Diary-T 213 Prestigious sexual decoration
心理学者ジェフリー・ミラーが主張するところによると、
人間性のとりわけ興味深く誇示的な側面の多くは、
性選択によって進化した、
自分の値打ちを他者に喧伝するための手段である。
つまりは、子孫を残せるだけの適応度を備えていると誇示する方法であるわけで、ミラーに言わせれば、ダンスはもちろん、スポーツや芸術活動、慈善活動の多くもこれに含まれる。
ミラーにとっては、脳は、”拡張高い性的装飾”なのだ。
喜びはどれほど深い?
心の根源にあるもの
ポール・ブルーム著 小松淳子訳
ふと思うのだけれど、
この、ふと、は限りなく繰り返しているふとなんだが、
自己とは、いったいなんだろうか?
もし常日頃から私の脳が、
高級な性的装飾を自分に催促し課しているのなら、
つまり、常日頃から、何処かに良い女がいないかと物色し、
好きあらば性的行動を発動する態勢にある。
とするならば、どのぐらいの人がそれを認識しているのか?
ということだ。
しかし大抵の人がそんな自覚は端からのっけから
ないのだろうから、ま、仮にあったとしても、
脳が私の自覚に断りもなく行動しているのだろうから、
その場合自己はいったいどこにあるのか?
そもそもこんな状態で存在する私は
本当に生きているといっていいのか?
言い換えるならDNAに書き込まれた
”拡張高い性的装飾”を、
私はどこまで管理しスタイリングする責任があるのか?
そんな飢えたオオカミのようなまるでドラァグクイーンの衣装のような性的装飾なんか私は知らない。と正当化してはいけないのか。
知らない私と知ってる自己と私はどう折り合いをつければいいのだ。
誰か教えてくれ。
という問いかけは間違いで
自分で考えることが必須要望されている。つまり、
ここが哲学への入り口ということかもしれない?
と誤摩化すことにしたりしなかったり。だから、
自己とはなにか?
全く愉快な謎なぞだ。と気取ってみる。
仕舞った、また罠にはまった。
この言い回しこそまさに、”拡張高い性的装飾”であった。
Diary-T 213 Prestigious sexual decoration
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