私はもう彼の催眠術にかかったまな板の鯉だ。もうここからはこうなっては引き返すことはできないのだ。
「時間のかかる読書」ー 横光利一「機械」を巡る素晴らしきぐずぐず
のたりのたりと宮沢章夫が読み説く解く溶く構成のおもしろさはまるでお芝居を観ているようでもあり、これはいつどんなかたちで上演されるのであろうかなどと空想し遠くをみつめるのもさることながら、まるで油まみれの機械を組み立てるように一つ一つのパーツを積み上げ組み合わせ小さなねじも大きなねじもゆるむことなく確実に閉めていくその職人技に息を呑み止め文学とはなにか?の密林に迷い込んでしまうままいつしか十一年もの歳月を経て重ねて生み出す思考の足跡がそれぞれの時代の社会的なトピックスと反響しさらにくねくねと幾重にも重なりつづけるdubった思考が妄想を誘発しそこへ宮沢章夫が見事に突っ込むものだから私の味覚はハフハフとクチュクチュに香味砕かれ解け合ってもうめくるめくるスカートめくる惚けと突っ込みを同時に体験してしまうことになり思わず声に出して悶え笑い頗る愉快な時間を過ごすことが出来る極上の文学をほとんど便器に座って堪能したのであった。た。た。たたたた……
すなわっち、宮沢文学最高峰作品のひとつであることはまちがいないってこれ二度目?
そんなにふざけたいわけじゃないのに~こんな風って読後感の高揚の所為?
「それしても」 紅葉は遅いかも今年は。
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