Diary-T 258 黄色いニラ
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Diary-T 258 黄色いニラ
文・アートワーク=桑原茂一
岡山県岡山市紙屋町で育った私には、
ニラと言えば黄色いニラのことで、
緑色したニラがあることを知ったのは、
東京で暮らし始めた16歳の頃だった。
子供の頃から何故か黄色いニラが好きだった。
白魚と卵とニラを鰹の出し汁に、瀬戸内海の粗塩と小豆島から届いた薄口醤油を垂らし、備前酒でひと煮させた味わいは、今もって忘れられない滋養強壮もさることながら心を癒す慈愛に満ちた一品だ。
風邪気味のときこれを食べれば一発で直ると信じていた。
たぶん今もそうだ。
だから料理のジャンルは問わず、
メニューに黄色いニラの名前をみつけると
私は迷わず注文することになる。
で、昨日札幌から来ていた友人ご夫婦とのランチで伺ったイタリアンのメニューに、
黄ニラとラグー・アッラ・ボロニェーゼを発見し
私は即座に注文した。
この富ヶ谷にあるイタリアンは、
ランチ A1200円という絶壁値段にもかかわらず。
前菜に、私が選んだ、さより?のカルパッチョ
(三種類から選べる)と
クルミ入りとバゲット、フォカッチャ が含まれている豪華なものだ。
で、パスタだ。もう完璧!といって差し支えないだろう。
ミンチの肉は本来わたすはすきくないのだが、肉のかたまりをざくざく刻んでとろとろに煮込んだここのボロニェーゼには舌を巻いた。ミンチ嫌いの先入観が吹き飛んだ瞬間だ。うまい。思わず声を挙げるうまさだった。パスタの分量もランチらしくというか、イタリア人でも満足する分量だ。潔い、
原価を少しでも押さえようと言う「いじましさ」がこのシェフには微塵もない。豪快にして繊細とはこの小倉シェフのことを言う。たぶん。数日前にイタリア旅行、ナポリ(カンパニア州)ローマ(ラツィオ州)もう一カ所が思い出せない。から帰って来たばかりのせいか、目の輝きがいつもと違っていた。もちろんいつでも輝いてるが、やる気清輝が顔中に溢れているのだ。彼の万全の笑顔を浴びると、いつか私もきっとナポリの太陽を浴びてやるぞと黄色いニラを絡ませたボロニェーゼを味わい願う誓う至福の時であった。追記。ビオの熟成気味の白いワインも味わいがあった。
ボロネーゼ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9
レガーロ
http://media-clubking.com/aozora/
イタリアのボロネーゼ [編集]
ラグー・アッラ・ボロニェーゼであえたフェットチーネ
イタリア南部の簡単な調理法しかなかったパスタを、
「肥満の街」すなわち食通の都である[要出典]
北部のボローニャの裕福層がフランス料理のラグー(煮込み)を真似して贅沢に作らせたのが起源とも言われる[要出典]。
1982年にイタリア料理アカデミー(Accademia Italiana della Cucina)[1]のボローニャ代表によって発行されたレシピは、材料を牛肉、パンチェッタ、玉葱、人参、セロリ、トマトペースト、肉のブイヨン、赤ワイン、そして任意での牛乳およびクリームに制限している。ソフリットとしてプロシュット、モルタデッラ、またはポルチーニが加えられることもある。伝統的なものとは違った作り方として、牛肉とともに豚肉、鶏肉、ガチョウのレバーを利用したり、オリーブ油とともにバターを使用するレシピも存在する。また、実際にはトマトペーストではなく、トマトソースを使うレシピも広く知られている。
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