クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンドx三陽商会|伝統とモードの架け橋「大丸製作所2」
クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンドx三陽商会
伝統とモードの架け橋「大丸製作所2」
ニューヨーク発、メイド・イン・ジャパンとハイエンドのコラボレーション(1)
日本が世界に誇るべきもののなかに、その特有の感性と細やかな手仕事などを活かした“モノづくり”がある。日本国内での“モノづくり”ももちろんだが、近年では優秀な人材は海外コレクションブランドからも厚い信頼を得るなど、日本人の仕事は海外での評価も高いのをご存じだろうか。ここでは、世界で活躍する日本の“モノづくり”集団の代表として、今年70周年を迎える日本ファッション界の老舗 三陽商会とニューヨークの「大丸製作所2」の仕事をフィーチャー。伝統とモードの架け橋となっているメイド・イン・ジャパンの力に、ここであらためてスポットを当ててみたい。
Text by SAKUMA YumikoPhotography by KAWASAKI Shiori(NEW YORK),SANYO SHOKAI (IWATE)
2013年2月7日、ニューヨーク・ファッション・ウィークで2013秋冬コレクションを発表した「クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンド」。デザイナーは、2011年のCFDA賞でファイナリストにノミネートされたシカゴ出身の2人組、クリス・ピーターズとシェーン・ガビエ。何人ものデザイナーがほかの場所でショーを発表していた競争率の高い枠での発表になったにもかかわらず、バックステージにヴォーグ編集長のアナ・ウィンター氏が訪ねてくるなど、いま、力をつけつつある注目のブランドであることはまちがいない。
クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンドと三陽商会のカプセルコレクション
今回発表したコレクションのテーマのひとつは「テディ・ガール」。1950年代から60年代にかけて、イギリスに登場し、ひとつのサブカルチャーとスタイルを形成した「テディ・ボーイ」たちのまわりにいた、マニッシュなスタイルをしていた女性たちのことだ。
「テディのカルチャーは、イギリスの暗い時代背景に対する厳しく攻撃的な姿勢から生まれた。テディ・ガールたちはジェンダー色が薄く、現実から自分たちを引き離すために、メンズウェアをよろいのように着ていた。彼女たちのスタイルにインスピレーションを受けました(クリス・ピーターズ)」。
もうひとつのテーマは「メンフィス・ムーブメント」。80年代にイタリアで登場したデザインのムーブメントで、カラフルでキッチュなデザインに特徴がある。
このふたつのインスピレーションが、メンズウェアのディテールを活かしたマスキュリンなルックと、ポップなジャカード織りを使ったフェミニンなシルエットのルックからなるコレクションに昇華した。
じつはこのコレクションのなかに、「クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンド」と三陽商会、そしてニューヨークの「大丸製作所2」がコラボレーションした、7型のコートからなるカプセル・コレクションがふくまれていた。デザイナーのクリスとシェーンが、三陽商会に保管されていた1960年代後半のアーカイブから、500点にも及ぶスケッチを検討し、そこから選んだものをインスピレーションに、あたらしいデザインのコートを作ったという。
「メンズのアウターウェアをよろいのように着る『テディ・ガール』をイメージするのに、コートを得意とする三陽商会のアーカイブを使うことは理にかなっていた。そこからパターンを作り、素材を決めていくうえで、だんだんモダンなものに進化していったんだ(シェーン)」。
「60年代後半は、僕らがとても好きな時代。インスピレーションになるスケッチを探すのは楽しく、簡単な作業だった。三陽商会のスケッチアーカイブは僕らが普段描くスケッチに似ていて驚いたよ(クリス)」。
また、自分たちで独自にリサーチし、60年代に三陽商会が作った広告のビジュアルを発見し、これもインスピレーション源として使った。三陽商会の事業本部事業戦略室マーケティングチームの白石豊氏が語る。
「“クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンド”のふたりは人柄もよく、ファッションに対する情熱がある。プロジェクトがスタートした段階から、ニューヨークで販売されているサンヨーコートのディテールを細かく研究したり、非常に前向きな姿勢に感銘を受けました」。
クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンドx三陽商会
伝統とモードの架け橋「大丸製作所2」
ニューヨーク発、メイド・イン・ジャパンとハイエンドのコラボレーション(2)
社をとりもった大丸製作所2
「クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンド」は、デビュー当時から、クオリティ管理に力を入れていた。
「ブランドを立ち上げるときに考えたのは、これだけ洋服が溢れている世の中に、さらにあたらしいブランドを立ち上げるとしたら、胸を張れるクオリティのものでないと意味がないということ(シェーン)」。
目が届く範囲でモノを作りたいと、衣類はすべてニューヨークの工場でおこなっていた(サングラスと靴はイタリアで生産)。しかし2012年の秋冬から、三陽商会が岩手に持つ縫製工場「岩手サンヨーソーイング」に量産の生産の一部を、また2013年の春夏には同工場でサンプルと量産の生産の一部を依頼するようになった。
「三陽商会のことは日本のヘリテージ・ブランドだと認識している。モノの作り方の倫理性について心配する必要がない。しかも東北大震災で大きなダメージを受けたエリアにあると聞いて、さらに興味をもちました(クリス)」。
そして、「クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンド」と三陽商会の”縁組”を取りもったのが、「大丸製作所2」だ。
「クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンド」と「大丸製作所2」の関係は2012年春夏にさかのぼる。ちょうどパターンメーカーを探していた「クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンド」が、共通の友人を通じて「大丸製作所2」の社長大丸隆平氏の存在を知り、パターンの作成の一部を依頼した。そこから関係がどんどん深まり、いまでは、「大丸製作所2」はパターンから素材調達などまでを広く担当するコンサルタント業務をおこなっている。
「(大丸)隆平は、スケッチでイメージしたとおりを立体にしてくれる。理解力が高く、ビジュアルとセンスにおいて、見ているものがおなじだという信頼感がある(シェーン)」。
「ほかのブランドのショーを見ても、隆平がパターンを担当したものはすぐわかります(クリス)」。
クリスが大丸氏について、おもしろいエピソードを教えてくれた。「隆平が、肩に使う裄綿をわざわざ自分で作ったことがありました。ふつう、そこまでするひとはいない。そのこだわりはクレージーなくらいだと思いました」。
大丸製作所2の永澤小百合氏が補足する。「肩に入れる裄綿は、日本だと何種類もあるのです。アメリカには2種類くらいしかない。だから手で作ったのです」。
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ニューヨーク発、メイド・イン・ジャパンとハイエンドのコラボレーション(3)
パターン作成を超える業務を請け負う大丸製作所2
「大丸製作所2」は2008年12月にニューヨークで創業した。社長の大丸隆平氏は、コム デ ギャルソンのパタンナーを経てアメリカに渡り、ダナ キャラン ニューヨークで経験を積んだあと独立。「ジェイソン ウー」、「SUNO」、「クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンド」などニューヨークの内外で数多くのクライアントを抱え、パターンの作成とサンプル縫製をおもにやっているが、単なるパターン会社、サンプル縫製工場以上の業務を請け負っている。
「モノづくりがすべての基本だと思っています。それをベースにあたらしいビジネスをしたいと思って起業しました。パターン会社と縫製工場を網羅しながら、デザインができる会社を作りたかったんです(大丸氏)」。
ファッションを学び、パタンナーとしてある程度のキャリアを積んだ場合、デザイナーとして独立したいと考えるケースも多い。大丸氏のアプローチはちがった。
「あえてデザイナーという道を選ばなかったのは、もっとニュートラルなかたちでやりたかったから。いまの業務形態は、誰と組むかによってまったくちがうものができるという意味で、もっと広い可能性がある」。
もともとのバックグラウンドはパターンの作成だが、いまのようにより踏み込んだかたちでデザイナーと付き合えるのは、すべてを理解しているから。
「かつての服づくりは、テイラーがデザインからすべてやっていた。いまのファッション業界は、分業が進みすぎてばらばらになっている。うちの社員は、縫製も、ファッションもわかっている。市場調査にも行かせるし、モノづくりにも厳しい。デザイナーとおなじレベルで洋服を理解していないといけないんです(大丸氏)」。
コム デ ギャルソンを退社したのち、英語がほとんどできない状態で渡米し、アメリカの会社に就職した大丸氏。アメリカのファッションの現場で、日本のモノづくりの強さを実感したという。
「ダナ キャランにいて、普通の生活はできたけど、だんだん日本のことを考えるようになった。社会に貢献できたり、日本人として、日本になにかメッセージを発信するようなことがあったほうがいいなと思うようになりました」。
パターンのひき方からして、日本で学んだこだわりは欧米のやり方とは格別ちがうと大丸氏は言う。例えば今回のカプセル・コレクションで作ったメンズのディテールを使ったジャケット。
「メンズらしい袖のふりを入れたり、細かいディテールまでメンズのやり方を細かく踏襲しているし、素材も日本毛織さんがユニフォームに使っていたものを取り入れています。欧米人は感覚的にモノを作りますが、それはそれでいいと思う。でも僕は日本人だから、理論とプロセスをきちんと考えたい。これは日本人特有のことです。ボーイフレンド・ジャケットを作るんだったら、メンズのテーラーの考え方を使って、本気で作りたいんです」。
そんなこだわりをもつ大丸氏なだけに、三陽商会との出会いは、求めていることと見事にマッチした。
「いまどき、自社で工場を持っているアパレルの会社なんてないんです。こんな時代に工場をかたくなに守っている。そんな会社と仕事をできることを誇りに思う」。
クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンドx三陽商会
伝統とモードの架け橋「大丸製作所2」
ニューヨーク発、メイド・イン・ジャパンとハイエンドのコラボレーション(4)
メイド・イン・ジャパンはなにがすごいのか
日本の工場が作るものは「クオリティが高い」と言われることが多いが、消費者にはなにがちがうのかわかりづらい。実際のところ、なにがちがうのだろうか?
「精度の高い量産を作る力では日本の横に並ぶ国はありません。アメリカもイタリアもテイラーの文化。テイラーが自分で縫うことが基本になってできたものなんです。それを量産にしたとき、どうしても弱みが出る」。
実際に、サンヨーソーイングに縫製を依頼している 「クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンド」にも聞いた。
「サンプルが戻ってきたとき、どれだけ大切にされ、どれだけ手をかけられたかということがわかる。デザインとパターンに力を入れて作ったのに、技術のない工場に依頼して商品のレベルが下がるほどばかばかしいことはありません(シェーン)」。
大丸さんも、工場選びの大切さは、パタンナーとしての経験から、痛いほどわかっている。
「どれだけ良いパターンを作っても、縫製の能力がおなじレベルでないと、いいものはできない。100点のパターンを作っても、縫製が20点だったら、できた商品は30点程度になってしまうんです。デザイン、パターン、生地選び、縫製まですべてそろってはじめていい商品ができるんです」
自社工場を持つことにこだわりつづけてきた、三陽商会にも聞いてみた。
「実際にミシンを踏んでいる一人ひとりの高い技術力も大きな強みですが、一つひとつのパーツの管理や環境の整備によって、高いクオリティの商品を大量に生産し、ロスが少ない。弊社は国内に5つの自社工場があります。約100人からなるスタッフ構成ですが、ひとつの生命体のように手となり足となり全員が役割をもって業務しています。だからそこに温かい体温を感じます。これは、数年の実稼動で養われるものではありません(白石氏) 」。
当たり前のことだが、日本の工場で生産するということは決して安いオプションではない。マス・マーケットをターゲットにする大量生産のブランドが、ハイエンドのブランドとコラボレーションして、デザイン性の高いものを安く作るという動きの多い時代だ。しかしそんな時代だからこそ、こういう動きがおもしろいのかもしれない。
「いいものを作れる日本と、ハイエンドなブランドのあいだに入ってディレクションし、老舗と新鋭が刺激し合って、こんなものができる、という状態を作れる、それがおもしろいと思っています(大丸氏)」。
三陽商会は今年創立70周年を迎える。そんな年に、震災の影響を強く受けた岩手の工場で作られたメイド・イン・ジャパンのコートがニューヨークのランウェイで紹介された。
「三陽商会のフィロソフィが詰まったコートをショーで観て、“クリーチャーズ・オブ・ザ・ウィンド”と大丸さんに対する感謝の念でいっぱいでした。昨今、市場の景況感から売上高は厳しい状況にありますが、クオリティの高い商品を提供していることは変わっていない。メイド・イン・ジャパンのキープレイヤーになるために、三陽商会は、いま一度、自信を取り戻すことが重要だと思っています。そういった意味においてもこのプロジェクトは非常に大きな経験になったと思います(白石氏)」。
大丸氏は、今後もニューヨークから日本のモノづくりを応援していくつもりだという。
「日本は地道にモノを作ってきた国。きちんと計画を立てて、種をまき、畑を耕して米を作ってきた人種なんです。それで勝負しないといけないと思っています」。
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