Diary-T 89 unexpected
ダークグレイのDaimler Double Sixにまた乗りたい衝動がある。
そのきっかけがこの一枚のフライヤーだ。
「the red shoes」
デジタルリマスター・エディションがマーティン・スコセッシ監督の監修で蘇る。
美しいものみたいという衝動が起こるのは、
もしかしたら生命力が落ちているのではないか?
ふと、そんな根拠のない戯言が浮かび上がる。
昨日出会った写真家 RYAN MCGINLEY の「DAYDREAMING]の溢れんばかりの生命力にも目を見張ったが、ただその作品には今日という時代の腐りきってどうしようもない世界の強烈な悪臭が纏りついていたという切なさも同時に受け入れなければならない。
で、「the red shoes」、デジタルの力で今再び蘇ろうとするクラッシックなこの美には、人びとが明るい未来を夢見た時代の甘いノスタルジックな香りをちと感じる。
このデジタル作品を見ていないからここは適当なことを言うが、
一見なんの関係もなさそうなこの二つの美に共通するのは、
この手でもう触ることのことのできない記憶のなかにしか存在しない美ではないか。
若いころからノスタルジックなものが好きだったが、
なんだかその理由が最近分かりかけてきた。まじ?
私のDNAに書き込まれた記憶は当たり前だが私一代のものではないということだ。
ということは物心ついたときとか幼少の時というのは本当は正しくなく、
意識して記憶を探りはじめたと同時に膨大な記憶が押し寄せてきて
誰もがノスタルジックな思いにならざるを得ないのではないか。
ひとは生まれたときがあたらしいのではなく、
生まれたときも死ぬときも、ひとはあたらしくもあり古くもある、
だから自分が過ごした一生ほどの記憶なんかはカスみたいなモノだから
想定外などといってせこく縮こまらず、
DAYDREAMING~RYAN MCGINLEYのように、
”I love the idea of the unexpected "
何から何まで 真っ暗闇よ
スジのとおらぬ ことばかり
右を向いても 左をみても
ばかと阿呆の からみあい
傷だらけの人生をしぶとく生き抜くためには、
”予想外”をどれだけ楽しめるかってこと。
俺も余生をなんとか生き逃げ切りたいぜ~
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