第3回 「ECO×FASHION」トークショーに出演
第3回 エコ活動の先駆者とのトークショーに出演
メッセージTに込められた彼女と僕の思い
Japan Fashion Week in TOKYO 2008のスペシャルイベントとして、東京ミッドタウンで開催された「ECO×FASHION」と題されたトークショーに出演させていただきました。
出演者は司会進行のいとうせいこうさん、パネラーの冨永 愛さんと僕、そしてスペシャルゲストのキャサリン・ハムネットさん。ファッションにおいてエコロジーを語る先駆者であるキャサリン。そんな彼女との出会いは、僕にとってとても感慨深いものでした。
文=信國太志Photo by Jamandfix
デザイナーの創造性とスタンダードの普遍の価値観を天秤にかけて
会場ではスタッフの人たちがキャサリンの代表作ともいえるメッセージTを着ていました。
それを見た瞬間、僕のなかでさまざまな心象が浮かびました。
ときは85年、僕は中学3年生でした。思い出しても変わった中坊でした。当時はDCブランドブームで、カタログ的なファッション誌で勉強して、街中のデパートを隅から隅まで見ては一つ一つのブランドを確認するのが学校帰りの日課でした。同時にアメリカ物のお店にも行き、デニムやスニーカーなどを学習していきました。
そんな子だったので、リーバイスの501と某ブランドのデニムを見比べては限られた小遣いをどちらに投資するか真剣に悩んだ挙句、そのブランドに行き試着。501とのシルエットの違いについて店員さんに尋ねたところ、なぜかその人の逆鱗にふれ店を追い出されたこともありました。「君みたいな中学生が来るとこじゃない」とまで言われ……。翌日友達に相談したところ、爆竹をもって襲撃に行こうと本気で怒り、なだめるのが大変でした。
なんでそんなことをそもそも訊いたのかというと、お金がない子供として、服の価値とはなんなのだろうと真剣に考えていたことを思い出します。デザイナー先生の創造性とスタンダードな物がもつ普遍の価値観。時代的には先生の名前つきのほうが威張れるのに、なんとなく値段も安い501の方が価値がある気がしていたので、そんな価値を覆す言葉をDCショップの店員さんに求めて踏ん切りをつけたかったのだと思います。当時はJUNYA WATANABEなんかなかったですから(笑)。
選んだメッセージは“CHOOSE LIFE”
そんなこともあり、デパートのDCショップから遠のいて彷徨ううちに、今度はインポートのデザイナーの服がいち早く並ぶ小さなお店をみつけました。ポール スミス、クローラ、カルチャーショック、マーガレット ハウエルという今でこそたくさんお店があるブランド(もうないブランドもありますが)も当時はインポートで知る人ぞ知るブランドでした。
他の、デザイナーもの以外の定番的なインポートの商品とともに並ぶそれらの服を見て、なんだか日本の服と違う雰囲気をデザイナーの服にも感じました。創造的だけどなんか歴史の匂いのようなものを感じるのです。そんななかに並んでいたのがキャサリンの服で、カーキ色のコットンのテイラードが凄く美しくみえたのと、タグのヘルベチカの書体がモダンでかっこよく見えました。
そのころから、毎日そのお店に行き(DCと違い、お店の人が優しかった)、当時まだ新しかった『ID』や『FACE』といった雑誌を見せてもらったり、しまいにはキャサリンのショーのビデオを借りたりもしました。そのショーは音楽がとぎれては同じフレーズが繰りかえされたりしてビックリしました。それがDJがレコード2枚をつないでいたと知ったのは翌年RUNDMCが流行りだしたころのことです。
スーツなんか買えない僕でも手にとれる、大きく文字が書いてあるTシャツをみつけては、“買えるー”と狂気し、メッセージの種類がいくつかあったのでどれにするかまた悩みだしました。優柔不断でお金がなく、入り浸っては、摩訶不思議な質問をぶつける、そんな子供は僕が店員なら速攻追い出したでしょう。でもそんな僕に優しくいろいろ教えてくれた人たちがいたから今の僕があります。
そして悩んだ挙句決めたメッセージは“CHOOSE LIFE”というものでした。当時通っていた進学校で自分がどんな大人になるのか想い悩んでいた僕は、その意味を“人生の選択”だととらえて、そのTシャツを着て、くだらない大人にはならない正しい選択をしようと意気込んだ結果でした。
23年後に知った“命の尊さの選択”
それから23年後。そんなことを会場のスタッフさんの着るTシャツを見た一瞬のうちに走馬灯のごとく思い出しました。そして前もって渡されたキャサリンの資料を読むうちに、その意味が本来“命の尊さの選択”であったことを知り自分の勘違いに笑いました。そして出番前にショー前のモデルのようにステージ袖で並ぶなか、僕は前にいるキャサリンをつついて唐突にその話をしました。すると彼女は僕の勘違いの意味もあるといいました。「でも僕はデザイナーという大変な職業に就くという間違った選択をしたんだ。」というと彼女は「でもデザインは素敵な仕事よ。」と笑いました。
美しくも大変な道を選んだということ
僕はそのような勘違いに迫られデザイナーという人生を選択し、その言葉の元来の意味である生命の尊重をテーマに仕事をしているのはなんとも因果なものです。
キャサリンがエコロジカルな問題に向かったそもそもの影響が仏教であったことも今回初めて知りました。僕は何年か前に首相官邸にて小泉純一郎さんに会う機会に“憲法9条を改定しないで”という意味のTシャツを着て行きました。そんな行動もキャサリンがサッチャー首相に会うときに核廃絶を訴えるTシャツを着て行ったことが凄く影響しています。もう一枚持って行って小泉さんに渡そうとしたところSPにとめられましたが。でも小泉さんは会談中僕の胸の文字を追っていましたが、そのとき彼が何を考えてたのかは当然わかりません。
そんなこんなで出身校も一緒だし(その前に日本の高校はドロップアウトすることを「CHOOSE LIFE」してたので、大学院に潜り込んだのも奇跡ですが)僕はキャサリンの呪縛から逃れられないようです。
でも社会的なコンセプトで仕事をしていても、正直、孤独におちいることもあります。ファッションジャーナリストは所詮襟の形や、素材の光沢がどうのとかにしかご興味をお持ちではないので。
彼女もさまざまな複雑な想いを経てきたことが伺えます。ときにはストイックになることで自分をも疑問視するような苦しい戦いもあったことを察します。彼女は仏教に出会い“正しく生きること”を学び、志したといいます。それは美しくも大変な道です。なにが正しいかは自分で見極めていかないといけないですから。
壇上で語る彼女をみていてそんな複雑なヒストリーを背中に感じるとともに、頼もしい先輩をみつけたようでうれしかった。別れ際のハグはとても力強くテレパシックに言葉にならないものを交換しました。自然光のない会場を後にすると外の青空がきれいで、まるで高校を退学して校門を後にしたときの空のようでした。僕の「「CHOOSE LIFE」もまんざら間違ってなかったような気になりました。