新年会で語りましょう(2)
BEAMS創業30周年記念
photo by FUKUDA Emiko
洋服馬鹿、大いに飲み食らう
山崎勇次 なんか写真はきっと温泉でご飯食べてるみたいに写ってるんでしょうね(笑)。
青野賢一 ま、裸のつきあいってことで(笑)。窪さん、辛いの好きですよね。
窪浩志 いや、意外と弱いですよ(笑)。
島津由行 みんなさ、やっぱりBEAMSが好きなんだよね。
窪 BEAMSが好きじゃないとやっていけないですよ。世の中にこんなに洋服屋や会社があるのに、これだけこの会社にいられるというのは結局、会社の風土が好きなんでしょうね。
山崎 何かあるんでしょうね。
島津 スタイリストもそうだよ(笑)。
窪 あと、適当なところですかね(笑)。
島津 それは社長の設楽洋さんもそうなんでしょ?
窪 本当にいい意味で適当ですよ。何にも悪気のないところが余計良くない(笑)んですよ。
青野 ほんとに悪気がないですね。
窪 だからついていけるというもあるんですけどね。
島津 今日のもう一つの目的は青野さんにBEAMS RECORDSの話を聞きたかったんだけど、青野さんがやりたいって言ったの?
青野 僕がビクターさんとコンピを出したりして売れたんですよ。それで社長から、音楽もやったらどう? って話になったんですけど、自分が音楽が好きだから、音楽をBEAMSの仕事としてやるのはどうかな? というのと、音楽を洋服の販促ツール的にやるのはすごくイヤだという思いがあって、社長にやりたくないと答えたら、「好きにやっていいよ」って言われたので始めたんです。
島津 恵まれてるよね。
青野 99年スタートなのでもう8年ですね。鳴かず飛ばずで(笑)。島津さんのことですごく覚えているのが、渋谷のDJバーINKSTICKのものすごく狭いDJブースの中にいて、アストラッド・ジルベルトとかかけていて、それが、うわっ、カッコイイね。って印象に残ってるんですよ。
島津 それは、僕がロンドンに行けなくて、パリで止まっちゃった、アンニュイになっちゃった(笑)みたいな。
窪 それすごく島津さんっぽいですよ。
山崎 最近はもうDJしていないんですか?
島津 遊びには行くけどね。それで、当時のレコードとかどうしようかな?って。
青野 それ、ルゥモアズで売りましょうよ! で、売り出す前に僕に見せてください!
島津 ゲーンズブールのシングルオリジナル盤とか持ってるよ。
青野 この前、祐真朋樹さんを含めて食事する機会があったんですけど、その時のメンツの影響もあるんですが、あそこにああいうクラブがあったよねとか、80年代後半の話しかしなかったんですよ。
島津 その頃は、まだセレクトショップなんて呼び名もなかったもんね(笑)。
青野 セレクトショップはピンとこなかったですね~。
窪 だってそのまんまですもんね(笑)。
島津 窪さんはどうしてBEAMSに入ったの?
窪 姉が文化服装学院にいっていて、同級生にネペンテスの清水さんやハイブリッジ・インターナショナルの高橋さんがいらっしゃって、よく家に遊びに来ていたんですよ。僕が中学生の頃から玄関にLLビーンのガムシューズとか変な靴が並んでいて、変な格好した人が出入りしていて(笑)、そういう人が業界に入って、「アルバイトしてみなよ」っていうのがきっかけでしたね。入って、自分の好きな服がいっぱいあることだけでいいって感じで、社員販売でがんがん買って給料なかったですからね。みんな会社に借金してましたから(笑)。
島津 ビームスほど洋服馬鹿はいないよね、これはほめ言葉なんだけど。最近、洋服馬鹿が少ないのよ。みんな頭でっかちで。
青野 明日どうしようって人(笑)いっぱいいましたよね。
島津 ほんと、ほんと。自分もそうだったけど。山崎さんの入社のきっかけは?
山崎 僕はもともと地元の洋服屋でアルバイトをしていて、そこがBEAMSの卸先だったんですね。それで、東京で遊びたいという気持ち半分で上京して、BEAMSに……という感じです。
島津 青野さんは?
青野 母親がパタンナーをしていて、服は好きだったんです。大学までアルバイト経験もなくバンド活動してたりして、大学1年の夏に、母親に「いい加減あなたアルバイトしなさい」って言われて、原宿がちょうどセールの時期で、歩いていたら、ビームスにアルバイト募集の張り紙があったんです。
島津 あぁ、入口に貼ってあったね。
青野 これだと思って、何も持たずに、「すみません。バイトしたいんですが……」というのがきっかけですね。それが87年の夏ですね。栗野さんと、水野谷さんに面接してもらって、バイトは採用になったんですが、配属はたぶんカジュアルになるけど後日連絡って言われたら、たまたまインターナショナルギャラリーに欠員が出て、それが膝を悪くした足立二郎さん(現・ユナイテッドアローズ)なんですが、ギャラリーに入ったら窪さんがいて、何ヶ月後に山崎さんが卸から販売に来て。
島津 そうか、青野さんも20年なんだ。
青野 もしカジュアルの売場にいたら途中で辞めていたかもしれないですね。島津さんはわかると思うんですが、あの頃のギャラリーって変な独特なムードだったじゃないですか。
島津 うん、結構いい感じでしたよ。
青野 誰しもが俺一番、お客様よりオレ一番みたいな。そのムードが水に合っていた(笑)んだと思いますね。
島津 今だから言うけど、ギャラリーには高倉健さんも来ていたよね。
山崎 いらっしゃってましたね。閉店後にディスプレイを替えていたら、健さんに缶コーヒーを差し入れしてもらったこともありました。もう涙モンですよ。
窪 健さんが買い物していった翌日は、健さんのファンが同じ服を買いに来たこともよくありましたね。ギャラリーにはあと岩城滉一さんや森進一さんもお客様でした。最近、スタイリストの野口強さんが雑誌でギャラリーのことと来ていたお客様のことをコメントしてくれていてうれしかったですね。
島津 ギャラリーのお客さんは今で言うセレブの始まりだよね。ちょっと火鍋食べましょうか。
取材協力
香港火鍋酒家 笑龍
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