Diary-T 223 屋敷豪太の誕生日の夜
ひとりのロックミュージッシャン?
一人のドラマーの半生?
を一夜で俯瞰するというと大げさだが、
出会った頃の二十代の前半から三十代辺まで
仕事も絡んでいたこともあって、そういえば彼の最初の結婚に繋がるプライベートでも関係があったといえばあったか…、ま、彼の人柄には裏表を感じなかった。もちろん、成功したあとの四十代も五十代も付き合いがなかったので彼の本当のことは分からないが、少し前に食事を共にした印象では最初に出会ったときの飾らない自然体は今も変わらない気がする。ようするに懐が器が大きいというのだろうか、細かいことはどうでもいい、やるときはやるタイプだ。でなければイギリスマンチェスター出身の世界的な有名バンドSimply Redのメンバーとして世界ツアーをこなすという偉業は、私の知る限り、フリーおよびフェイセズのメンバーだった山内 テツを除いて日本人ロックミュージシャンではこれまで存在しなかったのではないだろうか、たぶん。
でそのスケールのある才能は昨夜のイベントのステージからもはっきり伝わってきた。というか私は昨夜その才能をようやくこの目ではっきり認識したのかもしれない。で、今回の誕生日のお祝いイベントがとてつもないのは、その夜のゲスト出演者たちとドラムですべて関わるというからまったく剛毅豪太だ。私は完ちゃんとトシちゃんから拝見したので途中からだが、つまり最初から最後まで出っぱなしという壮絶な荒技偉業をこなすには壮絶悶絶な体力&精神力が極太でなければこなせるはずもないのだから明らかに日本人では希有な存在だ。
しかもそれを飄々として演じきった豪太に最大のリスペクトを贈りたい。それにしても、というか、想像だが、あのメンツの集合した楽屋はそれはそれは目のくらむような阿鼻叫喚の感慨無量の修羅場の反対だったのではないだろうか。
会場でお会いした、当時をよくご存知の、
あのRiddimの石井さんから楽屋には行かないの?
と問われたが、行けば過去が私の今を押しつぶしそうな気がして今回は控えさせて頂いた。
懐かしい思い出は懐かしいままに、
色々あった過去はそのまま過去に今は置き忘れてしまいたい。
今日をもっと自信の溢れる現在に成した時、
初めて私は過去の時代を振り返りたいと思う。
そうそう、今、PIRATE RADIOの制作中だった。
今すぐチャンネル・チェンジ!
で、締めようとしたら、トシちゃんからの留守電、
気になってかけてみたら、案の定、
昨夜の楽屋はピテカンだったらしい…
それにしても濃密な二年間だった。
とピテカンのことをトシちゃんはそう語った。
GO BACK TO 1963 for PIRATE RADIO !!
ps.映像の記憶はのちほど。