Diary-T 252 流浪(ノマディズム)
名声とは
幸福の輝かしき葬列
イヴ・サンローランのドキュメンタリーに考えさせられる。
すべてがあってすべてがない。
終わりが近づいて来てからしか分からないこと、だらけだ。
生きるってね。
人生では多くの人と関わる訳だけれど、
まるで交通事故のように出会ってしまうひとというのがいる。
しかしそれも自分が呼び寄せたオーラかもしれない。
私は悪くない。
この言葉の呪縛で人は人を威嚇し遂には殺人までしでかすのではないか?もちろん企業間でも民族間でも国単位でもつまり戦争が終わらない理由のすべてにこれがある。
子供のときから、「あなたが悪い」
と断言される教育という名の愛情という名の洗脳。
そこから始まる私を責めるすざましい暴力は無限で際限がなく、
いつしか見たこともない強靭なモンスターを生み出してしまう。
で、ここらで、
そのカルマをあの津波にさらわれてしまったことにしませんか?
うん?誰に聞いてるの?
出来ないことは出来ない。
自らどうしてもしたい。と思うまで無理しない。
自分をどう見せたいか?どう見て欲しいか?
生きることの制約を増やすのはもう金輪際ヤメなはれ。
どうせ空っぽの自分を前にして、
自分探しすることほど天に唾することはないるろじゃーす。
そう、私はそろそろ流浪の旅に出ようと思う。
ノマドの時代へ進もうと思う。
そして船は行く
各人のアイデンティティ、移動の自由、
出身国との絆を失わない形による居住国への同化を同時に保ちながら、市場と民主主義を両立させることができるだろう。
倫理的に言いかえれば、定住者は自分がかつてノマドだったこと、あるいはいつの日かノマドになることを念頭において、ノマドの人々を快く受け入れ、彼らの考え方を寛容に受け止め、彼らを助けなくてはならない。そして定住者がノマドの境遇になったときは、自分がかつて定住者だったこと、あるいはいずれ定住者になることを忘れず、居住地で適切に行動し、身を置いている場所の生活習慣に従うことを積極的に受け入れなくてはならない。ノマドであると同時に定住者でもあるというこのグローバル化した世界を人間が生き抜くただひとつの方法だと私には思われる。そこに到達するには、民主主義を他者の自由を尊重するものに進化させること、自由行使の前提として、他者の幸福なしにみずからの幸福もありえないという事実を意識することを心がければいい。さらに、我々に幸福をもたらすものが単なる利己的な満足よりもむしろ周囲の人々の幸福であることを自覚できれば理想的である。
伝染病、貧困、流浪(ノマディズム)
いま、目の前で起きていることの意味について
ジャック・アタリ 編著
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