新年会で語りましょう(1)
BEAMS創業30周年記念
昨年2006年に創業30年を迎えたBEAMSは、多くの若者に愛され、幾多のファッション関係者やメディアを育てながら、ファッションの喜びや楽しさをワールドワイドな商品とともに届けてくれる希有な会社である。「青野さんと会おう、会おうって言ってもう10年ぐらい経つから(笑)ご飯でも食べましょう」と、島津さんが幹事の2007年新年会。場所は恵比寿の香港火鍋酒家 笑龍の個室。どうぞご堪能あれ。
photo by FUKUDA Emiko
世界一おしゃれな国に育って
島津由行 あけましておめでとうございます。
3人 今年も宜しくお願いします。
島津 青野さんともやっと約束が果たせたね(笑)。皆さんとは道端でよく会うんですけどね。今日は、皆さんも会社で偉くなられたし、BEAMSの未来を聞きたいなと思っています。正確に言うと去年が30周年だよね。
青野賢一 今月の下旬に30年目の締めとしてパーティーがあります。
島津 BEAMSは好調だと聞いているけど。
青野 06年は会社的には売上も良かったですね。
窪 浩志 アウトドアブランドなど、懐かしいものが復活してきて、ビームス プラスが特に好調ですね。
島津 青野さんはオウプナーズはどうですか?
青野 僕はまだ連載を始めたばかりなので反響を期待しているところですね。島津さんはもちろん、重松さんの連載も読んでますよ。あれ面白いですよね。
島津 重松さんの連載を読んでいると、78年にビームスFができて、栗野宏文さんが店頭に立っていて、81年にインターナショナルギャラリー ビームスができて、大久保君が店長で……と、その時代、時代が鮮明に思い出されるよね。昔はファッションも今と違ってカテゴリーも決めやすかったし。今は、流行のアイコン探しになっていて、たとえば「ロックスタイル」とか同じ方向性でどんどん巨大なマーケットができちゃって、次のブレイクスルーが出てこない。そこも今日みんなに聞きたいよね。簡単に言うと、昔よりプロが少なくなったと思うんだよね。ファッション雑誌もマーケットに便乗しているのは事実だけど、編集者の思い入れじゃなくて、編集長が売れる雑誌しか考えない。特にバブル崩壊以降ね。
青野 もう今はマーケティングですよ。80年代を経て90年代半ばを過ぎると、世の中マーケティングで進んでいくようになった。
窪 結果を求められますからね。
島津 でもそういう流れの中でも“裏原ブーム”とかあって、それは実は情報がグローバル化してアメリカでもイギリスでも同じような現象が起きていた。そう考えると、イギリスの70年代のムーブメントのような「事件」はもうないんだよね。
窪 でもそういうマーケット優先になりながらも、日本人はオシャレになりましたよね。
島津 それはもう世界一オシャレだよね。間違いない。
山崎勇次 島津さんは「原宿歴」長いんですよね。
島津 オウプナーズにも書いているけど、ビームスができたころ、竹下通りでは子供たちがゴム飛びしていたり、ラフォーレ原宿がまだなくて教会だったり、原宿は土臭い田舎だった反面、妙に外国チックで、そこにぽつんとビームスがあって。76年はアメリカに行っていたのでよく覚えてるんですよ。それで81年にインターナショナル ギャラリーができて、ごちゃごちゃといろんなものがあって(笑)でも頑張っていない感じがスタイルになっていたのも覚えてるなぁ。
青野 僕ら3人ともギャラリー出身で、一緒に働いているんですよ。
島津 最初にギャラリーで買ったのは、マーガレット・ハウエルのスウィングトップだった気がする。
3人 お~。
島津 裏がチェックので結構高かったんだよね。
青野 当時シャツで2万2、3000円はしていましたね。
窪 ギャラリーでは、マルセル・ラサンス、ハウエル、ポール・スミス……、
青野 あとピンキー&ダイアンも。
窪 そう、やっていたね。
島津 ちょっと休憩して飲みましょう!
窪 浩志さん
株式会社ビームス メンズ統括部 部長
クリエイティブディレクター
1962年生まれ、ビームス歴25年。横浜市出身
山崎勇次さん
株式会社ビームス 商品本部 メンズ二部 係長
インターナショナルギャラリー ビームス バイヤー
1966年生まれ、ビームス歴19年。長崎県出身