AS by atsuko sano|大衆演劇とアートアクアリウムに見る、親しみのあるアート
FASHION / MEN
2015年2月27日

AS by atsuko sano|大衆演劇とアートアクアリウムに見る、親しみのあるアート

AS by atsuko sano|エーエス バイ アツコ サノ

大衆演劇とアートアクアリウムに見る、親しみのあるアート

AS by atsuko sano(エーエス バイ アツコ サノ)のデザイナーであるAS(アズ)氏が、あらたな作品づくりにおいて大きく影響を受けたのが日本の“大衆文化”。そこで注目したのは、劇団荒城による「大衆演劇」と、「アートアクアリウム」だという。ここではそれぞれを代表する劇団荒城の座長である荒城真吾氏と、アクアリウム クリエイターズ オフィスの代表、木村英智氏による対談をお届けする。

Photographs by MORI KouskeText by ITO Yuji(OPENERS)

表現者が考える大衆文化の本質

大衆演劇とアートアクアリウム。一見、縁遠い組み合わせのようだが、そこに共通するいくつかの要素を見いだしたAS(アズ)氏の希望によって、今回の座談会はキャスティングされた。初対面ながらもお互いの作品は鑑賞済み。かたちは異なれど、表現者として第一線で活躍するおふたりがそれぞれに感じた、大衆文化の魅力を語ってもらった。

荒城さん(以下座長) この話をいただく前から、コンビニエンスストアでポスターを見て「きれいだね」と家族で話していたところで、金魚という着眼点に入り込みやすさを感じたというのが第一印象です。そして、実際に日本橋のアートアクアリウムに行きました。いちゲストとして純粋に楽しんだあとに、大衆演劇に取り入れられるものがあるのでは、という観点から2種類の楽しみ方ができました。そこで感じたのは、アートが動いているということ。見ているうちに、金魚がひとりの女性に見えてきたのです。自分が遊廓を歩いている感じがして、香り、音楽、水のきれいさなど、随所に五感を刺激するこだわりがうかがえましたね。そして、自由に撮影できることに、大衆演劇に近い感覚を抱きました、ぼくらも動画以外の撮影はOKですし、自分たちの芝居はおなじ演目であってもおなじ表現にはなりません。同様に、金魚もおなじ動きはしませんよね。その一瞬を切り取るような表現に共感を覚えました。

木村さん(以下木村) 自分が伝えたいことが、とても伝わっていて嬉しいですね。アートアクアリウムは、現代における江戸の花街が基本的なコンセプト。そして、五感で感じる醍醐味を、一回来ていただいただけで感じてくれたのはありがたいことです。座長がそのようにとらえてくれたことで、自分がやっていることがまちがっていないと教えられた気がします。

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私も劇団荒城のお芝居を見せていただいたのですが、驚きましたね。そして、素晴らしいという感想の次に、これは日本の独特な文化なのではないかと思いました。外国では、男性が女性を演じることが正当化された状況というのはあまりないですからね。そこにいちばん注目しました。いま日本橋や京都といった場所でお仕事をすることが多いので、出会うのは伝統や工芸といった方面に長けた人ばかり。でも、私自身はそうした伝統文化や工芸品に詳しいバックボーンがあるわけではありません。むしろ、いまやっと触れはじめたばかりといった段階ですが、いま感じることがとても大事だと思うのです。誰に教わるわけでもなく、善し悪しの判断材料は自分が感じたものだけですから、ニュートラルで素直に受け止めることができる。

座長 大衆演劇もバックボーンがあるようでない、しがらみのない世界。伝統文化でも伝統芸能でもない、大衆が楽しむものだから、よりしがらみのない発想をできるのかもしれませんね。

劇団荒城の舞台

エネルギッシュなライブ感で観客を魅了する劇団荒城の舞台<(写真左)若座長 荒城勘太郎、(写真右)座長 荒城真吾>

木村 歌舞伎とかだと型を覚えるということから入りますよね。それと比較するととても自由な発想が大衆演劇には必要なのでは、と感じました。

座長 そうですね。自由であり、つねに進化をしなければいけないと意識はしています。進化がたまに退化になることもあるけれど(笑)。もし先代がやったことが良いと思えば、そのやり方に戻すこともありますよ。大衆演劇の劇団員は、みんな役者でもあり、裏方でもある。その空間で学ぶことも多いですが、みんなで努力することが大事なんです。ひとりひとりの踊りは、自由にやればいいと思っていて、枠がないといえばありません。型を覚えたほうが楽だけれど、舞台としてお客さまにまとまりがないと思われないように、一線は画しています。

木村 自由でありつつも成り立たせる、ということですね。毎回おなじタイトルでも、毎回おなじ動きじゃない。

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座長 それができるのも、劇団荒城の軸になるものがあるからだと思います。大切にしているのは、壊さないといけないもの、壊してはいけないものがあるということ。その一線を守って、みんなでつくりあげるチームワークを重んじています。そしてなにより、演じている自分たちが楽しくないとお客さまも楽しくないはず、だと考えています。

木村 アートアクアリウムにおいて、いちばん大切なのは金魚を生かし続けること。これは失敗が許されない。もちろん表現として、毎回進化はさせますが、軸となるのは生き物の扱いをいちばんに考えること。展示では、5000匹の金魚を使っていますが、それが理由で金魚が死んだりすることは、基本的にありません。金魚は自然界に生息していると思っている人が、けっこういるのですが、鑑賞されるためにつくり出されたもので、自然界では生きられないし、子孫を増やそうとすると鮒に戻ってしまう。だから、水槽の中はかわいそうじゃないんです。生かすための装置にも莫大なお金をかけているし、餌もいいものを食べているんですよ。だから元気に育って、会期が終わると完璧な仕上がりになっている。自信をもって売れるぐらいに健康な、いちばん幸せな金魚たちだと思います。

座長 劇団は人間対人間なんで、金魚よりはコミュニケーションを取りやすいですね。でも、体調管理だけは口うるさく伝えています。劇団はすべてが家族ですし、24時間、365日ほとんど朝から晩まで顔を合わせているので、わずらわしいときもあるとは思いますが。そうしたなかで、育てるということにかんしては、それぞれのタイプによってちがいますし、覚え方もちがうので、ひと口には言えません。「ここは波の気持ちになって」というような精神論にはなりがちですけど。

木村 うちもほぼサーカス団のようなもの。アート展なのでいろんなところに行くけれど、スタッフが金魚にべたづきにならないといけないんです。そのため、会場を選ぶ条件は24時間、金魚の近くにいられること。だから、公私混同ができないと、この仕事は勤まらないですね。仕事というより、ライフワークとして楽しめる人が向いている。定時も定休もないといったところは、共通していますよね。

座長 木村さんは海外進出とかは、お考えになっていないのですか?

木村 海外からもお声掛けは多くいただいています。でも、残念なことに2016年度までスケジュールはいっぱいなんです。なので、それ以降のスケジュールはすべて白紙にしてあって、2017年度からワールドツアーに出る予定です。
はじめて六本木でアートアクアリウムを開催したときは、金魚は全体の4分の1で、いろんな世界観を提案しました。その一部が金魚だったんですね。でも海の魚も、サンゴもくらげも熱帯魚も、全部使うのがアートアクアリウム。でも、いま和をモチーフにした屏風やぼんぼりだったり、そういった表現に特化しているのは海外に出るための準備なんです。きちんと日本というものを体験し、それを実践することによって、世界に出るときには、完全なるリアルジャパンの世界観にしたいと考えています。

座長 うれしいことに、劇団荒城も海外からのお声をいただくので、スケジュールのタイミングが合えば、いつかはやってみたいと思っています。ただし、現状そのままをもっていくと、絶対に歌舞伎といわれるじゃないですか。だからやるのであれば、歌舞伎ではなく大衆演劇として海外にアピールするには、三度笠に合羽を着て、昔の役者がやっていた旅烏の格好がうってつけなのかな、とも考えています。それで、ストリートなんかを歩いたり。ますはそこから「それはなんだ?」、「これこそが大衆演劇なんだ」と伝わるといいですね。そこから足を運んでもらって、花魁もあり、おもしろい話もあり、という大衆演劇の魅力がわかってもらえるとうれしいかな。

アートアクアリウムの光景

木村氏が手がけた六本木ヒルズでのアートアクアリウムの光景

木村 なにかが「伝わる」ということは、とても大事ですよね。アートアクアリウムも水の生態系と生き物を使ったアートです。アートであるからには、何かしらのメッセージがあるんです。それは環境的なものを考えてほしいということではなく、純粋に美しい水中の世界があることを知ってほしいですね。アートというと難しくなりがちですが、難解なものになるぐらいなら、人を笑顔にするエンターテインメントでいい、そう思っています。

座長 これから見ていただける方には、まずこういう世界があることを認識してもらいたいですね。そこから、リピートしてもらえると、ライブ感やそこから込み上げる喜怒哀楽とか、舞台と客席との一体感を味わってもらえると思います。その臨場感や迫力は、それこそ大衆演劇じゃないとできないことですからね。

ふたりの対談を通じて感じられたのは、何事も調べれば大抵のことはわかってしまう、この世の中でライブ感を重視した生き方をしているということ。それは再現不可能なアートであり、おなじものをコピーもペーストもすることができない。劇団荒城においては、大きな会場では味わえない距離感のなかで、表現をつづけている生き方そのものがライブ感に満ちている。そしてアートアクアリウムは、誰もが親しみをもつ金魚を通して、アートに対する難しそうな概念を取り払い、親しみやすいものへと昇華させている。そういった意味でも、大衆文化というものは、もっとも身近にあるアート、といえるのではないだろうか。

Vol.1「過去と現代、そして未来を自在に行きかうための刺激」 を読む

Vol.3「劇団荒城、荒城月太郎が演じる未来の希望と覚悟」 を読む

AS by atsuko sano
Tel. 03-5466-0502
http://www.as-by-atsuko-sano.com

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