Diary-T 76 「ブラピ」
飛んでいる矢は止まっている
これは物体の運動にかんするものである。矢が飛んでいるようすを考えよう。ある瞬間には、矢はある場所に位置している。僅かな時間だけに区切って見れば、矢はやはり少ししか移動しない。この時間をどんどん短くすれば、矢は動くだけの時間がないから、その瞬間だけはおなじ場所に留まっているであろう。つぎの瞬間にも、おなじ理由でやはりまたおなじ場所に留まっているはずである。こうして矢は、どの瞬間にもおなじ場所から動くことはできず、ずっとおなじ場所に留まらなくてはならない。従って、飛んでいる矢は止まっている
「その人の身になってみるというのが、実は批評の極意ですがね。
身になってみたら、だいたい言葉がないのです。いったんそこまで行って、
なんとかして言葉をみつけるというのが批評なのです」。
小林秀雄 評論家 (日経朝刊春秋)
あたらしいダンスの次元にむかって
"into a new dimension of dance"
「……末梢神経は、全身に分布するが、ただし脳そのものには分布していない。
だから、脳は切っても痛くない。頭が痛いのは、硬膜や血管の痛みで、
脳が痛いわけではない。
末梢神経を完全に切断してしまったら、脳ほど無益なものはない。
情報がまともに入りもしないし、まともに出てもいかない。
そこに心的な世界が存在するとすれば、
それは心理学者の理想世界だろう。あるいは、そうした世界でしかない。
当人の心理もそのもの以外の、何者も存在しないと思われるからである。
しかし、いまのところ、その世界の実在の有無は知りようがない。
それはまさしく、孤立無援の世界である。
ポパーの言う世界2とは、この世界のことであろうか」
唯脳論 養老孟司著
人は己の意のままにならぬ自然から開放されるために
人工物で世界を覆おうとする。そのようにしてできた世界が脳化社会である。
唯脳論 養老孟司著
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