MIHARAYASUHIRO|インタビュー
ポスト東日本大震災の東京MAP - Fashion(2)
ネガティブに考えない
ファッションを楽しむことで復興を!
パリコレクションで作品を発表し、世界的に活躍をしているデザイナー 三原康裕氏。東日本大震災が起きたとき、三原氏はパリにいた。日本がとんでもないことになっていると、朝たたき起こされた。日本に電話しても誰も出ないので、ツイッターとメールで連絡。みんな元気であることを確認し、倒壊したと思ったオフィスもなんとか大丈夫だと知ったので、外せない所用のためロンドンへ移動。ロンドンの友人宅にて、TVではじめて津波の映像を見た。海外のニュースは日本のように映像が編集されておらず参上をダイレクトに伝えていたこともあり、かなり衝撃を受け他と同時に、最初は一体なにが起きたのか理解ができなかったという。そんな三原康裕氏が語る、ファッションの行方とは?
Text by OPENERSPhoto by JAMANDFIX
三原康裕氏が考える自分たちにできること
──震災後の状況をファッションデザイナーの視点から聞かせてください。
あんまりネガティブに考えてないんです。起きたものはもうしょうがないと。なにが不謹慎とかそうじゃないとか、それはどうでもいいかなと思っているくらいです。震災自体は衝撃的でしたし、人生でも経験したことのないような話ですから。もちろん被災されたひとたちのことを考えると心が痛みます。
僕らもよく誘われますが、ファッションができることとして、ボランティアとかチャリティがありますね。ですがそれは、僕ら単位、会社単位、スタッフ単位で、もちろんやるべきことはやるべきだし、パフォーマンスではなく習慣的にみんなが取り組むべきだなと考えています。悲観的に考えたところで、また同情してもなにもなりませんし、被災されているひとたちにとっては失礼な話だと思います。今回の震災で、みんな一生懸命自分や家族ではない第三者のために、アクションを起こそうという価値観が一般的になったのはすばらしいことですね。ただ僕のなかでは、チャリティやファッションショーイベントをやろうということよりも、大事にしたいものはいったいなんなのかっていうことを考えています。
──具体的にはどんなことでしょうか?
僕にとってそれは東北の工場のひとたち、材料屋のひとたちです。直接的にも間接的にもいろんな会社がかかわっていますので。靴をつくっているところもあるし、縫製工場、テーラードジャケット屋さんもある。実際僕らの関係先でもかなり被災しましたが、いまはもう多くが稼働しはじめて、そういう取引先にどこまで仕事を出せるかということも重要視しています。義援金を寄付するのは大切ですが、公共の利益のために優先的に使われるので、ファッション業界の救済にはつながりません。だから人手がタダでさえ足りないこの業界なので、そのまま廃業する方も多ければ、設備が被害を受け仕事ができないひと、受注した仕事がキャンセルになったひとがいっぱいいます。
多かったのは、電気が1~2週間とおらなかったから、みなさん携帯電話の充電が切れちゃったんです。地震で通信機能がマヒしちゃって、僕らも東京から電話してもみんなつながらない。ちょうど発注時期だったこともあり、工場のひとたちもオーダーの電話がかかっているはずだとわかっているけど、つながらない。そんな状況もあって、納期が遅れるから東北のほうは難しいんじゃないかと、ちがうエリアの工場に仕事を振ってしまう例が業界ではすごく多い。でもそれは流通やビジネスの問題だから、当たり前のこと。やっぱりファッションはビジネスであり分母が大きいので、ひとつなにかが機能しないと、そこは人情という次元ではなくちがう会社に仕事を振らざるを得ない。だけどこれから、東北地方の工場が復活したら、可能なかぎり仕事を振ることが大切だと思う。いまはファッション産業自体がなくなってしまうことが課題ですから。デザイナーのこれからの使命は、産業の芽を摘まないことだと思います。
──実際、三原さんはどんなことをされていますか?
コレクションの準備をはじめるまえに、とりあえず僕らは東北地方の工場を把握しないといけないということで、被災した工場としてないところのリストをつくろうと考えました。取引きをしたことはないけど、工場を探そうと。まず大丈夫なとこはいいと。ダメなとこはしょうがないと。なんかもうちょっと一緒にやれればなんとかなりそうな工場とか、納期は守れそうだけど仕事はなさそうとか。
僕は単純に東北の工場にどんどん仕事を振れればいいじゃないかと思っています。一緒にやっていくうえで、僕らなんて小さい力なので、産業を動かすことはできないけど、1社くらいなら上向きにできる可能性はあって、そういうことがちょっとでもできればいいなと考えました。いままでの付き合いのあるところに、「申しわけない、今回被災した東北の工場を支援したいから、半年だけ仕事を振れない」とお願いしようかと。実際、岡山の工場は理解してくれました。昔からの付き合いがあるけど、いまは納期うんぬん、流通うんぬんではない。やっぱり僕らファッション業界は、お互い儲けてなんぼだと思うし、いいもんつくってなんぼです。それをちゃんとやらないと。日本の4分の1がダメになっていこうとしてる現状で、僕らができることってそれくらいじゃないですか。僕の知り合いのブランドさんから、ある工場が被災されている状況なのに刺しゅうのサンプルを送ってきてくれて、コレクションに間に合うかどうか、自分たちがそんな状況なのに心配くれたという話を聞きました。やっぱり、すごいやる気があるんだなと。こう心意気のすばらしさを摘んではだめだなと、しみじみ思っています。
──これからのファッションに大切なこととは?
アパレル関連の方はみんな不安みたいです。僕らも不安で、店頭の売り上げが減るだろうとか、会社の売上30パーセント減とか考えると暗くなるじゃないですか。たとえばバイヤーさんがいます。僕らの展示会にきます。バイヤーさんは自分の社長から、震災で売上が落ちるからバジェット減らしてこいといわれてくる。僕らに対して減ると、工場に対しても発注が減ることになる。世の中がモノを買うことに一生懸命になってくれないと、僕らなんて存在価値が薄れていくいっぽうです。いくら僕らが工場にいっぱいオーダー出そうと言っても、在庫余っちゃったら会社がつぶれますし。すべてが相乗効果だと思うんです。都内や関西のなにもなかったひとで、ファッションに興味があるひとは、ファッション業界を救うつもりで洋服買ってください。
洋服を買うことがファッション業界を救い、それが復興へと繋がっていく……。そう、ポジティブにいままでどおり、ファッションを楽しむことが大切なのだ。
MIHARA Yasuhiro|ミハラヤスヒロ
1972年福岡県出身。1993年 多摩美術大学テキスタイル学部に入学し、翌年独学で靴づくりを開始。1998年、初の直営店「SOSU MIHARAYASUHIRO」を東京・青山にオープ ン。1999年、「SOSU」を設立。同年ウェアラインを東京コレクションにて発表し、大きな話題に。2000年「PUMA by MIHARAYASUHIRO」を国内で発表。2004年、オリジナルブランド「MIHARAYASUHIRO」を海外デビューさせ、ミラノコレクションに参加。2007年 にはパリコレクションに作品を発表。2010年、 表参道のフラッグショップ「SOSU MIHARAYASUHIRO」を『MIHARAYASUHIRO TOKYO』として移転オープン。
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