第88回 2016年春夏 ピッティ・ウオモ レポート|PITTI IMMAGINE UOMO
PITTI IMMAGINE UOMO|ピッティ・イマージネ・ウオモ
全世界のバイヤーが集うメンズファッションの祭典
第88回 2016年春夏 ピッティ・ウオモ レポート(1)
世界最大級のメンズファッションのトレードフェア「ピッティ・イマージネ・ウオモ」が今季もイタリア・フィレンツェにて開催された。第88回を迎える今回のテーマは『THAT’S PITTI COLOR』だ。会場となる「バッソ要塞」では、参加する老舗メゾンから新進ブランドまで所せましとブースを展開していた。さらに、ピッティ・ウオモでは毎回、フィレンツェという街を舞台にしたファッションイベントをあわせて開催している。今回も、ショーやインスタレーションが連日おこなわれ、大きな賑わいを見せた。
Text by IWANAGA Morito(OPENERS)
フィレンツェという都市を背景に展開するファッション地図
「ピッティ・イマージネ・ウオモ」。1972年にスタートし、今年で88回を数えるメンズファッションにおける世界的なイベントだ。その舞台は、「サルヴァトーレ・フェラガモ」や「グッチ」といったトップブランドを輩出してきたイタリア・フィレンツェ。工芸が盛んなこの街では、職人気質や芸術的な感性を重んじており、ファッションが育まれる土壌としては最適な環境と言える。
トレードフェアという形態でおこなわれるピッティ・ウオモでは、各国からさまざまな出展社が参加し、会場のバッソ要塞は、バイヤーやジャーナリストで溢れかえる。ファッション業界に身を置かない人間には、縁遠いようにも思われるこのイベントだが、実際に期間中のフィレンツェを訪れると、街全体が舞台となっており、ファッションのエネルギーを強く感じられる。現に、このタイミングでフィレンツェのブティックなどではイベントを開催し、一般客にたいしても、特別なプレゼンテーションをおこなっている。
それもそのはず、ファッションはイタリアの基幹産業である。開会式には、本国の経産省やイタリアのファッション業界を支える機関の代表や企業家らが出席し、開催を祝福する。
式のプログラムでは、イタリアを拠点に活動する若きデザイナーから、あらたな才能を見出すコンペティション「WHO IS ON NEXT? UOMO」のグランプリが発表された。これまで、「ウミット・ベナン」など、現在第一線で活躍しているデザイナーを輩出してきた、権威あるコンペティションだ。
グランプリを獲得したのは「Vittorio Branchizio(ヴィットリオ・ブランキジオ)」。賞金の獲得だけでなく、今後、ウェブショッピングサイト「YOOX.com」や国際的な流通プラットフォーム「Tomorrow London Limited」など、世界的なファッションインフラとのパートナーシップを結ぶという、大きなチャンスをつかんだ。
そして、「ピッティ・イマージネ・ウオモ アワード 2015」に輝いたのは「LARDINI(ラルディーニ)」。イタリアがもつ職人たちの手仕事を尊重し、ビッグメゾンのテーラードを請け負ってきた経緯から磨き上げられた確固たるクオリティ。テキスタイルの生産、縫製、モデリングのすべてを、イタリアでつづけてきたことは大きな功績となり、このたびあらためて評価されるに至った。
Page02.出展、プレゼンテーションから見るアパレルの傾向
PITTI IMMAGINE UOMO|ピッティ・イマージネ・ウオモ
全世界のバイヤーが集うメンズファッションの祭典
第88回 2016年春夏 ピッティ・ウオモ レポート(2)
出展、プレゼンテーションから見るアパレルの傾向
今回のテーマは“THAT’S PITTICOLOR!”。文字通り、“色”に着目するという内容で、会場は色彩にあふれたセットで飾られた。活発で豊かなライフスタイルを提案する春夏シーズンにふさわしいテーマだ。
展示ブースをまわっていて感じたことは、「伝統の意匠」「職人の手仕事」「最新のトレンド」という、よく聞くようなキーワードでは片づけられない、多様なデザイン性を受け入れる懐の広さ。その傾向はシーズンを経るたびに強くなり、アンダーグラウンドなスタイルを提示する「UNCOVENTIONAL」というセクションも新設されるなど、目に見える変化も確認できる。
ファッションやモードという観念が、ストリートでの出来事や個人の指向性に沿うものとして助長されているシーンで、「現象」として生まれるプロダクト。いま、そこに価値が見いだされ、さまざまなデザインが発明されている。それを実現する手段として、先のキーワードが用いられているのが、現在なのではないか。
実際、新進ブランドの製品のクオリティは高く、いずれも製作現場とのコミュニュケーションに重きを置いている。またファクトリーがデザイナーを迎え、その技術力をシーンにフィットさせているようなケースも多々ある。
もちろんピッティ・ウオモでは、イタリアを代表するメンズドレスクロージングが人気のセクションであることには変わりなく、現に大きなスペースで展開されている。バイヤーたちも、そこからクオリティを見極め、トレンドを見出し、ファッションシーンを占い、アクションを起こすのだ。しかし、クラシックやテーラードという言葉は現在、「ファッション」というカテゴリから距離を置きつつあるのではないか。そう感じさせるほど、デザイナーズブランドの活気と話題性を打ち出している感があった。
つまり、現時点のメンズファッションはコンサバティブなスタイルの時期を通過し、モードのサイクルに入っているということ。性差を横断するような男女混合でおこなわれるファッションショー、国境をものともしない異国の文化をミックスした服装、ニュートラルという名のもとに世界規模で展開するプロダクトなど、ファッション表現におけるダイナミクスの閾値が、加速度的に更新されている。
制限のあるなかでこそ、生まれる美しさはある。そこには歴史があり、格式がもたらされる。しかし、それさえも記号として消化する、気鋭のデザイナーたちの感性はどうだ。ここ数年、盛り上がりに欠けていたピッティ・ウオモに活力をあたえたのは、まちがいなく彼らのような存在だろう。
ファッションの未来を指し示すデザイナーたちを招聘
それを物語るかのようにおこなわれたのが、招待ブランドとしてピッティ・ウオモのクライマックスを飾った「MOSCHINO(モスキーノ)」のランウェイショー。1600年代後半に建造されたコルシーニ宮殿を舞台に、イタリアのラグジュアリーブランドがショーをおこなう。クリエイティブ・ディレクターを務めるのが、アメリカ文化を強烈なデザインでアピールしてきた、ジェレミー・スコットだというからおもしろい。
ジェレミーのクリエイションとモスキーノの挑発的かつラグジュアリーなイメージはマッチした。しかしその舞台が、厳かな芸術性をはなつバロック様式の建築物となったらどうだろう。フィレンツェという街がジェレミーを試しているのだろうか。コレクションを発表する場所が、要素として見え方を左右するのは当前のこと。そこでのジェレミーのアプローチは注目に値するものだった。
また、レディスウェアのスペシャル・ゲストデザイナーとして作品を披露したのは、トーマス・テイト氏。現在27歳のテイト氏は、セントラルセント・マーティン芸術大学を卒業し、2014年度のLVMH ヤング・ファッションデザイナー・プライズを受賞。今回は、“リフレクション”をテーマとした鏡面の什器のもと、アイテムを屋外で展開した。表情豊かな素材のテクスチャーと、モダンなデザインワークがあいまって、新世代の台頭を予感させるあらたな世界観を来場者に伝えた。
そのほかにも、各所でピッティ主催によるプレゼンテーションがおこなわれていた。今回のピッティ・ウオモの招待国であるアフリカから4人のデザイナー、イタリアの若手ブランド「Casamadre(カサマードレ)」、オーストリア人デザイナーが手がける「Arthur Arbessor(アーサー・アーベッサー)」、シューズブランドの「LOUIS LEEMAN(ルイ・リーマン)」など、ピッティ・イマージネ・ウオモによる支援のもと新鮮なイメージを打ち出した。
さらに、「PORTS 1961(ポーツ1961)」「EMILIO PUCCI(エミリオ・プッチ)」「CERRUTI(チェルッティ)」といったブランドはフィレンツェの街並みや建築を活かした試みを披露。いずれもファッションとそれ以外の文化的要素を取り入れたアプローチだった。
Page03.ピッティの名物男たちは、真の洒落者なのか?
PITTI IMMAGINE UOMO|ピッティ・イマージネ・ウオモ
全世界のバイヤーが集うメンズファッションの祭典
第88回 2016年春夏 ピッティ・ウオモ レポート(3)
ピッティの名物男たちは、真の洒落者なのか?
さて、日本のファッション雑誌から読者に届けられるピッティ・イマージネ・ウオモのコンテンツの定番といえば、来場者のスナップ写真だ。自信の服装への意識が高いファッション関係者が集まるなかで、自然発生的に慣例となった企画だが、じつは、ファッションスナップを撮られるためだけに、会場を訪れるものも多いという。
およそ本人以外真似のできない格好で、カメラマンの視線を浴びる来場者たち。もはや、リアルなトレンドからはるかに乖離しているものもいるが、彼らはファッションの楽しさを全身でアピールしているようだ。しかし、そのスタイルを実際の服装の参考にするかどうかは受け取り手次第だろう。
見てとれるのは、彼らがドレススタイルの基本をおさえているということ。その点にかんしては、各都市のファッションウィークとは、格がちがうと言っても過言ではない。
いっぽうで、例年のスナップ写真を見ると必ず、ひと目で “ピッティらしさ” という違和感を感じてしまうのは、なにか特異な性質を帯びているからでもある。
彼らのことを、手放しに洒落者と呼ぶには憚られるとおもう方もいるのではないだろうか。ピッティに集う男たちの服装は、純然たるオリジナリティやモードの追求とは、ちがうベクトルのファッション。言うなれば、あらかじめ決められた場所に臨むためのコスチュームの域を出ない、“ピッティありきのスタイル” なのだ。
もちろんその存在は、イベント全体のムードにかかわっている部分であり、出展者のモチベーションへとつながる。私たちがいずれ手にする洋服にも、何らかの影響を及ぼしている可能性もある。だが、ピッティで見られる “ユニークなスタイル” が文化に昇華され、ストリートやモードのシーンに反映されるとは、考えにくい。
その理由は、拭えない既視感である。ドレススタイルを手本とし、服装を開発しているようにも見えるが、それらは土着のものや芸術性のなかから生まれたものではなく、セオリーに則った説明がついてしまう、過去の引用にとどまるのだ。とくに今回はアフリカからの来場者も多く、彼らが文化記号として体得している「サプール」の迫力に、スナッパーたちの視線はもっていかれていた。ピッティにおけるファッションスナップに意味をもたせるのであれば、そろそろ、気づきが必要なのかもしれない。
ピッティはやっぱり内輪の盛り上がり?
あらためて、ピッティ・イマージネ・ウオモとは?と尋ねられたとき、なんと答えるか。私たちはそれを “ファッションを愛する男たちの集い” と呼ぶしかない。本来、ランウェイショーを主体としないファッション業界関係者向けのトレードフェアの模様を伝えたとしても、一般の読者からしたら「そんな内輪の話……」とおもうかもしれない。
世界各国のメディアがこぞって取材に向かうのは、ファッションの熱量を一身に感じ、伝えたいからにほかならない。都市を挙げてファッション産業に注力している、そして、会場には溢れんばかりの人間が集まる(本年度は3万人超の来場者数を記録)という状況は、現象として捉えるべきだ。就いた仕事柄ということもあるが、訪れた者たちは皆、ファッションへの関心をもっている。ある種、限定的な嗜好の意思が集合することで生まれる空間では、非日常が姿をあらわす。ピッティ・イマージネ・ウオモは、商談の場であり創造の現場でもあるのだ。
いっぽう、ウェブメディアの発達に伴って、ピッティ・イマージネ・ウオモをこれまで以上にコンテンツとして提供し、裾野をひろげようという意向は、主催者側からも感じられる。オフィシャルサイトでは、制作された多数の映像、即時リリースされるフォトリポートなどが頻繁に更新される。それらは関係者のみでなく、誰もがアクセスできる状態となっているのだ。そのコンテンツをどこまで一般のライフスタイルに浸透させ、市場への影響力とするのか、その可能性にかんしては、目を見張るべき点だと言える。
現代は、情報の届くスピードが日を追うごとに速くなり、領域を越えて誰でもアクセスできる時代。ファッションマーケットにおいて、そのスピードと自由度は驚くべきだが、ピッティ・イマージネ・ウオモの場合は、展示されたコレクションが店頭に並ぶのは1年ほど先の話。その未来に、いま目にして芽生えた興味が持続した状態で現物が手にされたとき、情報コンテンツは価値あるものとして評価されるのだ。
しかし、情報技術が進歩することでファッションにおける時系列が無視され、トレンドの概念が以前より希薄になった状況では、すべてを受け手に委ねるような風潮になりがちだ。奔放なデザインが乱立し、メディアはニュースのトピックとして淡白な情報を膨大に流す。そこへ目配せをしつつ、合間を縫うように綿密に消費者へリーチさせるための施策を練る辛抱強さと気概。それが、今年のピッティ・イマージネ・ウオモで発見した、ブランドあるいはメーカーのメディア戦略における課題だと感じた。