Diary-T 173 下條ユリの作法
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2015年5月7日

Diary-T 173 下條ユリの作法

Diary-T

Diary-T 173 下條ユリの作法

文・アートワーク=桑原茂一

生きる生き方に作法がある。

作法を生きるひとには凛とした品性が生まれる。

頭がいい、顔がいい、肉体がいい、あれこれがいい、

いい、が、いくら揃っていても、作法がない人の人生は薄い。

作法とは流派のことではなく、
自分の人生を自分できちん操縦する責任を持つ人のことです。

どんなに不合理でも不公平でも辛くても苦しくても悲しくても生きることをあきらめずに自分にしか出来ないことに向かって突き進んでいくひとの佇まいのことです。

そのひとはきっと壊れているでしょう。社会性には疎いかもしれません。親切心や助言を頑に拒否する場合もあるでしょう。愛に溺れることも少なくないでしょう。思ってもみない行動に友人たちも距離を置くかもしれません。なぜなら、そのひとはそのすべてを全部一人で受け入れる覚悟があるからです。

そしてこれが極めて難しい。大概の人がその責任を受け入れる勇気も強い精神をも持ち得ないのです。だから周りの目を意識するのです。
つまり本当の自分を真っ正面から見つめ受け入れることを拒否してしまうのです。すると今度は本当の自分でないから愚痴が出るのです。恨みが出るのです。妬みや嫉妬が渦巻くのです。自分を受け入れることから逃避するひと程大きな力に自分をゆだねようとするのです。総称して自分探しの旅とよばれるようなものです。そしてその依頼心は霊能者に未来や過去を見てもらうというような他力本願への道へゆるゆると向かうのです。

実は私もそうした時期もありました。これは私が特別という意味ではなく、それほど人間は弱い生き物だということです。

もちろん弱い生き物が群れてお互いをかばい合う世界を私は否定はしません。
それは大層気持ちの良い世界だろうと思います。

そしてその反対側にある強い成功者たちが集う世界も同じように気持ちの良い世界でしょう。

もちろん世界が平等だなんて言うつもりもありません。

だから、だからこそたった一人で生きていくことを恐れない。

その覚悟を私たちは再獲得しなければならないのです。

ひとはひとのお世話になって生きていく生き物です。

一人で生きていくとは唯我独尊のことではありません。

ひとはたった一人で死んでいくのです。

これだけどうしても受け入れなければならない。

”ひとは一人では生きてはいけない”

”人という字は支え合ってるではないか”

これまでも繰り返し繰り返し聞かされて来ました。

私も人が恋しい。支え合って生きていけるなら…と。

でも、出来ないのです。

本当に強くなければ優しくなれないと…

暴力のことではありません。

私の場合で言えば一人で生きてきた幼少時代の過去は消せないからです。
過去に作られた自分を、今日この命は拒否できないのです。

だから、もう無い物ねだりは終わりにしましょう。

ないものをねだるのは子供です。心は子供でもいいでしょう。

しかし、もしかしたら、それは甘えかもしれません。

ひとが死ぬまで子供なら、
次々と生まれてくる子供は誰の教えを受けていけばいいのでしょうか?

私は、私たちは、いつか大人にならなければならないのです。

遅れても遅くなってもかまわないのです。
人生はそのひとなりの生き方だから、
いくつになってもいいのだと思います。

大人にならなければならいことさえ分かっていれば…。

下條ユリとは、確か二十年ほど前に知り合ったはずです。

一緒にハワイで絵本を考えたこともありました。

それは「みずの花」として結実しました。

その時期にはユリは共通の友人たちと結婚を繰り返し周囲をハラハラさせることもありました。

何故か、ここ七年~程は、ほとんど交流もありませんでした。

今年の夏にひょっこりディクショナリー倶楽部に現れ、

その空白の時間を心持ち共有しました。

ほっこりと身体もまるくなって、女性らしい柔らかさが

彼女の数々の経験を華やかな豊かなオーラとなって彼女を包んでいました。

実は十年近く前に祐天寺の行きつけの中華料理屋さんで、

最初のハズバンドと食事中に出くわし、その彼女背中に、

ユリのお母さんが乗り移っているのを発見したことがありました。

母一人、子独り、しかも大きな家系を背負ってしまっている下條ユリの背中に綿々と続くその家系の歴史の重みを感じたのです。

この人の人生は一筋縄ではいかないだろうと…

やはり、その通りでした。

あの下條ユリは自分の人生を自由に生きたのです。

しかしその天下ご免のお陰でユリは見事に自分の人生を受け入れる覚悟ができたのです。たぶん。

それは彼女の描いた絵画にそのすべてが現れています。

下條ユリはここから天涯孤独の天才画家としての人生を歩んでいくのです。

無論、ユリはここからも次々と高い山を目指すでしょう。

これまでとは違う苦しい自分との戦いになるでしょう。

しかし、私は世界が彼女を必要としていると信じています。

きっと長寿してその名を後世に残すことになるでしょう。

そう私は信じているのです。

下條ユリは自分の人生を素直に受け入れたのです。

だからこそ次に極めるべき山が目の前に現れたのです

実は数日前に下條ユリから美しい絵画が届きました。

私たちの心を鎮める清らかな絵画です。

私は感動のあまりこうして顔から火が出るような表現を露にしてしまいました。

しかしこれが私の素直な思いなのです。

そしてこの心打つ感動の作品が遠くないうちに、

福島の地の復興のシンボルの壁画として

あるべき場所に描かれることを心より望んでいます。
この思いは日本で起こった悲惨なこの現実を私たちがしっかり心に刻み込み後世に伝えることに繋がると信じるからです。
もちろん多くの人たちの総意に委ねることになるのですが…

その為にも、今日私たちが出来ることはこのシンボルを友人たちや信頼できる人たちへ伝えていくことです。

望むなら、この絵に接した人たちが自分の思いを重ね合わせ、
信頼するひとからひとへと思いをつないで欲しいものです。

LOVE&PEACEには、
責任も行動も伴うということを再認識するためにも、
私たちはこれからも行動することを、考えることを、
いつまでも生きてる限りやめてはいけないのです。

下條ユリの活動をどうぞ私と一緒に見守って下さい。

心よりお願いします。

下條ユリ
http://www.yurishimojo.com/

桑原茂一
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