Diary-T 234 素敵なカップ
Lounge
2015年4月15日

Diary-T 234 素敵なカップ

Diary-T

Diary-T 234 素敵なカップ

文・アートワーク=桑原茂一

日本一早い夏フェスへ

目的はDexPistols.

噂通りの見事なパフォーマンスだった。
DJMAARの律儀さと寡黙さを柱に、
DJ DARUMAのカマ師とスタイルのあるダンスに煽られ、
いつしか私も身体が動いていた。
ダンスミュージックがいつまでも私は好きだな。
それにしても誠に日本人はセンスがいい。
大技の隙間に繊細さが時折顔を出す。

どうせなら、もっと過剰なステージ演出に向かってもいいのではないか…
次のDJのスタイルへ向かう二人の存在に接し、
ある意味DJの終焉の兆しを感じた。

で、DJはカナリヤではないか?

命の危険を誰よりの機敏に察知するカナリヤ、
炭坑の闇を一番最初に突き進むカナリヤ、

突端に位置して突き進むDexPistolsに
私は音楽業界のカナリヤをみた。

DJの役割はそろそろ終わるのではないか…

ここでもう一度DJの成り立ちを振り返ってみる。
新しい音楽を次々に紹介することで磨いた音楽の目利きは、
かゆいところに手が届く美味しさ満載の音楽を生み出した。
それは音楽の役割や楽しみ方にもうひとつの視点を加えたことで革新的な音楽シーンを生み出し成長させた。

そういつの時代も音楽ファンは見たことも聞いたこともないものを求めている。

デジタルの時代は簡単にああらゆる美味しいものが手に入る時代。
そう、金さえあればね。

しかし簡単は簡単にゴミ箱に捨てられていくことでもある。

人間の♥までも。

以前から友人の四十代DJからこんな話を聞いた。

DJって、今一番カッコ悪いですよね、って。

私の彼もDJなんです。と言われた時、本当に恥ずかしいと。

ではDJとは?

情報の収集力が優れていること。
オリジナル楽曲を遥かに凌駕するセンスと技があること。
そして誰でもない独自のスタイルがあること。
それをオーディエンスと共有できるオーラを持ち合わせていること。

これらを兼ね備えて始めてDJと呼ばれる。と私は思う。

私はDJではないがダンスフロアーを司るDJとはきっとそういう才能を強靭に持ち得た人ではないか。

だから、私の彼もDJなんです。この脆弱な響きは、

つまり情報の収集力が優れていることを指しているのでしょう。

しかしこれはデジタルの時代ならとても容易いこと。
また曲を並べるだけの技術もデジタルの時代なら
誰でも簡単にDJになれます。

つまり例えれば、DJを仮に、Dカップとするなら、

私の彼もDJのDJは、Aカップではないか。

だから今後は、私の彼はAJと呼んで欲しい。

もちろんどんなカップも素敵なカップです。
カップに優劣はありませんのであしからず。
いつも大変お世話になっています。

今日体感したSTAR FESはそういう意味では、
DJが主体のイベントであるから、
今日の私の感じたことを検証するには大変いい機会だったのかも…。
にもかかわらず最後までみれなかった私のつぶやきにはなんの信憑性もありません。

ずっとみたかったDexPistolsが思った通りカッコ良かった。
と同時に私の脳裏に浮かんだこの兆しは、
after311以降の意識の変化と無縁ではないでしょう。
ひとの心に宿る欲望に限りはないのです。

誰もがこれまでとは違う何か?を求め始めているのだと思います。

もちろんその答えはいまのところ言葉にはなりません。

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